異端的論考18:「日本人は憲法改正の国民投票という手段に耐えられるか?」 ~ イギリスのEU離脱と日本の憲法(即ち戦後レジーム)離脱~(前編)

イギリスの国民投票におけるEU離脱派の目論見が国家の「完全な主権の回復」の為であるとすると、日本の改憲派の目論見は「国家の威信の回復」をする為であろうか。

今回の参議院選挙でいわゆる「改憲4党」が議席の2/3以上を獲得することが、選挙前の予想の通りほぼ決定した。今回の参議院選挙の争点から憲法改正をわざわざ外した安倍自民党総裁であるが、選挙後に、安倍総裁は国民の3分の2以上の負託を受けたと称して、自民党主導で、改憲に向けた国民投票に向かうことがおおいに想定されるが、その為には、世論の動向に敏感な「平和の党」を旗印にする公明党の動向がカギとなるであろう。

もし、国民投票になるとすると過半数で憲法改正が成立する。イギリスとの違いは、イギリスの国民投票に法的拘束力はないが、日本の憲法改正の国民投票は、その法的手続き上、法的拘束力を持ち確定するので、その時点で憲法の改正は確定し、後戻りができないことである。このことを国民は理解しているであろうか。その決まりは、以下のようになる。

日本国憲法第96条は、第1項で「この憲法の改正は、各議院の総議員の3分の2以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行われる投票において、その過半数の賛成を必要とする。」と規定し、第2項で「憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体をなすものとして、直ちにこれを公布する。」と規定している。

この憲法第96条に定める日本国憲法の改正に関する手続を内容とする「日本国憲法の改正手続に関する法律(憲法改正国民投票法)」が、2010年5月18日に施行されている。また、同法の一部を改正する法律が、2014年年6月20日に公布・施行された。その具体的な手続きに関しては「日本国憲法の改正手続に関する法律施行令(国民投票法(憲法改正手続法))」(平成22年政令第135号)及び「日本国憲法の改正手続に関する法律施行規則」(平成22年総務省令第61号)で規定している。

これによれば、憲法改正国民投票法126条に、

第1項 国民投票において、憲法改正案に対する賛成の投票の数が第98条第2項に規定する投票総数の2分の1を超えた場合は、当該憲法改正について日本国憲法第96条第1項の国民の承認があったものとする。

第2項 首相は、第98条第2項の規定により、憲法改正案に対する賛成の投票の数が同項に規定する投票総数の2分の1を超える旨の通知を受けたときは、直ちに当該憲法改正の公布のための手続きをとらなければならない。

とある。

つまり、有効投票総数(白票等無効票を除く賛成票と反対票の合計)の過半数の賛成で憲法改正案は成立するわけである。

着目すべきは、この憲法改正国民投票において、最低投票率制度は設けられていないことである。投票の棄権を憲法改正賛成(の事実上の白紙委任状)ととるか、賛成・反対の二者択一であっても、消極的反対(積極的賛成ではない)ととるかは為政者の立ち位置の問題であるが、最低投票率制度を設けていないのは、改憲支持派にかなり有利であり、現行憲法の重みを考えない人々の思いが良く分かる。

改憲を望んでいる為政者である与党自民党が、憲法改正と言う極めて重要な国民投票であるにも関わらず、最低投票率制度を設けないという、あえて改憲支持派に有利なルールとすることは当然と言えば当然ではあるのだが。

今回の参議院選挙では、安倍総裁は、改憲支持派で3分の2の議席を占めることを最優先目標として、意図的に選挙では憲法改正を争点にしていない。

しかしながら、3分の2の議席を取れば改憲を持ち出すのは当然なので、政治家としての姑息の極みと捉えるか、祖父以来の自民党の祈願を成就する千載一遇の機会を失いたくない(今回の参議院選挙で憲法改正を争点とすると3分の2を取れないと踏んでいたのであろう)ので、国民投票の前に、その機会を失うリスクを取るのではなく、過半数で良く、イギリスの国民投票が示したような勢いと感情に流され投票し、結果後悔するような、安倍総裁のお得意であるポピュリズムが効く国民投票に賭けると言う慎重かつしたたかな岸家の政治家と捉えるかは、読者の判断に任せたい。

