財務省セクハラ事件 日本的取材慣行見直しを

背景には日本の記者の取材スタイルがある。
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財務省 出典)財務省Facebook

安倍宏行(Japan In-depth編集長・ジャーナリスト)

【まとめ】

「取材源(情報源)の秘匿」は、死守すべきジャーナリズムの鉄則。

・「夜討ち朝駆け」や「番記者」・「記者クラブ」等の日本的取材慣行は時代に逆行。

・メディアが取材手法を変えない限り、セクハラなどの問題は無くならない。

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報道機関で取材活動に従事する記者(ジャーナリスト)にとって、「取材源(情報源)の秘匿」は、死守すべきジャーナリズムの鉄則である。なぜなら、記者と情報提供者の間に「取材源(情報源)を明らかにしない」という信頼関係があるからこそ、情報提供がもたらされるからである。

取材源(情報源)をばらせば、もう二度と情報は取れなくなるだろう。それどころか、取材源(情報源)の身に危険が迫る可能性だとて否定すべくもない。だからこそ、「取材源(情報源)の秘匿」は記者にとって最も重要なものなのだ。

その上で今回の財務省福田淳一前事務次官の問題を考えてみると、なぜ件の記者は録音テープを週刊誌に提供したのか、という疑問が筆者は解消できずにいる。「取材源(情報源)の秘匿」の原則を破ってネタを他社に提供したら、その記者はもう取材を続けることが出来なくなる可能性が高い。相当な覚悟がなければできないだろう。

まだ若いこの記者は上司に相談したが、自社での報道は無理だと言われたという。筆者も数年間テレビ局報道局の管理職だった。もし自分がこの記者の上司だったらどう判断しただろうと考えてみる。まず、当然現場の訴えを上に上げるだろう。その上で、対応を協議したはずだ。記者が持っている録音テープを自社のニュースで報道する、という判断をしたかどうかは正直わからない。しかし、今回記者がテープを他社に持って行ったということは、組織の判断に納得がいかなかった可能性がある。

この部分はあくまで推測でしかないので、これ以上分析しても意味はないが、一つ言えるのは、次官から度々セクハラにあっていた、と訴えている記者を、再び「サシ」の会食に行かせるのは、組織としてどうなのだろう、ということだ。「サシ」とは、一対一で会うことをいう。誰にも言わず一人で「サシ」の会食に行ったのなら上司は知る由もないが、以前からセクハラの事実を知っていたのなら、「誘いがあっても一人では会うな」と指示するとか、仮にその記者がどうしてもその場に行きたいと言ったとしても、「もう一人記者を同行させる」などの対応をとることはできただろう。

ここで別の観点からこの問題を考えてみると、そもそも「サシ」の取材は取材の在り方としてどうなのか、という問題に行きつく。記者という職業は、「ネタ」を取ってきさえすれば「いい記者」と評価される。いわゆる「スクープ記者」として組織において表彰されるのだ。その手段について問われることはない。先に述べた「取材源(情報源)の秘匿」の原則から、記者がそれを明かすことはまず、ない。上司が知っているのは、その「ネタ元」を部下の記者に紹介した場合のみである。そこにこうした「サシ」の取材が生まれる素地がある。

背景には日本の記者の取材スタイルがある。世界の記者の取材方法に精通しているわけではないが、日本の「夜討ち朝駆け」取材はかなり特殊な方ではないか?それに加え「番記者」システムがある。どちらも、取材対象者と仲良くなり、ネタをもらいやすくするために自然と日本に根付いた。

このシステムは、政治部だろうが社会部だろうが、今回の経済部であろうが、どこの取材現場でも取られている。朝、取材対象者の家に行き、昼間はその人間の記者会見には必ず出席すると共に個人的に追いかける。夜は夜でまた家に行く。招き入れられたら必ず家に上がる。相手が政治家であろうと、官僚であろうと、経済人であろうと、だ。何故ならそれが情報をもらうチャンスになるかもしれないからだ。

