私は17歳で中絶を経験しました。

私は中絶を後悔しているでしょうか。はい、していると思います。もし可能ならその選択を変えるでしょうか。多分変えないでしょう。

私は中絶を経験した女性をたくさん知っています。素晴らしい女性、知的な女性、強い女性。しかし、中絶は依然として、固定概念、強い意見、恥と秘密に満ちた非常にタブーな話題です。

そして、1つとして同じ中絶はありません。

中絶を選んだ女性の中には、超音波検査やテストの果てに、まだ生まれていない自分の赤ちゃんの生存が危うかったり、QOL(クオリティオブライフ)に影響のあるような重大な欠陥があったりすると宣告された人たちがいます。親になろうとする人たちにとって大変心の痛む状況で、人生が変わるような選択を迫られるのです。

家庭内暴力の犠牲になって中絶した人たちもいます。子どもが虐待のある家で育たずにすむための決断をした人を誰が裁けるでしょうか。

目標や志し、人生の計画を持っていて、その理想に子どもの姿は今のところ考えられない、という女性たちもいます。彼女たちは妊娠に気が付くと、自分の人生が目の前で崩れていくように感じます。中絶をするかしないかは、彼女たちの選択です。

本人たちの立場におらず、状況も知らず、選択の本当の理由を知らないのに、彼女たちを裁くことなどできるでしょうか。

中には、すでに複数の子供たちを抱え、生活費のやりくりに苦労している女性たちもいます。彼女たちは働き過ぎで、薄給に甘んじ、再び妊娠して人生に苦しんでいます。彼女たちは、家族全員のことを考えなくてはならず、余計な負担をかけないように中絶を選ぶのです。

これらの女性の中には、若く、まだ学校に通い、両親と同居中の人たちもいます。これらの女性はいろいろな意味でまだ子供のため、若さ、未来、教育を選択します。

彼女たちの立場におらず、状況も知らず、彼女たちの選択の本当の理由も知らないのに、彼女たちを裁くことなどできるでしょうか。中絶の決断は決して容易ではありません。中絶を選んだ女性たちは、その事を引きずりながら残りの一生を生きていきます。彼女たちは沈黙と孤独のうちに苦しんでいます。それは私が約束できます。

なぜそれがわかるかと言えば、私もその一人だからです。

私は17歳のときに中絶しました。私は、父と私の兄弟と一緒に住んでおり、美容師になる勉強をしていました。

私の彼(現在の夫)は失業中で、学校にはあまり行っていませんでしたが、私の妊娠を知りとても喜びました。ところが、私はとても複雑な気持ちでした。

私の論理的な思考が、自分がなろうとしていた女性にとって、今子どもを持つことは非現実的と伝えました。私も彼も職を持たず、家もなく、ろくに自分たちの世話もできないうちからどうやって子どもを養うのかも知りませんでした。私の中の感情的な部分は、父を失望させないことで精一杯でした。

私は、母と姉に妊娠を打ち明け、中絶という難しい決断をサポートしてもらいました。彼はその決断をした私を嫌いましたが、家族は中絶を勧めてくれました。私は引き裂かれるようでした。

中絶は、それまで経験したことのない最も衝撃的な体験のひとつです。その日が来ると、彼らは私を部屋に座らせていくつか質問をしました。そして超音波を当て、私の赤ちゃんの姿を、初めて、最後に、そして一度きり見せてくれました。私の心はズタズタでした。そして、寒い滅菌室に連れて行かれ、横になるように言いました。涙がどんどん大粒になり、どうしようもないほど泣き崩れました。慰めたり、質問をしたりしてくれる人は誰もいませんでした。

それが私でした。サポートもなく、怯え、孤独な17歳の少女。

次に私が覚えているのは、椅子で目を覚ましたことと、手術が終わっていたことでした。終わり。何事もなかったように。まるで普通の定期健診のように病院から送り出され、アフターケアも、カウンセリングも、サポートもありませんでした。

結局、父は中絶を知り、明らかに失望していました。起こったことに対する失望と、私から父に自分で話さなかったことに対する失望のどちらが大きかったかは分かりません。

夫となった彼と私は、そこからできるだけ立ち直りましたが、今もそのことや、ほかに何ができたかを話します。

私は中絶を後悔しているでしょうか。はい、していると思います。もし可能ならその選択を変えるでしょうか。多分変えないでしょう。

今の私は、これまでに私がしてきたことの全てです。あの時点で赤ちゃんを産んでいたら、疑いようもなく今の私のような母親や女性にはなっていなかったでしょう。私の人生は全く違ったはずです。

私は産まなかった子供のことを考えるでしょうか?よく考えます。自分で認めたいと思うよりも考えます。彼らは生まれていたらどんな風になったのだろう、とも考えます。

同時に、きっと彼らが生まれてくるべきタイミングはその時ではなく、実は私の他の子どもとして生まれてきていて、今私の横に一緒にいるのかもしれない、とも考えます。

私が言いたいのは、中絶には理由がある、ということです。その理由は、あなたの考えとは違うかもしれませんが、あなたの人生でないのですから、それはどうでもいいことです。

私は嫌悪感を打ち破り、中絶のタブーをなくしたいのです。もっとそれについて話さなくてはなりません。私のようにこの厳しい選択をせざるを得なかった人たちがたくさんいることを知ってますが、その選択をしたからと言って、彼女たちの素晴らしさが少しも減るわけではありません。

周りにいる女性たちを愛し、力を与え、勇気づけましょう。彼女たちがいまどんな道を通っているのか、あるいは通り過ぎてきたのかは、わからないのですから。

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スティービーのブログで最初に公開されたポストを編集・抜粋しました。

ハフィントンポストオーストラリア版より翻訳・加筆しました。

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