結婚とはなにか。夫婦とはなにか。私たちが「契約結婚」に至るまで。

どうして私は法律婚を選ばなかったのか。パートナーと「契約結婚」に至った理由を書いてみたい。
(左から)赤ちゃんを抱っこする妻と私
(左から)赤ちゃんを抱っこする妻と私
Shintaro Eguchi

小さい頃から「結婚ってなんだろう」と考えていた。

私は、実の父と母のもとに生まれ、一人っ子として育てられた。

父は会社員、母は看護師の共働きで、二人とも夜勤が多い職場環境だった。いわゆる父が働き、母が専業主婦という家族ではなかった。九州の田舎育ちではあったが、「男らしさ」のような価値観や家族像を無理に押し付けられることなく育った。

男であっても女であっても、生まれた時代も、育った土地も文化も、人それぞれ家庭環境や育った状況が違う。一つとして同じ状況や環境のない、まさしく多様な「個人」が育まれているはずだ。

しかし、成長してくると男女関わらず紋切り型の「らしさ」を押し付ける言葉を周囲から浴びるようになる。さらに、妙齢になれば「いつ結婚するの?」と言われ、誰かが結婚したら「いつ子供は生まれるの?」と聞かれる。

よくあるほのぼのとした世間話のワンシーンかもしれない。しかし、そんな状況に、ずっと違和感を抱いていた。

「なぜ、自分のことを周囲からそんなに言われないといけないのか」

次第に、社会や制度にも疑問を抱くようになった。

本来、「結婚」は憲法で定めているように個人の自由意思によって尊重されるはずだ。そもそも、それまで他人同士だった「個人」が、なぜ「結婚」によって、一つの「家族」となるのか。

さらに、男性が働いてお金を稼ぎ、女性は子供を生み、育て、家を守るといった固定化された家族像が根強いのか、ずっと疑問に思っていた(いまは変わってきているが)。

そんな私は、どうして法律婚を選ばなかったのか。

パートナーと「契約結婚」に至った理由を、選択的夫婦別姓の実現を求めた訴訟が東京地裁で判決を迎える日に書いてみたいと思う。

知らず知らずのうちに使う言葉が私達を縛る

まずは「家族」について考えてみたい。

かつて、日本では「家制度」と「家父長制」という名のもとに、個人の意思ではないところで婚姻も含めて物事が決められることがあった。

「夫婦同姓」は、いわば家制度とともに生まれたものだが、それも明治31年から始まったものにすぎない。現在では、夫婦どちらの姓を選んでもいいはずが、実際は9割以上は夫姓を名乗っている。これも男性優位の構造がみてとれる。

いまでも時折使われる「嫁入り」という表現はその最たるもので、女性が男性の「家」に「嫁ぐ」ことを指す。逆に「婿入り」は「婿」となって「嫁の家(の籍)」に入る言葉を指す。

夫が妻の姓を名乗るだけの普通の法律婚夫婦の場合、夫に対して「自分の苗字を捨てた」「婿養子になった」など、改姓による偏見や妻姓を名乗ることを貶める発言をする人も多い。妻の親と養子縁組をしたと勘違いする人もいまだにいる。

また、SNSで結婚報告をする友人らの投稿で「入籍した」という言葉を見るたびに、違和感を覚える。法律婚をした夫婦は「入籍」せずに、親の籍から外れ、新しく「籍」を2人で作るはずなのに。これも、かつての名残をそのまま無自覚に使っているからだ。

参政権や男女雇用機会均等法など、これまでの女性の権利獲得や社会進出の歩みは、女性の社会的な抑圧に対する問題を、一つずつ解決してきた歴史でもある。

「家族だから」ということで、相手をないがしろにしてはいけない。あくまで、一人の「人間」として、どのような関係性を築いていくか。それは、親と子も、夫と妻も、友人関係も同じはずだ。

