駒沢オリンピック競技場の歴史をひもといてみようの続きです。
そもそも、この駒沢という地名は明治22年に出来たという比較的新しいものです。
現在の上馬、下馬という地名は元々、上馬引沢、下馬引沢が縮まったものだそうです。
源頼朝が奥州征伐に向かう折にこの付近で崖崩れに遭ったとか、馬を繋いだとか言われる由縁のあるところです。
その由来を持つ駒繋神社という社もあり、その脇を流れる川を蛇崩川といいました。
そのように近隣地名にあった「馬」と、野沢、深沢というこれまた近隣の地名「沢」を合わせて、「馬沢」ではなく、馬=駒と語呂を変えて「駒沢」となったそうです。
当時の地図を見る限り、主だった道は大山街道しかなく、農道のような道が曲がりくねっており、明治、大正期までは山林および畑ですね。
この大山街道というのが現在の246です。
なぜ、大山街道なのか?といいますと、現代の都内在住者の人たちではまったく馴染みがないと思いますが、大山とは神奈川県の伊勢原市にある山です。
江戸時代まで、この大山(おおやま)は、別名阿夫利山(あふりやま)とも雨降山とも呼ばれ、雨乞いの神様として超有名だったのです。
万葉集にも吾妻鏡にも出て来るくらいの人気の山です。
そこへの参拝に行く大山講も組織され、関東中から大山詣が盛んだったんですね。
落語ファンならよくご存知の方もいらっしゃるでしょう。
その大山に向かう各地からの街道が大山道(おおやまみち)として整備されましたが、そのうち江戸からのメインのルート、青山ルートが現在の246になりました。
その大山道沿いに明治40年玉川電車が開通し、「こまざは駅」が出来ています。
ここに大正2年曹洞宗大学(後の駒沢大学)が移転してきます。
同時期に東京ゴルフ倶楽部も設立されています。
玉川電車の効果でしょうか、市街地が広がり始めていますね。
でも、まだまだ山林や田んぼ畑だらけ、「となりのトトロ」のような風景だったようです。
(2015年9月19日「建築エコノミスト 森山のブログ」より転載)