登園自粛の5歳児からみた新型コロナショック。在宅フリーランス主夫の奮闘記

ウチの5歳児くんは当然だが、世界の有事も何のこっちゃわかっていない。突然始まった長いお休みを享受していた。

5月25日、遂に首都圏1都3県・北海道の緊急事態宣言が解除され、一応の収束を見せ始めた新型コロナ・ショック。年明けから地球全体を徐々に蝕み、列島では3月後半から感染が拡大した。我が家には、5歳になる息子がいる。彼の目には世界的疫病に怯える我が親、そして社会はどう映ったのだろうか? どこにでもいる凡庸な、僕ら親子を通して描くパンデミック。その戦い方と家族の結束とは。

ウチの5歳児くんは新型コロナなんて素知らぬ顔

4月7日に政府が埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、大阪府、兵庫県、及び福岡県の7都府県に緊急事態宣言を発令すると、その翌日には保育園から「強い登園自粛要請」メールが届いた。くわえて我が家夫婦は揃ってフリーランス。7日以前までは「その時すでに休校になっていた小学校以上の大きい子どもがいる家は大変だなあ」と呑気に言っていたのだが、遂に保育園まで自粛か。このため、「小さな子が家にいると仕事は厳しい、何とか預かってもらえないか」とその日に保育園に電話したほどだ。そう考えると、この時期はまだ新型コロナへの恐怖より、幼い子どもが家にいる状況で仕事をする不安が勝っていたのだろう。

しかしそこから加速度的に世界は一変し、新型コロナウイルスは世界を襲っていった。「2週間後の東京は、ロックダウン中のロンドンのような惨状に」「2週間後の東京は、今のニューヨークのような惨状に」。SNSではまことしやかにそうささやかれ、僕ら大人たちは恐怖に苛まれていた。その一方、ウチの5歳児くんは当然だが、世界の有事も何のこっちゃわかっていない。突然始まった長いお休みを享受していた。

保育園いきたくなーい。お父さん、仕事すすまなーい

さて登園自粛が開始した当初懸念されたのが、「お友達に会えなくてかわいそう」問題だ。保育園でお友達と会うこともできず、毎日親と一緒。これでは小さいながらにもストレスを抱えるだろうと、どの親も心配していただろう。そのことをウチの子に聞くと「ほいくえん、いきたくなーい。おうちがいい」と。

答えは簡単で、平時では許してもらえなかったゲームをずっと子供の相手をしていることができない親がやらしてくれるからだ。これは「あるある」らしく、妻がママ友ライングループで確認したところ、みんな一様にそう言っていたそうだ。もちろん最初は「時間割」も作りましたよ。午前中は家のなかで工作の時間、お昼ご飯を食べたら午後は1時間のお散歩、帰ってきておやつを食べたらゲームは1時間だけ、といった具合に。

そして「やりたいことカード」も作りました。これは「おやつ」「テレビを見る」「ゲームをやる」といったやりたいことを書いたカードを持たせ、1日1回カードを使えるというもの。ただし、テレビとゲームは時間制限つき。しかしねえ、「時間割」にせよ「やりたいことカード」にせよ、基本親が付きあってあげなければならないもの。我が家夫婦はフリーランスで、ふたりとも朝から晩までPCにかじりついている。

そのため、親として格好つけて作り上げた2つのシステムも3日と持たずおざなりとなり、次第にタブレットでゲームをやらせるようになった。ゲームさえやらせておけば子供がおとなしくしているので、こちらも仕事がはかどる。気がつけば1日中ゲーム、という日もあった。

新型コロナより怖いのが、人間だった

しかし、それでも時間は余る。1日中ゲームにテレビ三昧というわけにはいかないし、何より少しは運動をしないとお腹が空かずご飯も食べない。実際ウチの5歳児くんは運動不足からか便秘気味になった。

それに長く続く在宅ワーク&育児に、親としてもストレスが溜まる。じゃあちょっと子どもを連れて公園にでも、となるのだが今度は〝不要不急〟という絶対ルールが俺を責め立てる。「それ本当に必要な外出ですか? お子さんを外に連れ出すなんて、お子さんがコロナにかかってもいいんですか?」と心の中声が、俺をねっちりと責め立ててくるのだ。

