昨今、LGBTなどの動きに代表される「多様性」が注目を集めています。それなのに、「みんな違う」という当たり前を、わたしたちは忘れてしまいがちです。まったく同じ人間なんてこの世に存在しないのに、どうして自分と考えが違うと「変」だと拒絶してしまうのか。
「多様性を生かした会社にしたい」と話すサイボウズ社長の青野慶久に、「人と違うこと、多様であること」について聞きました。
一概に「多様だからみんなハッピー」とは言えないよね
青野:「多様性」と聞いてパッと思ったのは、アメリカという社会です。特に西海岸のサンフランシスコは人種のるつぼ化していて、本当にいろんな人がいるんです。
俺アメリカ人だぜ! って感じの人、アジアの人、ヒスパニックの人、白人も黒人もいるし、インド人もいっぱいいる。そこが世界最先端のITの町になっていることにおもしろさがあると思うんです。
彼らって多分、僕らよりも「違うのが当たり前のところ」で過ごしていて、格差もすごいわけですよ。普通に街中に物乞いの人がいるし、ものすごく広い高級住宅に住んでいるリッチな人もいる。
伊藤:1つの街にいろいろな人が住んでいますよね。
青野:そういう多様性が当たり前の環境がいいのかと言われると、どうなのかなとも思うんです。僕もあそこに住みたいかと言われると微妙なところがある。
アメリカでよくエレベーターに乗った瞬間に「Hi!」と二コって笑うあいさつがあるじゃないですか。僕、最初は「アメリカ人めっちゃフレンドリーやん」と思っていたんです。
その後何回もアメリカに行って気づいたんですけど、僕の解釈だと、いっしょに乗っている相手がどんなやつか分からないから安全確認のためにあいさつをしている。
日本だったら、エレベーターという密室におかしなやつが乗って来る可能性はほとんどないけど、アメリカだと自分と全然バックグラウンドが違って、もしかしたら暴れるかも分かんないやつがいっしょに乗っている可能性があるから、あのあいさつで距離を測っているんだと思う。
藤村:いきなり銃とかでてくると困りますよね。
青野:そうそう。そんな環境でエレベーターに乗りたいのか、っていうね。「多様性を受け入れる」ということは、そういう面もあるよね。
まあ、アメリカ人が互いの多様性を認め合っているかっていうと、そんなことはなくて。それぞれ自分の文化を持っているんですよね。あれだけオープンなのに、1人1人に落ちてみるとあんまり互いを認めてない。
伊藤:サンフランシスコでもこの道1本入ると危険だから、その先には絶対行っちゃダメだと現地の人に言われたりします。
青野:絶対行かないよね。多様なんだけど、混ざっているかといわれると微妙なんだよ。アメリカを見ていると、一概に「多様だったらみんなハッピー」とは言えないよね。
伊藤:多様であるだけじゃだめってことなんですかね。
「違い」を攻撃するから不毛な争いになる
藤村:「みんな違う」って本当は当たり前じゃないですか。でも、どうしてみんな同じ方向を向いてしまいがちなのかなと。
青野:同じ学年で同じような家庭環境の子が、同じ小学校で同じクラスにされると、世の中大体自分といっしょなんだと。違いを知らないまま育っちゃうんだろうね。だから多様性がないように思ってしまう。本当は家庭環境もさまざまだから、みんな違っていいはずなんだけどね。
最近はインターネットがあるから、ドンドン自分と違うやつがいると知ることができる。だいぶ変わってくるんだろうなと思うけど。
伊藤:若い人は違う人を知れるようになったはずなのに、ネットでは自分と違うことを叩く人も多くないですか? 相手を間違っていると決めつける人って、どうしてそんなことを言うんでしょうか。
青野:人間って防衛本能が備わっていると思うんですね。味方か敵か、安全なものか危険なものか、脳が反応しちゃって、その反応が出ちゃっていると思うんだよね。この人は敵だと認識して、敵を痛めつけるにはどうしたらいいかって発想で、言葉を選んで攻撃している感じがする。
そういった感情を手放せると、結構いいと思うんです。別にその人が自分を攻撃しているわけではないし、自分の人生を妨害されるわけでもない。その人がいるから自分のプライドが傷つくということでもない。
伊藤:本当は敵ではないんですもんね。
青野:けど、自分が固く信じてきたものを否定されると、傷つけられたような気持ちになるんですよね。「この人、生理的に受けつけないわ」という感情もある意味個性だから、それ自体は受け入れてもいいのかなとも思うんです。
問題はそれにどう反応するか。不幸なケースは、過剰に反応して相手を攻撃し、当然攻撃された側も防衛本能が働いて、攻撃や仕返しをしてしまったりするから不毛な争いになる。それはそれであるよね、って認められるといいんだろうな。
「どんな生き方がしたいのか」わかっていなければ、多様性はいかせない
藤村:サイボウズって、自分に厳しくしておかないと、自分を保てない会社なんだなって思いますよ。
伊藤:自分に厳しく、ですか?