だからこそ、男女における平等なパートナーシップをどのように築くことができるのか、私はずっと考えていた。

改めて「結婚」ってなに?を問う

(イメージ)
(イメージ)
Ko Hong-Wei / EyeEm via Getty Images

 あるとき、私のパートナーから妊娠を告げられた。

男女の関係、成人同士のお付き合いであれば、どのような関係性を持とうが、当事者間の問題で済むが、こと、子供が生まれることになれば話は別だ。

私もパートナーの妊娠とともに、自分だけの問題から、次第に「夫婦」の問題、「家族」の問題として二人の関係をとらえるようになった。

私自身が、永続的なパートナーシップのかたちとして選んだのが「契約結婚」だった。

それが、二人にとって平等なパートナーシップのかたちだと思ったからだ。

傍から見たら「子供を生むのに、法律婚をしていないなんておかしい」と言う人、もしくは心の中でそう思っている人も中にはいるかもしれない。だが私は、違和感を曖昧にしたまま法律婚を選ぶことはできなかった。

妻は私の考えを理解しながらも、いざ自分が当事者となることに対して、やはり戸惑いはあったように思う。

妻自身、両親が一度離婚し、のちに再婚した経験がある。そうした幼少期の経験を踏まえ、子供に負担をかけたくないという思いや、女性という立場が置かれている課題に向き合うなかで、フラットに法律婚と事実婚のメリットやデメリットをきちんと議論した上で、納得して決めようという話になった。

相続の問題や子供の親権から、現実問題として保育園や病院での対応など、検討材料をきちんと整理し、妻や私の両親、親戚や周囲の人たちに対して、明確に説明できるだけの知識を持った上で、自分たちが主体的に責任を持って選んだという確証を持てるようにしよう、と言ってくれた。

私の考えを前向きに受け入れてくれ、妊娠から出産という辛い日々を過ごしながらも、パートナーシップと家族のあり方について一緒に考えてくれた妻には感謝している。

「自分たち事」として「結婚」について考え、情報を集め、議論し、子供を含めた家族が、家族として社会的に機能するために行き着いた選択肢が、「事実婚契約書」や「遺言書」といった書類を作成することだった。


委任事項や、契約解除(いわゆる離婚的状態になること)や子供の親権といった様々な内容を取り決め、契約書に盛り込んだ。行政書士に相談しながら、民法で定められている婚姻についての条文を読み込んだ上で、内容を煮詰めていった。

事前に、離婚(契約解除)のときの賠償金を決めたり、子供の親権をどちらが持つのか(単独親権の日本では、事実婚夫婦ではどちらか片方しか持てない)を決めたりする。これから結婚するのに離婚時のことも想定した内容を決めることとなる。

相続についての契約内容を決め遺言書を作成するため、まだ30代なのに死んだ場合を想定することで、改めていま生きていることの喜びを実感することができた。

最近では、法律婚した夫婦の知人らにも、遺言書を書くことを勧めている。

明日、自分の身に何があるかは誰もわからない。残された家族が安心してその後も暮らせることや、家族との関係性を向き合うのによい手段ではないだろうか。 

Shintaro Eguchi

こうして事実婚に関する公的証書は完成した。財産や子の養育など、契約内容の一部はここに公開している。

とはいえ、いくら公正証書の契約書でも、民法で定められている婚姻と完璧に同じ内容を入れ込むことはできない。戸籍法にも結婚は絡んでくる。ここが「結婚」を複雑にしている要因でもある。

法律婚によって発生する様々な配偶者優遇ーー例えば控除や相続は、どこまでいっても事実婚夫婦は得ることができないと知った。逆にいえば、「法律婚」によって自動的に様々な法律の保護や制限を受けることに、改めて気づかされた。

仕事も子育ても。24時間を分担する “シフト子育て”

Shintaro Eguchi

 「契約結婚」の内容を決めてほどなくして、子どもは無事に生まれた。

3時間おきの授乳、オムツ替え、離乳食作り。小さな子どもの子育ては、文字通り24時間体制だ。

私たちは、子育てに関してもできるだけ平等にいたいという思いから、定期的に家庭での過ごし方について話し合うようにしている。

そこで出てきた取り組みの一つが、スケジュールのシフト制だ。

一日を4つにわけ、その時間はメインで担当しようというもの。具体的には、6時から12時、12時から18時、18時から24時、24時から翌6時をそれぞれ1〜4番と割り振り、互いに平等の時間で子供の世話をするようにしている。