それでも子どもにもマスクをさせ、除菌スプレーと薬用うがいセットを携帯し、電動ママチャリを公園に向かって走らせる。道中、マスクをしていない中高年やノーマスクランナーに少し不安を覚えながらも、公園に到着。するとそこは、子どもたちとその親とで溢れかえっていた。

有り余るパワーを持て余した中高生たちも、普段は寄りつかない公園に大挙している。マスクをしていない中高生たちは、「ハアハア、ゼエゼエ」と息を切らして本気のサッカーにいそしんでいる。屋外とはいえ『密』になる瞬間あり、我が子と遊ぶスペースも確保できない。ちょっと息抜きにと、やっとこさたどり着いた公園で、さらなるストレスが……。

それでも息子は「ねえ、あそぼう」と僕のズボンを引っ張る。「こんなに人がいっぱいだと、新型コロナがうつっちゃうかもしれないんだ。だから遊べない」「ねえ、あそぼう」。どんよりとした気分になりながらも密を避け、子どもと遊ぶしかなかった。新型コロナも怖いが、それ以上に怖いのが人間だった。

子どもとスーパーに行ったときのこと。レジを済ませ、かごから袋に商品を入れていると、背後から「まあ、かわいいわねー」との声が。パッと振り返るとお婆さんが我が子の頬をなでていたのだ。濃厚接触っ!! 思わず子どもの手を引き寄せてしまった。

今思えば、コロナ鬱だったかもしれない

本当に終わりが見えなかった4月の半ば頃、僕の新型コロナストレスはピークにあった。子どもには「マスクを取ったら絶対ダメだよ。新型コロナにかかっちゃうよ」「知らない人に近づいちゃダメだよ」とだけ何度も言い、それ以上の過剰なことは言わなかった。「正しく怖がる」にとどまってほしかったからだ。しかし親である僕の方が、過剰に怖がっていたかもしれない。スーパーでマスクもせず、大声でケータイで話す女性には思わず舌打ちをしてしまったし、道でマスクもせずソーシャルディスタンスも守らずなぜか急接近してきたおじさんには、思わず息を止めた。今思えばコロナ鬱になっていたのかもしれない。

そんな親のナーバスな態度に、子は敏感だ。ついには、街行くノーマスクな人を見かけると「あのひと、ますくしてないよ。だめだね」とマスク警察化してしまったのだ。それが重なり、ある日「お外、行こう」と言うと「おそと、いきたくない。ころなにかかっちゃうからいきたくない」。「この子を守らなきゃ」という意識があまりにも強く、神経質になりすぎていたのかもしれない。反省した。「大丈夫。パパの言うことをきちんと聞いて、パパから離れなければ新型コロナも怖くないから。パパが守ってあげるから、大丈夫」。子どもは少し笑顔になり、外に行く支度を始めた。

前向きな気持ちになれた原因、それは…

しかし5月も頭ごろになると僕のコロナ鬱も次第に消えてゆき、子どもに教えた「正しく怖がる」ことがようやく自分でも実践できるようになった。そして、「この自粛期間中に何かやらなきゃ!」と、コロナ禍になって初めて前向きなほうに心が進んでくれたのだ。よし、せっかく子どもとずっと一緒にいるのだから、息子が苦手にしている引き算に時計の読み方、これを教えようと。比較的仕事に余裕のあるときを見つけては、子どもの勉強の相手をした。

5歳児くんも嫌な顔をせず、ドリルを相手に奮闘してくれた。すべては終わったあとの「ゲーム」という名のニンジンのために。

おかげでひらがなは「な行」まで書けるようになったし、繰り下がりの引き算、時計まで読めるようになった。

こんなふうに僕を前向きな心にさせてくれたのも、よく考えれば子どもの存在があったからだ。子どもは強い。けなげに親の言うことを聞き、こんな状況下にあっても毎日笑い、しなやかに生きている。コロナだろうが何だろうが、その日一日をいかに楽しく過ごすか? ということだけに心血を注いでいる。その笑顔にどれだけ癒され、励まされたことか。コロナ禍において、すべての親がそう感じたに違いない。

緊急事態宣言が解除されようとも、「withコロナ」という新しいライフスタイルが始まっただけで、脅威から逃れることはないだろう。しかし過剰に恐れることはない。この100年に一度と呼ばれる疫病との戦いを通し、僕ら親子は確実に強くなったのだから。

(編集:榊原すずみ

■村橋ゴローの育児連載

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