「安心して死を迎えられる場所を」銀木犀の下河原忠道さんに聞く、これからの介護

これからの介護や看取りのありかたとは?

高齢者施設には、重度の介護が必要な方が入る「特別養護老人ホーム」や、中軽度の認知症の方が少人数で暮らす「グループホーム」など、いくつかの種類がある。その中でも最近増えてきているのが、賃貸でありながら必要に応じて、介護や医療、食事などのサービスを受けることができる「サービス付き高齢者向け住宅」(サ高住)だ。

千葉県や東京都を中心に展開する、サービス付き高齢者向け住宅「銀木犀」には、車椅子で生活している人もいれば、認知症がかなり進んだ人のほか、犬と一緒に暮らす人たちもいる。なんだかみんなニコニコ楽しそうだ。

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高齢者たちから「できることを取り上げない」と語るのが、銀木犀を運営している株式会社シルバーウッド・代表取締役の下河原忠道さんだ。最期のときまで楽しく暮らせる高齢者住宅とは? 2015年、アジア太平洋高齢者ケア・イノベーション・アワードでアジア最優秀賞を受賞した下河原さんに、サ高住について聞いた前編に続き、介護ビジネスを始めたきっかけや、これからの高齢者施設や看取りのありかたについて話を聞いた。

シルバーウッドの下河原忠道さん。一緒にいるのは銀木犀のセラピードッグ

■高齢者の施設、お手本にしたのはデンマーク

下河原さんが代表を務める株式会社シルバーウッドは、もともとは建築会社。スチールパネル工法という低予算で早く建てられる独自の構造技術を開発し、その技術を使ってお店や住宅を建てていた。サービス付き高齢者向け住宅の運営にも乗り出したのが4年前。たまたま高齢者住宅の建築を手がけたことがきっかけだったとか。

「その時に、世界中の高齢者施設を視察して回ったんですが、欧米では老人ホームなどの“高齢者施設”ではなく、“高齢者住宅”が多かったんです。特にデンマークでは80年代くらいから、高齢者施設はやめて、高齢者住宅を作っていこうという方針を国が打ち出していたんですね」

「高齢者住宅は、デンマークではプライエボーリと呼ばれ、残っている能力を活用して自立した生活を続けてもらう場所になっています。高齢者は家にいるのと同じように自由に、自立した生活を送っていました。その考えかたが僕は気に入って、自分もこれをやろうと銀木犀を作ったんです」

2000年代後半の日本には、高齢者住宅というものはほとんどなかったという。高齢者に部屋を貸して、そこで食事や介護の提供、生活相談などを受けている施設が出来始めてはいたが、そういった施設は「無届けホーム」と呼ばれ、問題になっていた。当時は、そういった施設はすべて「老人ホーム」としての届け出を出さなければならなかった。

その後、国土交通省の主導で「サービス付き高齢者向け住宅」(サ高住)の登録制度が整い、建築費の補助も出るようになったことが転機となり、サ高住が徐々に増えていった。

独自の構造技術「スチールパネル工法」の説明をする下河原さん

■「できることを取り上げるな」残っている力を生かして自立した生活を

銀木犀では、車椅子で生活している人もいれば、認知症がかなり進んだ人もいるなど、介護の必要性も、持っている病気や症状もさまざまだ。入居者一人ひとりの状態に合わせて、過度な医療行為や介護はせず、それぞれの人の持っている力で最後まで生きることをサポートする。

「僕がいつもスタッフに言うのは、『できることを取り上げるな』ということです。本人がやろうとしているのに、忙しいからと奪ってしまうのはやめようと。できるまで、時間がかかっても待つようにします。それには入居者本人にもがんばってもらわなければいけない。うちでは、体が元気な入居者が、車椅子の入居者を迎えにいって、一緒に食事に来たりもするんです」

また、銀木犀では、高齢者たちが「やりがい」や「生きがい」を持つことへの後押しもする。

「自立支援が僕らのテーマなので、入居者の方にやりたいことがあればサポートします。ドラム・コミュニケーション・プログラムという、認知症ケアのためのオリジナルのプログラムを定期的に開いているんですが、先日は、このプログラムの参加者たちでステージに立ちました。敬老会のステージで、普通は見る側なんですが(笑)。そういうところに出演するというのが、ひとつの目標になり、生きがいになるんです」