例えば、一日のなかで妻が1、2番を担当したら、残りの3、4番を私が担当する。1、3と2、4など、組み合わせはその時々によって変わる。つまり、一日12時間分を互いに平等に割り振ってるのだ。

1や2は散歩やミルク、離乳食が始まればその準備と食事。3はお風呂や寝かしつけ、4は夜中にあやしたりミルクをあげたりする。それぞれの時間なりにやることは多い。

また、私が昼間仕事だといって、ずっと1や2の時間帯を妻に押し付けると不平等なので、1から4の割合も、できるだけ1週間で平等に割り振るようにしている。

1や2を私が担当するときは、子供の世話をしながら在宅で仕事することが多い。子育てしながら在宅で仕事することの苦労や難しさも実感した。

出張があるときは、別の日にその補てんをする。私が子供の世話をするときは、妻も一人で外出したり、勉強したり、知人や会社の人たちとご飯に行ったりすることもある。

そうした互いに必要な外出をできるだけカバーし合うために、柔軟にその時々でシフト変更しながら日々を過ごしている。

主担当がいるとはいえ、互いに居れば一緒にやることもある。しかし、当たり前だが、おむつもミルクも離乳食も、基本的に一人でも対応できるように、二人とも一通りこなせる状態にしている。

妻は団体職員として働いており、これからも互いに仕事は続けていく予定だ。復職をスムーズにするために、上司や同僚とプロジェクトの進捗共有をメールでやりとりしたり、オンラインで受けられる研修を受けたり、勉強会やイベントに参加するために一人で外出したりと精力的に日々を過ごしている。

春からは子供が保育園に入るので、このシフトの仕方も考えなければいけない。大事なのは、互いにとって仕事ややりたいことを子育てをしながらでも実現できる環境や仕組みを、自分たちなりに常に作り続けていこうという思いだ。

Shintaro Eguchi

 なぜこうしたシフトにしているかというと、やはり女性の出産や育児にかかる負担によって、復職の難しさやその後のキャリアプランに大きく関わると考えたからだ。

WEF(世界経済フォーラム)の調査でも、日本のジェンダーギャップ(2018年、149カ国中110位)の問題は指摘されている。

男女平等が進んでいると言われているデンマークでも、やはり出産を機に女性の収入が激減している一方、男性は変化が少ない注目すべきは、結婚して子供がいない女性の収入は男性と遜色ないが、出産し子供を持った女性だけが収入やキャリアプランに大きく影響を及ぼしていることだ。それだけ、出産・子育てと女性との関係は大きいことがみてとれる。

とはいえ、いつまでも女性だけの問題として矮小化するのではなく、家族の問題として捉えなければいけない。

キャリアステップしたいと考える女性(もちろん男性も)が、仕事を犠牲にすることなく、仕事も家庭も両立するための仕組みや制度を私達で作っていかなくてはいけない。女性にも、そして男性にも、仕事を犠牲にせず親となる権利があるはずだ。

長年、事実婚している夫婦が直面したこと

Shintaro Eguchi

 私は自身の経験を通じて、選択的夫婦別姓を推進する活動にも関わっている。

選択的夫婦別姓を希望する人たちには、夫婦で研究者として活躍している人や、妻が会社経営をしている人、“ふつう”のサラリーマン夫婦など様々だ。

医者や弁護士などの専門職や、契約書や株式などの公的書類のやりとりが発生する立場の人は、法的根拠のない旧姓の併記や使用が通用しない場面が多く、改姓によるデメリットが多い問題点を指摘している。そのために事実婚する夫婦もいれば、片方が泣く泣く改姓したという話も聞く。

