ありきたりの学生だった僕が学生パパになるまで#4 〜親へのカミングアウト

教授には感謝している。親にも感謝している。「全力でやります!」

またそれから数日後、今度は病院へいった。

本当に妊娠しているか確認するためと、今後しなくてはならないことを聞くためである。

Mの実家が所沢にあるため、大学が午後からの月曜日の午前中に、

僕も所沢へ行き朝一番に所沢のレディースクリニックで診察してもらった。

結果、赤ちゃんは間違いなくMのお腹にいることがわかり、

役所で母子手帳をもらい、早めに産む病院を決めるようにと言われた。

所沢市役所で母子手帳やマタニティマーク(お腹に赤ちゃんがいますのキーホルダー)の入った大きな封筒と婚姻届をもらうと、二人で親に言う機会があったらできるだけ早く言おうと決めた。

4月の上旬のことだったが、4月中には絶対に言おう。

いずれ親には言わなくてはならない。

全て叶えるためには親に頼るほかは無い。

家に帰ってから、親に伝えようと思ったが、難しかった。

夜になると二人のラインには、

「今日言おうかな」

「頑張れ!」

「やっぱり今日はきつかった」

「ドンマイ・・・」

こんな会話が登場するようになった。

僕もしばらくは言うことができなかった。

父親が早く帰ってきており、弟妹が寝ていて、

母と父が揃った時に言おうと、その日が来るのを待った。

毎晩ベッドの上に転がりながらシナリオを描き、カミングアウトの日を待った。

その度に毎回、心が重くなった。

正直、8割くらいの確率で僕の親には認めてもらえる気がしていた。

いままでやりたいことはやらせてもらえる家庭だったし、

僕も父が23の時に産まれており、母から苦労話は幾度か聞いたことがあり、

早期の子育ての苦労も喜びも知っていると考えたからである。

カミングアウトのチャンスが来るのは案外早く、

待つこと3日ほどで、その日はきた。

自分の親だが、ものすごく緊張した。

あえてかしこまり、

「お父さん、お母さん、重大な報告があります。」

というと、

父母「なんだよ、やめてよ、知らないからね」

こんな感じで返ってきた気がする。

「彼女が妊娠しました。産むつもりです。留学は辞退しました。大学を辞めることも視野に入れています。」

笑いながら

父「ちょっとまて、そんなことの気はしたが、お前、バカか。留学辞退しちゃったの?本当大変だよ、覚悟あんの?俺もすごく苦労したよ。相手はMか?」

僕「そうだよ。」(言ったことはなかったがやっぱり知ってたか。年賀状でも見たかな。)

僕「覚悟はもちろんある。

その上で、大学も留学もいきなり投げ出すのはどうかなとも思ってて、

いきなりここからいうと、甘ったるいかと思って言わなかったんだけど、

結論大学も続けたいし、留学も行きたい。

実は留学辞退はしたんだけれども、教授が差し止めていて、実際まだ止まってる状態。

詳細はまだ分からず今調べてるところ。

いずれにせよ、大学を続けるとしたらお金がかかるから、家を出ても助けてほしい。」

母「お金ないよー、どうすんのよ、パパ」

父「産むなら結婚しろよ。それだけは絶対だ。とりあえず、わかったから、ちょっと考えさせて。」

僕「わかった。」

僕「あ、あと、大学のでドイツ語の先生には言ったんだけど、アドバイスをメールでもらったから一応転送しておくね。」

あのメールは説得力があると思ったので、見せたかった。

思い出せない部分もおおく、実際にはもう少し会話は多かったが、だいたいこんな感じ。

言い終わると、解放感と達成感

Mにとりあえず伝えたことだけ報告。

翌日、認めるための2つの条件を言い渡された。

1、結婚して2人で生活すること。

2、大学を卒業すること。 単位を取るだけでなく、しっかりと通い学ぶこと。

僕「わかった。頑張る。ありがとう。」

父「あと、向こうの親はTのこと知ってるの?」

僕「一切、何も知らない。」

父「知ーらない。お前1人で話はつけてこい。その後呼ばれる分には構わないが、もう成人してるんだ。そこは自分で頑張れ。いきなり親が謝るなんて嫌だからな。」

僕「もちろん。近いうちに挨拶するよ。」

父「それと、あのメールはすごいな!ドイツ語の教授だっけ?よくあんな文章が書けるもんだ。そうだよ、留学も行ってこい!お前は早計なんだよ!なんですぐに親に言うかな!大使館でもなんでも行ってやってみろ!」

教授には感謝している。

親にも感謝している。

僕「全力でやります!