敬老会のステージでドラムを披露する入居者たち

このドラム・コミュニケーション・プログラムは、東北大学の川島隆太教授と銀木犀が産学連携で共同開発したもの。ファシリテーターの掛け声で、参会者の皆が思い思いにドラムを叩くこのプログラム。例えば、両手で叩いたり、片手しか動かせないなら片手で叩いたりと、それぞれの体の状態に合わせて、自分のペースで無理なく参加できる。誰でも達成感を感じやすく、認知症の進行を遅らせることに効果が高いと言われている。

ドラム・コミュニケーション・プログラムに参加する入居者のおばあちゃん

■やりたいことなら、駄菓子屋だって居酒屋だってできる

自分のやりがいや生きがいを持ち続けることが、健康寿命を延ばすために重要だと考えている下河原さん。銀木犀には、さまざまなアクティビティが充実している。

銀木犀<薬園台>には、食堂の横に陶芸のためのスペースがあり、そこには作った作品を焼くための釜もある。この夏から、陶芸療法士により本格的な制作活動が始まり、将来的には製作した商品を販売することを目指しているとか。そのほか、食堂の一角にカラオケの機材が設置されており、ヨガのレッスンや映画の上映会が定期的に行われているなど、楽しいアクティビティが充実している。

また、銀木犀<薬園台>には、夕方になるとエントランスに駄菓子屋がオープンする。入居者のおばあちゃんの「駄菓子屋やりたい」という声で、駄菓子屋をスタート。毎日、近所に住む多くの子供達が訪れるという。

「銀木犀では、やりたいことがあれば何でもできますよ。自立支援なんて言うと上から目線だね(笑)。『それ面白そうだから、やろうぜ』みたいな感じです。先日も、鎌ヶ谷で立ち飲み屋をオープンさせたいっていうおじいちゃんがいたので、そういう仕事をしてきた方らしいんですが、今、庭にお店を作っていますよ」

銀木犀<西新井大師>では、男性入居者が集まる飲み会「居酒屋銀ちゃん」を週1回で開催しているのだとか。入居者の写真を見せてもらうと、どの写真も、おじいちゃん、おばあちゃん達がニコニコしていて楽しそうなのが印象的。下河原さんの話を聞くうちに、「高齢者のための住宅」という勝手に抱いていたイメージはどんどん崩れていった。

銀木犀<西新井大師>の駄菓子屋には地域の子供たちが訪れる

■老衰で亡くなることを支えるのがミッション

下河原さんが銀木犀を作る前に、海外を視察して感じたもうひとつの重要な点が、高齢者に対する延命治療だ。

「日本の場合、医療技術が進んでいることもあり、高齢者に対して過度な医療行為が行われているきらいがありました。だけど一方で、日本の高齢者の方からは延命治療はしてほしくないという声を聞く。日本以外では、高齢者に対して、胃に穴を開けて栄養を流し込んだり、人工呼吸器などを付けるような延命治療を行っている国はありませんでした。なぜ日本だけがそういうことになるのか、そこにイノベーションを起こそうと考えました。」

ただし、日本がこうなっているのは、病院だけが悪いわけではないと下河原さんは語る。

「病院って、命の生存期間を延ばすための場所ですよね。そこに担ぎ込まれてきた人が90歳でも100歳でも、医師や看護師は延命せざるを得ない。そこに担ぎ込んでいるのは、我々国民一人ひとりなんです。これまでは高齢者施設でも、最後に責任を取りたくないから救急車を呼んじゃっていました。でも、ここ銀木犀では、過度な医療をせず、過度な介護もせず、自分の力で亡くなっていく。それを支えるのがミッションだと考えています」

銀木犀でも、例えば脳梗塞で倒れたり、転倒して骨折したりするなど入院する人はいる。しかし、早く退院できるようにスタッフがサポートするのだという。

「あるおばあちゃんが骨折して入院しちゃって、もう銀木犀に戻るのは無理だろうと家族が決めて、療養病床に移すことにしたんです。でも我々は、そのおばあちゃんが、銀木犀で死にたいと強く希望していたのを知っていたので、それを改めて家族に伝えました」

