NHKの朝ドラに異変が。「マッサン」の第8週週間平均視聴率が、19.3%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)を記録し話題を集めています。というのも、「ごちそうさん」から「花子とアン」まで、すべての週で週間平均は20%超えだったから。つまり、「あまちゃん」以来の20%割れ、らしい。
ではなぜ、「マッサン」の視聴率が落ちてきたのでしょうか?
原因を分析する声が、あちらこちらから聞こえます。多くの人は、「遅々として進まない展開」にイライラしているもよう。簡単に言えば、開始から2ヶ月たってもウイスキー作りに飛び込んでいかない、煮え切らない主人公に幻滅、そんな意見が目につきます。
たしかに、ストーリー展開の遅さは視聴者離れの一因かも。けれども、もっと別の要因もあるのでは?
ちょうど2日ほど前、ユネスコは「和紙 日本の手漉(てすき)和紙技術」を無形文化遺産に登録することを決めました。丁寧なモノ作り、職人仕事の価値再発見。今、世界的に再評価されているタイミングです。
一般的に、「職人」という言葉から受けるイメージは......自分の仕事に信念を持ち、謙虚で、努力家。コツコツと仕事をし、人が見ていないところでも自分自身の課題に向かって工夫を重ねる。寡黙で、問題を誰かのせいにしたりしない......。
では、「マッサン」は? 問題の所在が見えてこないでしょうか?
ご存じのように、主人公のモデルは、「ウイスキーの父」と呼ばれたニッカウヰスキー創業者・竹鶴政孝。まさにモノ作りの象徴の一人です。ところが、このドラマではその人物の描き方が、私たちが抱く「職人」のイメージや期待感と、大きなズレを生んでいるのです。
玉山鉄二演じるマッサン・亀山政春は、ろくに働かない。昼まで家でぐだぐた。家賃は払わずに滞納。ご都合主義で突然、小説家になるとか、パン屋になるとか言い出す。
ウイスキー作りに目覚め、本場・スコットランドで本格的に修業してきた人であれば、モノ作りの大変さやその魅力、凄さや深さを知っているはず。そう簡単に、「パン屋になってみよう」などと言うでしょうか? 他の職人仕事をリスペクトし、思いつきでモノ作りができるなんて甘い考えは持たない、ばずでは?
それだけではありません。ウイスキー作りが本当にやりたい仕事なのかどうか、今一つ伝わってこないのです。もし、真剣にウイスキーが作りたいのなら、可能性が少しでもある場所へ出向いて自分からその職に食らいつくはず。頭を下げるはず。ところが、マッサンはせっかくのオファーにもいろいろ文句や難点をみつけて、仕事をしようとしない。
時に、ウイスキー作りをあきらめて実家に戻ろうと考えたりする。しかしその割には、実家の日本酒造りに対してもリスペクトや敬愛が感じられない。最も身近な「モノ作り」の現場に対してすら、見下げたような態度。そんな人物が、モノ作りの担い手として輝いて見えるでしょうか?
今、世界から注目を浴び再評価されている日本の「モノ作り」の価値。そこから見えてくる、日本の職人の特徴や学ぶべき厳しさ、謙虚さ、美点といったようなものが、とても残念なことに、「マッサン」から漂ってこないのです。
高倉健さんが亡くなって日本中が嘆いているのは、いわば、一人の俳優という「職人」を失った喪失感からではないでしょうか? 真面目に物事をコツコツと積み重ねて丹念に仕事をする人物が、失われていくことへの嘆き。高い課題に常に向かっているからこそ滲み出てくる謙虚さを、見られなくなることへの悲しさ。優れた「職人」が、また一人いなくなることへの危機感。
「マッサン」という国民的ドラマが、今こそ描くべきは、「モノ作り」「職人」たちが教えてくれる本当の意味と価値、そして現代における可能性ではないでしょうか。