国連人種差別撤廃委員会の日本審査が、スイスのジュネーブのパレ・ウィルソン(国連人権高等弁務官事務所が入っている建物)で行われたのは8月19日、20日。その傍聴を終えた私はポーランドのクラクフへ向かった。市の中心部から少し離れたところにシンドラー博物館がある。ユダヤ人約1200人をホロコーストから救った「シンドラーのリスト」で知られる人物の名前を冠した戦争博物館だ。ナチス・ドイツがポーランドに侵攻したのは1939年9月1日。第2次世界大戦の勃発として世界史に記録されている。
当時、クラクフの中央広場にはナチス党のシンボルであるハーケンクロイツの垂れ幕があちこちに掲示された。レジスタンスの武器など、博物館の展示をたどっていると、あるポスターに眼がとまった。そこには「ユダヤ人はシラミだ」と書かれていた。ナチスが市電や公園に掲示した「ユダヤ人お断り」の看板もあった。ゲットーへの囲い込み、アウシュビッツなどでの大虐殺への出発点である。日本は、いま「この段階にある」――私はそう思った。他民族を排撃するヘイトスピーチ(差別煽動=せんどう=表現)だけではない。サッカー会場に掲げられ社会問題となった「Japanese Only」の垂れ幕などが頭をよぎった。
人種差別撤廃委員会の日本審査がはじまる直前に、日本のNGOから委員たちに対して非公式のブリーフィングが行われた。日本で行われているヘイトスピーチを5分ほどにまとめた映像を委員たちが食い入るように見つめている姿は印象的だった。「朝鮮人はゴキブリだ」「鶴橋(大阪のコリアンが多く住む地区)大虐殺をやりますよ」などなど、そこには醜悪な差別の現場が映し出されていた。
審査ではこの映像の感想をふくめ、多くの委員から日本政府に対する厳しい意見が語られた。いくつかの意見を紹介する。「憲法の枠内で人種差別撤廃条約を実施することだ」「ヘイトスピーチに対応することは表現の自由に抵触しない」(バスケス委員 米国)、「暴力の煽動は表現の自由ではなく暴力だ」「暴力の唱導は表現の自由とは区別できる」(ディアコヌ委員 ルーマニア)。「重大な人種差別はないというが、日本はそれほど明るい状況ではない」(ファン委員 中国)。デモの状況については「加害者に警察が付き添っているように見える」「ほとんどの国では逮捕、連行し、収監するはずだ」(ユエン委員 モーリシャス)という厳しい意見もあった。
■「日本政府は現実無視」
日本審査の結果を受けて、人種差別撤廃委員会は8月29日に「最終見解」を公表、「包括的な人種差別禁止法」の制定を求めた。日本の報道ではヘイトスピーチ問題に重点が置かれたが、審査は、実は多岐にわたっている。ヘイトスピーチ問題についで取り上げられたのは、朝鮮高校が授業料無償化から排除されている問題だった。さらに日本の先住民であるアイヌ民族や琉球・沖縄問題、部落問題、在日コリアン、移住者、難民などでも日本政府に対して厳しい勧告が行われたのである。日本政府の対応が遅れているというだけでない。ナチス・ドイツなど全体主義の時代経験をふまえ、戦後確立された国際人権基準から判断しても、日本の現状は危険だということである。委員の厳しい問いに対する日本政府の答弁を聞いていると、「現実の無視」という言葉が浮かんだ。日本審査は2001年と10年についで3度目だ。「私たちは満足のいく答えを聞くまで、同じ質問を繰り返さざるをえません」と語ったユエン委員の発言に、すべてがこめられていた。
日本政府は勧告が出されても「馬耳東風」「馬の耳に念仏」。何事もなかったかのようである。わずかな動きといえば、政権与党である自民党と公明党に、それぞれヘイトスピーチ・プロジェクトチーム(PT)が作られたことだ。ただし現実からの要請に比べれば、まだ出発点に立った以上のものではない。自民党PTの最初の会議で、国会前のデモを規制するべきだという意見が出たのは象徴的だ。のちに撤回されたとはいえ、ヘイトスピーチの意味さえ理解されていない。国会では2013年3月から3度にわたってヘイトスピーチに抗議する集会が開かれ、さらに「ヘイトスピーチ研究会」が開催された。その延長で2014年4月には、超党派で「人種差別撤廃基本法を求める議員連盟」(小川敏夫会長)が結成された。日本が人種差別撤廃条約に加入したのは1995年。1965年に条約が国連で採択されてから30年後のことであった。それからさらに20年近く。日本政府は条約を国内で具体化することを怠ってきた。まさに人権後進国と指摘されても仕方ない状況が続いている。
ヘイトスピーチは在特会などがハーケンクロイツ旗を掲げて街頭で行っているだけではない。ネット上ではさらに醜悪な差別と攻撃が個人をターゲットに匿名で行われている。日本社会は閉塞感(へいそくかん)を深めている。町場でも気に食わない相手に向かって「売国奴」「国賊」といった悪罵が投げつけられる。週刊誌までがそんな言葉を平然と使用する。まるで戦前や戦中の日本のような気配が広がっている。戦後70年になる日本でこれほどの悪気流が流れる時代はなかった。私たちは危険で恥ずべき時代に生きている。打開の道はどこにあるのか。差別に反対する行動には若い世代が増えている。とくに女性が敏感に政治に声を出しつつある。日本が国際人権基準に向かう道筋は、人間の尊厳を基本に置く社会を築く課題なのである。
(2014年11月14日AJWフォーラムより転載)