事実婚を長年しているとある夫婦は、60歳を迎え、サービス付き高齢者向け住宅を検討しているなか、法律婚夫婦ではないことから、同室での入居を拒否されたという。

保険や住宅ローンなど、ある程度企業のサービスは増えてきたとはいえ、法的な認証が必要なケースが多いことが、この事例からも見て取れる。

事実婚で子供を育てている夫婦も多いが、パートナーシップが法的に守られていないがゆえの不安定さは拭えない。心理的安全性が家庭内に担保されていないことで、結果として夫婦間や子供にネガティブな影響を及ぼす可能性もある。

こう書くと「だったらなんで法律婚しないのか」と疑問に思う人もいるかもしれないが、事実婚夫婦は、なにも望んでこの形にしているわけではなく、それぞれに悩みを抱えながら、主体的に選択せざるをえない状況のなかで選んだにすぎない。

法律婚か事実婚かという議論ではなく、いまの制度が、すべての人を保障するものではなく、不当に誰かが不利益を被ったりする可能性があるのなら、その状態を解決したほうがいいのだ。

制度は人を自由にするもの

姓を変えること、それによってアイデンティティやキャリアが喪失されることに対して、すべての人が考えなければいけない。

明日、自分の姓を変えろと言われたらどうだろうか? 国家資格の職や研究職の人であれば、改姓によって、これまでの仕事の実績がまったく違う名前として登録されることになる。結果として、個人の実績の積み上げをまた一から作り上げることになってしまう。

改姓による銀行やカードの名義変更などの負担は、個人の、特に改姓側だけに多くの負担を強いることになる。生活者目線においてもこうした手間は負担以外のなにものでもない。

また、企業や行政にとっても、改姓の手続きは業務的にも手間になる。例えば一人の改姓に、住民票や印鑑登録、国民年金など様々な公的書類を変更する行政コストがかかっている。企業であれば人事や総務などがそうだろう。法律婚で離婚をすれば、また同様の手間もかかる。

仮に旧姓使用を認めても、法的根拠のない旧姓使用では、結局は実名を使わざるをえないシーンが数多く発生してしまう。実名と旧姓という二つの名前を使い分けることの煩雑さは、本人だけでなく周囲に対しても混乱を招いてしまう。

こうした手続きの手間を、多くの女性はスムーズに受け入れてきたのだろうか? そうではないはずだ。手間や精神的な苦痛を感じながらも、制度の壁や慣習によって受け入れざるをえなかった人も多いはずだ。

相手が置かれた状況への想像力を働かせながら、すべての人にとって生きやすい社会とはどのようなかたちなのだろうか。

「結婚」すれば自動的に夫婦や家族に「なる」のではない。あくまで「個人」の存在として居続け、共同生活を営むことで信頼や関係性が育まれていく。そこには、男女の、そしてすべての人同士が平等にパートナーシップを組もうとする意志がある。そのために、あらゆる立場の人が問題に向き合おうとする姿勢が必要だ。

本来、制度は人を縛るものではなく、人を自由にするものである。

制度に守られているという心理的な安定によって、経済的、社会的な活動に没頭できるはずだ。

私は、妻と平等なパートナーシップを求めて、契約結婚を選んだ。けれども、これが正解とも、これがすべてだと言いたいわけではない。状況が変われば法律婚するかもしれない。あくまで、主体的に選択できることが大事であるはずだ。

将来、子供が「結婚」するときには、自分が選択したい「結婚」ができるような社会になってほしいと願う。

家族のかたちは、人それぞれ違っていい。東京都が里親認定基準を緩和したことから、事実婚だけでなく、同性カップルでも里親認定が受けられるようになった。私達も、里親としての活動もいずれはと考えている。

いま、時代として問われている。

「家」という旧来の考え方をもとにした画一的なものではなく、多様な生き方を受け入れるための仕組みを。パートナーシップ制度や同性婚、里親や養子縁組への動きも活発に起きている。選択的夫婦別姓もその一つだ。

私達にとって「家族」とはなにか。「結婚」とはなにか。ともに考え、行動する時代にいるのだ。

家族のかたち」という言葉を聞いて、あなたの頭に浮かぶのはどんな景色ですか?

お父さんとお母さん? きょうだい? シングルぺアレント? 同性のパートナー? それとも、ペット?

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