銀木犀に戻ってきたおばあちゃんは、それから数ヶ月経った今、銀木犀の自分の部屋で、まもなく静かに生涯を終えようとしている。

■看取りは「本人の頑張りを見届けるだけ」

たしかに、住み慣れた場所で死を迎えるのは理想的かもしれない。しかし、老衰で亡くなる方を見届けるのは、並大抵の覚悟ではできないことだろう。

「もちろん延命治療はしないということを、最初に、ご本人にも家族の方にも説明して理解していただき、コンセンサスが取れていることが前提です。スタッフ全員に対しては、毎月看取りに関する研修を行っています。でも、老衰で亡くなるのを支えるということは、物理的に大変なことではないんです」

「さっきもお医者さんが来ていたでしょう。今もここに、看取りの段階の方が何人かいるので、定期的に来てくれて、容態の急変が無いか、痛みが無いように最期を迎えられるか、あと何日くらいなのかなどを診てくれています。でも、お医者さんも僕らも特にやることはないんです。本人の頑張りを見届けるだけですね。」

この段階で大事なのは、本人へのケアよりも家族へのフォローだ。

「看取りの段階に入ると、家族の方にはより具体的に、在宅療養支援診療所のドクターも交え、その後の体調の変化などお伝えします。それを知って、遠くにいる家族が会いにきてくれたりします」

そして、銀木犀では入居者が亡くなると、お別れのセレモニーを行う。その方が好きだった音楽をかけたり、シャンパンを開けて乾杯し、みんなで花を手向け、最後は玄関から拍手で明るく見送る。

「死って、誰にでも必ず訪れるものですよね。もちろん寂しいことではあるけど、あらためて感謝を感じるのが、死だと思うんです。だから、僕らは明るく送り出します。そのほうが職員も家族もしっくりくるし、他の入居者も『私の時もよろしくね!』ってなるでしょ」

みんなで見送る、お別れのセレモニー

■安心して死を迎えられる場所を目指して

日本では1976年頃までは、自宅で死ぬ人のほうが多かったが、それを境に、病院で死ぬ人のほうが増えていった。一方、厚生労働省の調べでは、今でも住み慣れた自宅で最期を迎えたいという人が多いという。

「こういう歴史を振り返った時に、僕は住み慣れた家で死ぬ人が多くなるべきだと思っていて。住み慣れた家といっても、今は昔とは生活スタイルも違うので、こういう高齢者住宅ができてきたんだと思うんです。ここで、過度な医療行為をせずに、老衰という形で最期を迎える。そういう文化が戻ってくれば、きっともっと死というものを身近に感じられるはずです」

日本では少子高齢化が進み、医療や介護、年金などの社会保障費は、この20年で約3倍に増加している。そんな日本の現状を考えても、過剰な医療行為をしないという考えかたに、国民一人ひとりが意識を変えていく必要があると下河原さんは言う。

「延命治療というのは、もう終わろうとしているエンジンにガソリンをどんどんつぎ込んでいるようなもの。家族をはじめ周りの人たちも、『なんでこんなことをやっているんだろう』と疑問が生まれてきちゃうと思うんですよ」

銀木犀に入居した高齢者は、1年、2年と暮らしているうちに、一緒に入居している仲間やスタッフが、本当の家族以上に家族のような存在になっていくという。

「明日死ぬかもしれないという方が入居してくる場合もありますが、入居する段階で、ご本人にも家族にも、うちはそういうことをしないよと。その代わり、最後まで楽しく生活することはできますということを説明し、覚悟してもらいます。そうすることで、いよいよという状態になっても慌てふためくことはない。無駄な社会保障費を使うこともありません」

病院ではなく、家と同じように安心して暮らせる環境で静かに死を迎えたい。そんな現代の高齢者の思いを受け入れる高齢者住宅が近くにあったら、一人ひとりの「私はいったいどこで死ぬんだろう」という不安が、少しは軽くなるだろう。

「安心して死ねる場所が自宅の近所にあったら、その地域に安心して住み続けられますよね。最後は銀木犀に行けばいいんだ、と。そういうサ高住が全国に増えていけばいいなと思います」

下河原さんは、「理想を言えば、愛する我が家で最期を迎えられるのがいちばんいい」そういって笑った。

(取材・文 相馬由子)

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