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2021年03月09日 18時31分 JST | 更新 2021年03月25日 10時40分 JST

「震災と同じくらいの打撃」津波から再建した民宿経営者が語るコロナショック【東日本大震災10年】

復興事業で3年間は特需、その後も観光客に恵まれた。それが「コロナで前が見えなくなった状態」になったと、南三陸町で民宿「明神崎荘」を経営する佐々木昌則さんは振り返ります。

撮影:安藤健二
明神崎荘と佐々木昌則さん(2015年撮影)

東日本大震災で津波にのまれた民宿が再建されてから3月10日で、6年目を迎える。宮城県南三陸町の小さな岬にある「明神崎荘(みょうじんざきそう)」だ。

さまざまな苦難を乗り越えて再建されたこの民宿は、2020年12月から3カ月近く休業状態が続いている。経営者の佐々木昌則さん(54)は、コロナ禍の観光客の減少を「震災と同じくらいの打撃」と振り返った。

 

■津波で流された民宿を4年後に再建

佐々木さんは1966年、南三陸町に生まれた。高校卒業後、都内の大学に進学。仙台市で会社員をしていた。しかし、2005年に父親が亡くなったことが転機となり、民宿「向(むかい)」の経営と、牡蠣(かき)の養殖を引き継いだ。

2011年3月11日。漁船を岸壁につけて、牡蠣をフォークリフトで運んでいたとき、ものすごい揺れが襲った。南三陸町で観測されたのは震度6弱。佐々木さんは慌てて地面にしゃがみこんだ。「これは津波が来る」と察知して母親を連れて高台に上ると、津波が民宿「向」をのみ込んでいった。

「民宿自体は鉄骨の建物なので、外側は残ったんですよ。でも中に入ってみたら、もう滅茶苦茶な状態ですね。階段を支える太い柱も滅茶苦茶に折れていました。畳も剥がれていて、とても使える状況じゃなかったんです」

撮影:安藤健二
津波が来るまで経営した民宿「向」の跡地を案内する佐々木昌則さん(2015年撮影)

その後は親戚を頼りに広島市に移動。市の嘱託職員や道路工事の警備員をしていたが、佐々木さんの脳裏からは、南三陸に残った人たちのことが離れなかった。

「別世界に来て、ふるさとから離れてしまったという感覚はありましたね。ふるさとを捨ててしまっていいのかな、という気持ちが強くなってきました。南三陸の土地の権利も中途半端だし、家の流された土地だって、そのままでした。放置した状態で広島に逃げてきたようなかたちで、後ろめたさがあったんです」

そして2013年2月に南三陸に戻り、母親の住む仮設住宅に同居しながら、民宿を再建するために奔走。震災4年目の2015年3月に新しい民宿「明神崎荘」をオープンした。以前の場所から80メートルほど内陸に移動。東日本大震災の津波も来なかった高台にした。

私は南三陸町の防災庁舎の遺構の取材中に偶然、オープンしたばかりの明神崎荘のことを知り、佐々木さんにインタビューしたことがあった。それから6年で何があったのか。現在54歳となった佐々木さんに電話で話を聞くと、新型コロナが民宿の経営に与えたダメージが浮き彫りになった。

 

■最初の3年間は「特需」。その後も海水浴場のオープンで観光客が戻っていた

佐々木さんによると「明神崎荘」がオープンしてからの6年間は、大きく3つの時期に分かれるという。まず最初の3年間は、南三陸町の復興事業が続いていたため、さまざまな土木関係の業者が宿泊。経営は好調だった。宿としての稼働率は70〜80%をキープしていたという。

「震災前ではあり得ないこと。その3年間は特需みたいな感じでした。3カ月単位とかで泊まられる方もいて、地質のボーリング調査をする会社の人が多かった印象ですね。北海道から九州まで日本各地から来ていました」

しかし2017年ごろになると、土木関係者の宿泊はパタっとなくなる。復興事業が一息つき、盛り土の工事は続いていたものの、これは地元の業者が請け負っていたので、宿泊客には結びつかなかったという。その一方で、観光客は増加することになった。津波で壊滅的な被害を受けていた近隣の海水浴場「サンオーレそではま」が2017年7月に再オープンしたのだ。

東北観光推進機構
2017年7月に再開した人工海水浴場「サンオーレそではま」

「海水浴場の効果はありました。オープンしたのが宮城県でも早い方だったんです。南三陸町は復興事業の進みが早かったので、レジャー関係の海の方にも手を出すことができました。三陸沿岸のビーチが少なかったので結構、人が来ました。夏休みとか、子供たちの休みに合わせた人が多かったですね。復興に携わったボランティアの方が、今度は観光で来るというケースも多かったです。最初の3年間には及ばないけど、経営的には震災前と同じ状態に戻った感じでした」

 

■現在は「コロナで前が見えなくなった状態」

 震災前の状態に戻ってきた民宿の経営に、2020年に入って大きな影が差した。新型コロナの感染拡大が、客足にストップをかけたのだ。全国での緊急事態宣言の発令に合わせて、明神崎荘は4月から5月にかけて休業した。

「新型コロナは震災と同じくらいの打撃です。もともと2020年の3月ごろから自粛ムードで予約キャンセルが増えましたね。それで4月に緊急事態宣言が出たら全くお客さんがない状態ですね。それに合わせてうちも宿を休業しました」

6月に営業を再開したが、まだ自粛ムードだったこともあり、「どうしても旅行したい」という人がわずかに来ていた程度だったという。客足は通常時の3分の1以下だったという。7月からは政府の観光支援事業「GoToトラベル」で持ち直した。

「通常時の8割くらいまでお客さんが戻ってきました。夏場の海水浴シーズンということもあって、予約が集まってきましたね。11月くらいからコロナの感染者数が増えてきたことで、お客さんが減っていたんですが、それで12月になってGoToトラベルの中止で、お客さんがほとんどゼロの状態になりましたね」

明神崎荘はGoToトラベルの全国一斉中止に伴い、12月から休業状態が続いている。知人などが宿泊をすることはあるが、ウェブ上でのネット予約は止めている状態だ。佐々木さんはGoToトラベルの再開に合わせて営業を再開したいと思っているが、それがいつになるのか見通せない状況が続いている。東日本大震災から10年を迎える今、佐々木さんは次のように振り返る。

「震災の後にやっと再オープンして『やるぞ!』とやってきたのが、今はコロナで前が見えなくなった状態ですね。廃業までは考えてないけど、今後は違った展開も考えていかないといけない」

休業状態となった今、佐々木さんが力を入れているのが、自身が養殖する牡蠣の通販だ。これまでは宿泊客の食事で提供するのが主体で、通販も宿の常連客向けだったが、産地直売の販路を広げた。

「コロナ禍の影響で来られない人にも、南三陸の美味しい牡蠣を送ろうと思ってやっています」

佐々木昌則さん提供
佐々木さんが養殖している牡蠣