2015年1月、スマトラ島に残された山岳の森、ブキ・バリサン・セラタン国立公園に隣接する村に、小水力発電機が設置されるプロジェクトが発足しました。ここは絶滅の危機に瀕したスマトラトラやスマトラサイが今も生息する地域です。違法な木材伐採や、農園の乱開発が大きな問題とされてきた中、村の住民自らが森林保全に取り組むことに合意し、進められたプロジェクト。2年を経て、どのような結果がもたらされたのかを報告します。
スマトラの森で始まった小水力発電
インドネシア語で、ブキ・バリサンは「山の連なり」、セラタンは「南」を意味します。ブキ・バリサン・セラタンは、日本よりも大きなスマトラ島を、南北に連なる大山脈の最南端に位置する国立公園です。
ここは山岳地帯であることから、比較的大規模な開発を免れてきました。そのため低地ではほとんど見られなくなった多くの動植物が、今も残されている貴重な地域となっています。代表として生息しているのが、IUCN(国際自然保護連合)の「レッドリスト」で最も絶滅のおそれが高い「CR(近絶滅種)」に指定されている、スマトラトラや、スマトラサイです。
しかし近年では、国立公園の周辺地域の人々が、生活の不便さや貧しさから、やむを得ず公園内の木材を違法に伐採し、農園を広げてきました。その結果、希少な野生生物がそのすみかである森林が失われる深刻な問題が起きています。
こうした経緯から、WWFでは2015年、森林を保全することが地域住民にとっても経済的な利益につながるプロジェクトを開始。国立公園に隣接するスカ・バンジャール村に、森を守ることを目的とした小水力発電機を設置することしました。
この背景には、村をとりまくエネルギー事情がありました。
ここでは今も少なからぬ世帯で、自家用のディーゼル発電機をが使用されており、その燃料価格の高騰が住民への大きな負担となっていたのです。
そこで、わずかなメンテナンス費用で維持化可能な、持続的な小水力発電によって、住民の支出を抑え、安定した電力供給を可能にする取り組みが開始されることになりました。
自然エネルギーをつくって、森を守る
さらにこのプロジェクトには、電力を供給して貧困を軽減するだけでなく、森そのものを守る狙いがあります。
小水力発電とは、巨大なダムなどで川の水をせき止めて貯めるのではなく、小さな貯水池や地形の落差を流れる自然の水量を、そのまま利用する発電方式です。
この発電方法で大事な点は、川の流れや水量が変化しないように、設備周辺の川に泥が堆積しないよう注意すること。つまり、泥が流出しないようにするためには、流域の森林を継続して保全しなくてはならないのです。
つまり、これにより、エネルギーをつくりながら、森の生物多様性の保全につなげることが可能になるのです。
プロジェクトは、土地の調査と、設置への準備から始まりました。まず村の中で森林が残っている地域や、充分な高低差のある川の流域を調査し、発電機の設置場所を決定しました。そして村の中で自主的に発電機の維持や管理ができるよう、管理組織をたちあげ、運用や管理に携わるメンバーを選出、操作や財務管理において必要な研修を行ないました。
発電機の設置にあたっては、残された森林や、川の生態系を保全することを明確に定め、その内容を文書にして、電力を使用する村の人たちとの間で契約を結んでいます。文書には、流域の森林では樹木の伐採や、農業を行なわないこと、また違反した場合は小水力発電の使用資格が失われる旨が明記されており、全員が合意した証として、著名がなされています。
2015年10月、発電機の設置作業が、村人の運営メンバー同士の協力で実施され、発電が開始されました。
その後、2017年5月現在までに、10機の発電機の設置が完了。当初の計画を大きく上回る約130世帯がこのプロジェクトに参加し、村役場や学校、モスクにも電力が供給されています。
森を豊かに保つことで、良くなる暮らし
発電機の設置から2年。もともと電気のほとんどない生活を強いられていた世帯もあった村の暮らしは、小水力発電によって大きく改善されました。毎月の電気代は、ディーゼル発電機を使用していたときと比べ、一月当たり約10分の1となっています。
村のコーヒー農家はコーヒー豆の処理に粉砕機を利用できるようになり、子どもたちは日没後も勉強ができるようになりました。テレビのニュースから天気予報の情報を得て、より計画的に農作業も行なえるようになり、世帯によっては川まで行かずとも、井戸の電力装置を利用し生活に必要な水をくみ上げることが可能となりました。
そして何よりも大切なことは、この暮らしが、流域の森が守られているために成り立っていることを、村の人々が実感していることです。
発電機の整備費用管理やメンテナンスも、担当者により適切に実施されていることが確認されています。故障時も、発電機の設置前に実施された操作研修がいかされ、村人自らが修理を担当、自主的な維持と運営がなされていました。