それが日本の記者の習性なのだ。一般の人が聞いたら「なんだ、それ?」と思うに違いない。家人がいれば、料理や酒をふるまわれることもある。取材対象者の家や宿舎をはしごすれば、深夜には酩酊状態になることも。そもそも飲まなきゃいい話なのだが、相手に勧められて飲まないのもどうなの、ということで飲む記者が多いだろう。これも聞く人が聞いたら「?」と思うはずだ。

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写真)イメージ図 ©すしぱく

とにかくそうした取材手法が現実問題ある、ということは知っておいていただきたい。その上で考えると、いくつかの疑問が頭をもたげてくる。「そんな非生産的な取材手法でネタを取ることは今の時代、許されるのだろうか?」という疑問だ。社会全体が「働き方改革」にまい進している時に、こうした取材方法は時代に逆行しているのではないだろうか。

私が記者だったのは1992年から2013年までだが、記者は早朝から深夜までずっと拘束されていた。おそらく社会で最も拘束時間が長い職業の一つだろうが、あまりに非人間的ではないのか。最近では夜回りは止めよう、という動きが新聞社やテレビ局でも出てきたというから、メディアの世界も少しずつ変わっているのかもしれないが。

もう一つは「記者クラブ」制度である。常時記者が官公庁や国会に陣取って取材対象者に密着するこの制度も金属疲労を起こしている。大手マスコミの特権として長年批判されてきたこのシステムは、民主党政権の時にかなりオープンになったものの、未だにネットメディアやフリーランスに完全に門戸を開いてはいるとは言えない。「記者クラブ」所属メディアだけに懇談の機会や優先的情報提供があるのは、取材対象との癒着を招きかねない、との指摘に「記者クラブ」所属メディアは反論できないだろう。

今回のような事態を招かないためにも、「記者クラブ」制度は廃止したらよいと思う。取材対象者との距離感がわからなくなるほどの取材手法は避けるべきだろう。個室や密室で、アルコールが入った状態で情報を取ることはNGというルールを、官公庁、政治家、メディアの間に作るべきだ。自宅に押し掛ける取材もNG。基本取材は正式に申し込んで行えばよい。もし個人的な連絡方法を得ることが出来たら、携帯かメールで個別取材すればよい。事実我々のようなフリーランスはそうして毎日取材している。

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写真)囲み取材イメージ図 出典)photo by 禁书 网

今回の事件を受け、取材を受ける側に「ペンス・ルール」が広がる可能性があるが、それは全くのお門違いだと言わせていただく。敬虔なキリスト教徒の米副大統領マイク・ペンス氏が自らに課したと言われるこのルールは、「妻以外の女性と二人きりで食事しない。妻がいない時にはアルコールが供されるイベントには出席しない。」というものだ。もともとは、宗教家ビリー・グラハムが提唱したものだ。女性だけを取材現場から遠ざけてもなんの解決にもならない。

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写真)マイク・ペンス氏 出典)D. Myles Cullen
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写真)ビリー・グラハム氏 出典)Warren K. Leffler

新聞、テレビの人たちからは大いなる反発があろうが、時代は変わったのだ。取材対象が自らインターネットで情報を拡散することが可能な時代だ。相手の「リーク」を期待して夜な夜な酒席に付き合う、などという非生産的な取材手法は即刻廃止すべきだろう。それが取材する側、される側双方にとってベストの選択だ。セクハラをされたくもないし、したと疑われたくもないだろう。

最近は大手メディアの現場も女性管理職が増えてきた。女性記者も年々増えている。今回のテレ朝のケースを奇貨として、メディア各社、新聞協会、民間放送連盟などは真剣に今後の取材手法について議論すべきだ。さもなければ、同じような問題は必ずまた起きる。問題は元を絶たなければ再発するのだ。他人の問題は舌鋒鋭く追及するのに自分たちは何の改革もしない、というのはもはや通用しない。今回の事件をきっかけにメディアがどう変わっていけるか。現場の記者のみならず、世間が注視しているという自覚を各社幹部は持つべきであろう。