自殺をほのめかす歌で逮捕された事件の裁判を描く「裁き」監督インタビュー

果たして歌を歌うだけで罪に問われるべきであるのかという表現の自由に関わる問題と、それだけに留まらず、カースト制の名残を受けたインド社会の差別などの理不尽さをも描き出す秀作だ。

7月8日から公開されるインド映画「裁き」は様々な示唆に富んだ作品だ。ある老人が自殺をほのめかす歌を歌い、それに感化されたと思しき人物が死んだことによって、逮捕されてしまう。果たして歌を歌うだけで罪に問われるべきであるのかという表現の自由に関わる問題と、それだけに留まらず、カースト制の名残を受けたインド社会の差別などの理不尽さをも描き出す秀作だ。

監督は1987年生まれのチャイタニヤ・タームハネー。本作制作時は20代だった気鋭の若手監督だ。ボリウッドは一線を画したリアリティにこだわった作風でインド社会の病巣を的確に切り取っている。タームハネー監督に話を聞いた。

表現の自由はなくてはならないもの

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――この映画は、歌手のカンブレが自殺をほのめかす歌を歌って逮捕されることによって始まりますが、こういう事例が実際にムンバイであったんでしょうか。

チャイタニヤ・タームハネー監督(以下タームハネー):この映画の事例はフィクションです。

歌を禁じる法律が実際にあるわけでないのですが、政府に抗議するような発言をしたら逮捕されてしまうケースもあります。植民地から解放されて民主国家になったにも関わらず、植民地時代の法律が今も有効な場合があって、それらが都度恣意的に利用されることがあるんです。理不尽な法制度はたくさんあって、例えば街中で演劇を行う場合、50箇所ほどの行政機関から許可を得なければいけません。

――事実上、表現の自由はかなり制限されているということですね。

タームハネー:そのとおりです。3年前から右派が政権になって以来、政権に反するような行為に対して余計に厳しくなってきています。

――そういう意味では、この映画の制作はスムーズに行えたのでしょうか。

タームハネー:撮影中は政府はこちらが何を撮っているのか知りませんし、脚本自体も淡々としたものなので、それほど目はつけられませんでした。ただ反テロリスト部隊が、ドキュメンタリーの撮影と勘違いして撮影現場に来て、撮影内容をチェックされたことはありましたね。

――監督にとって表現の自由はどういったものになりますか。

タームハネー:表現の自由をどう定義づけるかは難しい問題です。暴力によって表現する人もいますし、表現の自由というものはとても主観的なものだと思います。しかし、それがあるから多様な考えが生まれるわけですし、それによって人々も多様化していくことができるようになります。だから、世の中には必ずなくてはならないものだと思います。

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個人の思想や慣習が判決に大きな影響を与えている

――この映画は表現の自由をテーマにしているのかなと思って見始めたんですが、それだけに留まらず、インド社会の大きな矛盾を描こうとしていました。本作を企画した際の興味の発端はどこにあったんでしょうか。

タームハネー:一番興味があったのは、裁判所における権威者、人の運命や時には生死を決める人たちも普通の人間であるということでした。それは、彼らの個人的な思想が裁判での決定に影響を及ぼしているということでもあります。

もちろん、彼らも法律に従って仕事をしているのですが、解釈には彼らの個性が反映されてしまいます。それはすごく恐ろしいことだと思ったんです。

裁判所の所長や検事も市井の人間となんら変わらないのですが、だからこそ裁判所で見られる欠点は、ある種社会の欠点の反映なのではないかと考えたのです。

――裁判シーンも非常に面白く描かれていましたが、それと同じくらい弁護士や検事の日常を描くパートも面白く描かれていました。その中からインド社会全体の、空気のように蔓延する問題があぶり出されてくるようで、見事な作品だと思いました。

タームハネー:それこそこの映画で最も描きたかったものです。裁判映画は今までもたくさんあったので、何か新しいアプローチをしてもいいんじゃないかと思っていたんです。

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――歌手のカンブレの弁護を担当する弁護士は上流階級の人間だと思うのですが、彼と対峙する女性の検事はそれより下の階級の人間でしょうか。

タームハネー:彼女は中流階級の人間です。

――なるほど。彼女は差別的な考えを持つ人として描かれていましたが、彼女のような考えは、ムンバイの中流階級の中で一般的なんでしょうか。

タームハネー:そうですね。カースト制が背景にあるのですが、中流階級以上の人は下の人間を差別する傾向にあります。政治観も階級によってそれぞれ異なりますので、彼女のキャラクターにはそれが反映されています。

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――逮捕される歌手であるカンブレは、彼の母語はヒンディー語ではなくマラティー語ですね。この言語を使う人たちはどんな位置づけなんでしょうか。

タームハネー:この映画には4つの言語がでてきます。英語、ヒンディー語、クジャラート語、そしてマラーティー語です。カンブレの第一言語はマラティー語で、インドの公用語は英語で、まマハラシュトラ州はマラーティー語が主な言語となっています。カンブレの弁護士は隣の州出身なので、クジャラート語を話しています。出身やバックグラウンドによって使う言語が違うので、作品にもそれが反映されています。ムンバイで生まれ育った人はマラーティー語を話しますが、ムンバイはニューヨークやロンドンのような国際都市ですので、様々な言語が行き交っています。

――死んでしまった掃除人についてですが、このキャラクターを清掃人に設定した意図はなんでしょうか。

タームハネー:いろいろ調べていくなかで、下水道の清掃人の労働環境の劣悪さについての新聞記事を読んだんです。それが頭に残っていて、脚本を書いていくうちに他の要素は全て決まっていたんですけど、この人物だけ固まっていなくて、その新聞記事のことを思い出してピンときたんです。

――カースト制のなかで清掃人というのは穢れを象徴するような存在で差別される傾向にあると聞いたことがあるのですが。

タームハネー:そうですね。カースト制の中で一番下の階級、ダリト(不可触民)と呼ばれる階級です。差別も受けますし、そもそもああした職業に就くしかない人たちがいること自体、社会に知られていないのです。まるで社会の中に存在しないかのような扱いを受けているんです。