ハワイにやって来たその神父は、 患者を救い、自身も発症し…そして聖人になった。

彼は、患者たちのケアに全身全霊を捧げ、自らもハンセン病を発症し、カラウパパでその生涯を閉じました。
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アメリカ・ルイジアナ州カーヴィル療養所で暮らすペリー・エンリケスさんと筆者(右)
日本財団

1941年、プロミンによる治療が、アメリカ、ルイジアナ州のカーヴィル療養所でスタートしました。世界で初めて実効性の高いハンセン病治療法でした。このことによってカーヴィルは、ハンセン病の歴史に、その名を刻むことになります。プロミンは「カーヴィルの奇跡」と呼ばれ、世界中の患者たちに希望を与えました。

私が初めてカーヴィルを訪問したのは2009年のことです。閉鎖後十年を経ていましたが、そこではまだ13人のハンセン病の回復者が生活していました。その中には、当時、101歳の世界最高齢のハンセン病回復者、ペリー・エンリケスもいました。回復者、すなわち病気が完治した人々であっても、家族との絆が断ち切られ、他に行くところがなかったため、カーヴィルで暮らすしかない人が多かったのです。彼らは、身元を隠すため、本来の名前を捨て、他の名を名乗ることが普通でした。患者の名前が知られることで、本人だけでなく家族までも差別される可能性があったためです。それは、カーヴィルだけでなく、世界中の多くのハンセン病施設で行われていた慣習でした。

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カービル療養所の開設した1894年当初、患者はニューオリンズ川を小船に引かれたバージ(石炭や木材等を運ぶ箱型の船)でこの川岸まで運ばれ、入所していった。
日本財団

アメリカ合衆国には、ハンセン病の歴史に名を残すもう一つの施設があります。ハワイ諸島のモロカイ島にあるカラウパパ療養所です。1866年に、三方を海に囲まれ、残る一方を断崖で遮断されたカラウパパ半島に建設されました。1969年までに、合計約8000人の患者が収容されました。現在、13人がカラウパパを自らの住まいとして暮らしています。

当初、家族から切り離された患者たちは、ほとんど支援のない中、自らの力で教会を組織し、食糧を確保するなど逆境に立ち向かい、生活環境を整えていきました。そして1873年にはベルギーからダミアン神父(1840-89)がやって来ます。彼は、患者たちのケアに全身全霊を捧げ、自らもハンセン病を発症し、カラウパパでその生涯を閉じました。

当時、ハンセン病は性感染症と混同され、「ふしだらな病気」であるという偏見があり、その患者でもあったダミアン神父の功績を認めないとする意見も強かったようです。しかし、神父の死の1年後にカラウパパを訪問した、『宝島』や『ジキル博士とハイド氏』で知られる英国の作家、ロバート・ルイス・スティーヴンソンが神父の業績を知り、これを高く評価して広く紹介したことにより、ダミアン神父の汚名はそそがれました。ダミアン神父の遺志は、マリア・マリアンヌ・コープ(1838-1932)によって引き継がれます。彼女も人々から慕われ、多くの尊敬を集めました。

1944年には、ダミアン神父とその盟友だったアメリカ人修道士ダットンの名を記念し、ニューヨークでハンセン病制圧のための非営利組織「ダミアン・ダットン協会」が設立され、1953年にダミアン・ダットン賞が創設されました。1999年には、デヴィット・ウエナムがダミアン神父を演じた映画「Molokai: The Story of Father Damien」が公開されています。

また2003年には、数多くの患者、回復者、そしてその家族たちによるカラウパパへの貢献を記憶にとどめるため、「カラウパパ家族の会」が組織され、その歴史の検証が始まっています。

2009年には、教皇ベネディクト16世によって、ダミアン神父は聖人の列に加えられました。この年には、オバマ大統領の署名により、「カラウパパ・メモリアル法」が成立し、カラウパパに収容された8000人全員の名を刻んだ記念碑が建立されることも決まりました。2012年には、マリア・マリアンヌ・コープも聖人の列に加えられました。