その一方で、集団的自衛権を容認する側に回ったことで改憲勢力とみなされ、「平和の党」としての存在を問われることに直面している与党公明党の山口代表が、投票日の前日に、「いま直ちに9条改正する必要はない」 と表明し、今回の選挙において憲法改正が争点であることを明示したことに、安倍総裁には全く感じない政治家としての矜持を感じるか、投票前日の選挙対策ととるかは読者の判断であるが、「いま直ちに」という但し書きをつけるあたりに、山口代表の老獪さを感じるのは私だけであろうか。

このような背景の中で、イギリスでの国民投票実施が引き起こした問題を、学習すべき前例として、国民投票の前に、憲法改正とは如何なることかを理解し、その為の知識を得て、国民レベルで活発な議論を交わし、国民投票後の混乱を避け、国民の総意として後悔の少ない選択を行うことができるのかを議論することが本稿の果敢な試みである。

イギリスのEU離脱の国民投票と比較してみよう。イギリスのEU離脱派の目論見が国家の「完全な主権の回復」の為であるとすると、日本の改憲派の目論見は、「Japan bashing(日本叩き)」⇒「Japan passing(日本素通り)」⇒「Japan nothing(日本無視)」と下がり続ける国際社会における日本の存在感の中で、自民党の悲願である自主憲法を制定し、「国家の威信の回復」をする為であろうか。

その為に、中国との緊張関係をことさらに利用し、古典的にナショナリズムを煽り国民に一致団結と国威発揚(菅官房長官は「国家の威信にかかわる」という表現を使う)を呼び掛けているのが現状であろうか。集団的自衛権は、アメリカによる圧力もあるが、それを使って、憲法9条の改正を現行憲法の根本的改正の突破口にしようとしているだけであろう。

国家間の結束と相互依存の持続的強化を引き起こすグローバル化のなかで、このような極めて、古典的な一国主義を強行するとなると、その是非の議論を尽くすことはできないが、少なくとも憲法を改正することによるベネフィットとリスク(コスト)を提示しなければ国民は改憲の是非の冷静な判断ができない。

改憲派は、中国との周辺有事(資本市場の制裁が明白な中で、米中日にとって、日中の全面有事は現実的とは到底思えない)の抑止効果しかのべないが、当然、改憲の選択はバラ色ではないので、改憲派にも、せめてEU離脱派のボリス・ジョンソン前ロンドン市長の「経済での目先の不利益は主権回復に必要なコストで、長期的には離脱が国益にかなうはずだ」程度のことは言って欲しいものである。もし、「できれば」の話であるが。

しかし、野党のみならず、マスコミも、憲法9条改正について、戦争に巻き込まれ、徴兵制が始まる等という扇情的なことは挙げるが、イギリスのEU離脱で議論されたような現実的なリスク(と現実に離脱派が過半数を占めたことによって発生した急激なポンド安などのコスト)については多くを語らない。このマスコミの姿勢は問題であろう。しかし、もし、マスコミがそれを提示すると中立ではないと称して圧力をかけるであろうことが容易に想像のつく菅・安倍内閣の戦前的体質の問題はもっと大きいと言える。

繰り返しになるが、国民投票で、国民の冷静な判断を仰ぐのであれば、改憲賛成と反対の選択肢がもたらすベネフィットとリスク(コスト)を明示するべきであろう。本来は、手術をする医師のように安倍総裁が選択肢の判断材料として国民に改憲支持と反対のベネフィットとリスク(コスト)を提示すべきであろうが、安倍総裁は、改憲しか頭にないので、それは望むべくもない。今の政治家は、医者ではなく、できの悪い祈祷師と同じであるので仕方がないのではあるが。

ここでは、いわゆる「改憲4党」が議席の3分の2以上を獲得したことを受けて、改憲した場合のベネフィットとリスク(コスト)を考えてみたい。紙面の都合もあるので、改憲しない場合のリスクとベネフィットは自民党の改憲派にお任せしたい。