流域の森林をモニタリング
小水力発電機の設置後、実際に流域の森林が保全されているかを確認するため、運営メンバーが集められ、モニタリングの事前研修が行なわれました。
研修では、モニタリングで使用する質問票の内容と記入方法を解説、実際に流域の森林を検証する方法も指導する形で実施されました。
研修後、利用者に対して土地利用の現状についての聞き取り調査が行われ、それをもとに実地検証がなされています。
2016年6月に行なわれた、14日間に及ぶ実地検証の結果では、川の流域の森林は、各世帯が著名した森林保全の合意文書に定められた通り、きちんと保護されていることが確認されました。
また、河川の周囲では、スマトラトラの足跡も発見されています。これは村への小水力発電機の設置により、流域の森林が保護され、希少種の保全へつながったことが確認できる一つの証でもありました。
その後も、スカ・バンジャール村の人々は県政府や国立公園当局と協力しながら、川の流域や国立公園の境界にあたる森林で、継続してパトロールを実施しています。
さらなる普及をめざして
今回のプロジェクトは、スマトラ島のブキ・バリサン・セラタン国立公園の周辺で同じような問題を抱えている地域へも普及されることが期待されています。山岳地域であることから、送電線がないまま隔離され、貧しい地域であり続ける村は、他にも存在するためです。その地形をいかし、小水力発電という自然エネルギーを利用することで、地域住民が主体となって森林保全活動を実施できる可能性は大いに残されています。
こうした経緯から、他の地域への普及をめざして、DVDやリーフレットなどの教材が作成されました。DVDには、村で実際に小水力発電機が設置された様子が時系列で記録され、見た人にその手順がわかる内容となっています。またリーフレットでは、小水力発電による発電の仕組みや、流域の森林を保全する意味などが記載されています。
この教材は、国立公園当局や県政府をはじめ、WWFが活動を行なう近隣の12村に配布されています。インドネシアでは、それぞれの村で開発計画が立てられ、中央政府はそれに応じて予算を組みます。教材を配布した12村には、WWFが開発計画の作成を支援している村も含まれるため、村のニーズに応じて、同様の取り組みを普及していくことを目指しています。
遠く離れたスマトラ島から、日本が手にしているもの
この小さな村の周辺の国立公園で起きている、森林伐採や農地開発などの問題は、今もスマトラ島のあらゆる地域で起きています。
特に、スマトラ島の低地林では、大規模な森林伐採を伴う開発による、紙やパルプを生産するための植林地や、さまざまな加工食品や日用品の原材料となるパーム油を生産するためのアブラヤシ農園などのプランテーションの拡大が大きな問題となっています。
日本で暮らしていると、違法であったり、豊かな生物多様性を脅かしたりして生産されたものを手にしているとは、考えもしないかもしれません。しかし現実には貴重な自然を損なう形で生産された紙や木材、そしてパーム油の一部が、日本にも流通しています。
パーム油は、日本でも誰もが毎日使用している油です。パンやお菓子、シャンプーや洗剤など、実にさまざまな製品の原材料に使用されています。しかし日本では「植物油」や「植物油脂」、「ショートニング」など他の植物由来の油と共に原材料が表記されることが多く、消費者にはその存在もあまり知られていません。
日本のような国が、こうした原料をどこで、どのようにして作られたかを意識もしないまま、環境を破壊する形で生産されたものを購入していれば、現地の森はさらに失われ、悪循環が続くことになります。
そこで、WWFでは持続可能な形で生産されたFSCやRSPOなどの認証製品を推進しています。
FSCの認証を受けた紙や木材、RSPOの認証を受けたパーム油を含む製品には、森や生物多様性の保全といった環境面、またそこで働く従業員や、地域住民といった社会面への影響にも配慮して生産されていることが、消費者が一目でわかるよう、独自のラベルが付されます。
日本でもFSCラベルが付された製品は増えてきています。きちんと管理され生産された製品を積極的に使うことで、消費者として森林保全に貢献することができるのです。
RSPOラベルのついた石けんやシャンプー、洗剤なども少しずつ販売されています。また加工食品などにおいては「植物油」や「植物油脂」などの原材料を含む製品を作るメーカーに、こうした問題への関心や、RSPOのパーム油を扱うよう、声を届けることも、消費者にできるアクションの一つです。こうした声は、企業が製品を生産するときの観点を変える大きな原動力となるでしょう。
WWFは、今後もスマトラ島の現場で森林と絶滅危惧種の保全に取り組むと同時に、日本の企業や消費者に対して、環境に配慮して生産された原材料の購買・調達を働きかけていきます。