藤村:個人裁量が強いんですよ。自分を持っていないと、易きに流されるなと感じます。
青野:そうそう。サイボウズを「多様性を生かす会社にしよう」と思ったときに大事だと思ったことが2つあるんです。1つはビジョン。集まってきている目的であるビジョンがないと、多様性をみんなの活動に集約していけない。
サイボウズは「100人いたら100通りの人事制度」を目指していて、全員が違った制度を選べるようにしたい。同じルールにしばられず、1人1人が自分にあった選択肢を選べるようにしているんです。
伊藤:そんな風にしてしまうとバラバラになってしまいそうですけど......。社長として社員をまとめていけるものなんですか?
青野:それが多様性とカオスの差なんです。
サイボウズは「いいグループウェア作って、世界中のチームワークあげるぜ」というビジョンがある。それに共感しているかどうか、が唯一の軸のようなものとなっていて、そこに共感していれば、どんな人がいてもいいというイメージかな。
青野慶久。1971年生まれ。サイボウズ株式会社代表取締役社長。1997年8月愛媛県松山市でサイボウズを設立。2005年4月代表取締役に就任(現任)。社内のワークスタイル変革を推進し、離職率を6分の1に低減。3児の父として3度の育児休暇を取得。サイボウズを多様性のある会社にしようとした経緯は、『チームのことだけ、考えた。――サイボウズはどのようにして「100人100通り」の働き方ができる会社になったか』で。
青野:もう1つは、みんなに自立してもらわないといけないということ。たとえば人事部が制度を作って、みなさん使ってくださいねと伝える。いろんな人がいるわけだから、必ず一部には受けるし、必ず一部には受けない。
1人1人が「どんな生き方をしたいか」「どんな仕事をしたいか」を自分の意思として持ち、それを主張して、実践してくれるところまで高めておかないと、多様性のある風土や制度は成立できないと思った。
たとえば「朝何時に出社してもいい」となったときに、自立していないと「じゃあわたしは何時に来ればいいんですか?」「自分で考えて」「えぇー、言ってください」みたいになっちゃうよね。
藤村:そういう人にはつらいでしょうね。自由な環境って、自分で考えて答えを出すことがベースにないと成立しないでしょうし
青野:結構厳しいよね。自分はどんな仕事がしたくて、それをするためにどういう環境で、どの時間帯で、どう働くとパフォーマンスがいいと思うのか自分で考えろと言われているわけだから。
藤村:厳しい会社なんですよね。でも、その厳しさがあるからこそ楽しくて、厳しさがなく自由だけだとつまらないんだろうなあ。
青野:選択できる喜びが味わえなくて「なんで僕はこんなに考えなきゃいけないんだ」って思うんでしょうね。
子どものころから自分で選択し、責任をとる習慣を持つ
伊藤:どうすれば自分の生き方を決め、自立できるようになるんでしょうか。
青野:自立のマインドを養うには、子どものころから自分で選択し、自分で責任をとる習慣を持った方がいい気がしています。
例えば、「僕マンガ欲しい!」と言ったときに「マンガはダメです、こっちの学習図書を買いなさい」としてしまうと、自分で選ばず与えられるものをこなしてくのが当たり前になっちゃうよね。
伊藤:わかる気がします。
青野:「ゲームのやりすぎです。ゲームは1日30分までにしなさい」と言った瞬間に、その子は徹夜でゲームをやって、痛い目に合う経験ができないわけ。経験がないから「さすがに徹夜でゲームやるもんじゃないな」とならない。
自分で選択をして自分で失敗して、その結果が自分に跳ね返ってくる。自立ってそういうものだと思うんだよね。子どものころからそういう経験を積ませてあげると、自立マインドが育つかなあと思います。
伊藤:自分でやったことが自分に返ってきているのに、人のせいにする人も多い気がします。
青野:すごくわかる。経験あるの?