自民党の考える改憲のベネフィットとはなにか。憲法9条の改正は仮想敵国である中国(と北朝鮮)への抑止となる(かは、はなはだ怪しいが)とは表向きであり、本当の目先のベネフィットは、集団的自衛権の容認による現行憲法9条とのかい離を現実に近い形に修正する(公明党のスタンスは、集団的自衛権は現行の9条の解釈で可能であるとしている)ことを口実として、防衛予算を拡充し(その財源は明らかにされていないが)、軍事産業や大学での軍事技術開発にかかっている軛を解き、自民党として大手を振って軍事産業(ロボットも軍需産業に組み込める)を輸出産業として後押し(補正予算と優遇税制か)することであろうか。

自動車産業(10年先を考えると、HVに特化した故に、EVで遅れを取る日本の自動車メーカの優位性は怪しい)以外に希望を持てる輸出産業を見いだせない日本にとって大きな産業振興の旗印であろう。雇用の拡大は定かではないが、機密性があるので、輸出力のある産業ではある。

しかし、唯一の被爆国で戦争反対が売りである日本が、軍需産業を強化することを世界がどう評価するかは興味の湧くところである。少なくとも、外交政策のスタンスは変えざるを得ないであろう。これらは、日本にとって長期にわたるリスク(コスト)となるであろう。

憲法改正は、イギリスのEU離脱と同じ短期のリスク(コスト)が発生する可能性がある。憲法9条の改正(どう言い訳をしても、現行の憲法9条を捨てるのであるから、好戦的になると言うことになる)を行うと、国内の政治情勢も鑑みると中国が渡りに船と強硬な姿勢に出ることは容易に想像がつく。それが、不買や日本への渡航制限にまで発展するかは定かではないが、外交的に中国はこのカードを使うであろう。

それが、国会両院での憲法改正原案の可決時点(憲法審査会や党による憲法改正項目の確定、憲法改正原案の提出・発議、両院での憲法改正原案の審議・採決というプロセスがある)に起こるか、国民投票の結果が出た後に起こるかは分からないが、日本企業と地方経済にとっては大きな痛手であろう。これを「想定外」といって有権者は納得するのであろうか。イギリスの例を見るに、納得ではなく後悔になるのではないか。

韓国はそれ以上に強硬かもしれないので、友好関係は崩れるであろうが、経済的な影響は限定的であろう。この時点では、南シナ海での中国との緊張関係からして、東南アジア諸国からの大きなネガティブ・リアクションはなかろう。憲法9条の改正を受けて、国際資本市場が、日本の買いに動くことは当然ないが、織り込み済みとして大きな売りも行わないのではないか。

後編では、引き続き自民党の草案に基づく改憲を進めた場合のベネフィットとリスク、そして国民投票に至った場合想定される結果のパターンを検討する)

イギリスでは、国民投票の再度実施を求める署名が400万人を超え、これに対して政府は、やり直しの請願を正式に拒否したそうであるが、依然、離脱の決定権は国会議員が握っている(国会議員の3分の2の賛成で離脱の是非を問う総選挙が可能である)。しかし、日本の憲法改正の国民投票では、改正支持派が過半数を超えれば、その結果は、国会議員の手を離れて自動的に決定される。手続き上は、衆議院と参議院の両院で与党支持派が、3分の2を超えれば、再度憲法改正の国民投票が可能であるが、これは、現実的な想定とは言えないであろう。故に、安倍総裁は、今回の選挙で、議席の3分の2獲得の為に憲法改正を争点から外していたわけである。

山口代表は、BS朝日の番組で、「政府で平和安全法制(安全保障法制)をつくって現行憲法に基づいてギリギリの解釈を定めた。それ以上の武力行使をやるんだったら憲法改正しかないというところまでつくった。平和安全法制が現行憲法の下でどれだけこの国を守り、国際貢献に役立つのかをしっかり見ていく必要がある。いま直ちに9条を改正する必要はない。9条をきちんと維持していくのが基本だ。」と述べた。(http://www.asahi.com/articles/ASJ793SQVJ79UTFK001.html

詳しくは、「いま、公明党が考えていること」(佐藤優・山口那津男、潮新書、2016年)を参照。

急速な無人化が進む近代兵器の領域において、日本の軍事企業が、競争優位を持っているとは言い難いのが現状ではあろう。

3分の2の議席を確保していると言え、両院での投票にあたって、党拘束として賛成投票の強制はできないので、いわゆる「改憲4党」の議員全員が賛成に票を投じるとは限らないことが想定される。

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