伊藤:リーダーが何か決めたことに対して、そのときは何も言わなかったのに、あとで「ちょっとめんどくさいんだよね」とか「本当はそれやりたくなかった」と言っているのを聞いたんです。「どうして直接言わないんだろう?」「何かを決めるときに自分で言わないってことを選んだんじゃないのかな?」と思うことはありました。
青野:それが自立だよね。自分が行動をした、しなかったことに対して、周りで起きたことに責任をとれるか。
究極的なところでいくと、アル・ゴアみたいに地球の環境問題を自分ごととしてとらえ、主体的に、批判覚悟でずっと訴えていくようになる。そういう人を見ると「あの人責任とってるわ」「すごいな」ってなるよね。
国レベルで物事を動かしているのは、小さな組織の最小単位の個人
伊藤:「すごいなあ」で終わっちゃうことも結構多いと思っています。本当はちょっとしたことだったら自分もできるのに、アル・ゴアのような人たちのやっていることは、すごく遠いことのように感じてしまうような気がします。
青野:最近わかってきたことがあって、今、国レベルで物事を動かしている人って、大企業の社長とかじゃなくて、個人で動いている小さな組織の人なんです。
例えば、日本の政治家は少子化問題をあまり解決しにいかない。票を持っている高齢者の人に関係ないから別に気にしてなかった。
けど、ワーク・ライフバランスの小室社長とか、フローレンスの駒崎さんとか、NPO法人ファザーリング・ジャパンの安藤哲也さんみたいに、別に大きな会社の代表じゃない人が自分の利益を度外視して活動している。その考えに共感する仲間を増やして、仲間とともに動かして、ついに日本の少子化問題がクローズアップされるようになってきた。
自分はちっちゃいかもしれないけど、これだけメディアが発達すれば、共感してくれる人も増やせるし、国家レベルでも、ものごとを動かせる。
藤村:小さなところ行動していくことが、変化を生み出すんですよね。
旗をまず立ててみる。立てたところに人は集まってくる。1人が踊りだせば、それにつられて1人、また1人と追従し、気づけば全員踊り出すイメージ。駒崎さんや小室さんや安藤さんとか、まさにそういう風に変えてきた人なんだろうなって。
青野:そうですね。僕もどっちかって言ったら、あとで踊らされているほうですね。彼ら、彼女たちがこう動くから、僕もそれに共感して踊ると決断した。
藤村:踊っているのを見て、いいね、と感じて、自ら踊りに加わるのがそもそもすごいじゃないですか。できない人だって、たくさんいますから。
多様性は生まれ持ったものでもあり、作られていくものでもある
「例えば目玉焼きになにをかけるかというのも1つの異文化ですよね。ただ普段かけているものと違うものをかけて出されると、カチンときます。大した話じゃないんだけど、侵害された感がある(笑)」と語る青野
伊藤:「みんな違う」っていう当たり前のこと、つまり多様性について、青野さんが話を聞いてみたい方っていらっしゃいますか?
青野:生物多様性を語っている学者の福岡伸一さんかな。
藤村:『生物と無生物のあいだ』って本を出されている方ですよね。
青野:そうです。人間の細胞って、実は最初は同じなんだけど、お互い作用しあって「じゃ俺骨になるわ」「俺、肉になるわ」といった具合に変化していく。
多様性って、もともと備わっているような気がするけど、実はほかとの相対関係によって作られていくんじゃないかという生物学的観点があって、すごくおもしろいなと。
僕もそうなんだよね。元々プログラマーになるつもり満々だったんだけど、大学生のときに畑さん(サイボウズ創業者の畑慎也)と会って、自分より全然プログラミングができるから、相対的に「あっ、俺違うわ。俺はプログラマーじゃないわ」と思って。
それも偶然ですよね。もし周りに畑さんみたいな人がいなかったらそのままプログラマーになっていたかもしれない。多様性って生まれ持ったものもあるけど、相互作用によってできてくる部分もあるんじゃないかな。
写真:尾木 司、谷川 真紀子、聞き手:伊藤 麻理亜・藤村能光(サイボウズ式編集部)
「サイボウズ式」は、サイボウズ株式会社が運営する「新しい価値を生み出すチーム」のための、コラボレーションとITの情報サイトです。
本記事は、2015年12月22日のサイボウズ式掲載記事「多様だからみんなハッピー」とは一概に言えないより転載しました。
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