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2019年09月13日 12時53分 JST | 更新 2019年09月13日 19時21分 JST

「四十九日の間、結愛とずっと一緒に寝ていた」祖父が語った娘と孫への思い【目黒5歳児虐待死裁判・証人尋問②】

結愛ちゃんから“じいじ”と呼ばれ、慕われていた祖父。虐待死するまで、娘夫婦の家庭環境の変化に気が付いていなかったことを目に涙を浮かべて悔やんだ。

東京都目黒区のアパートで2018年3月、当時5歳だった船戸結愛(ゆあ)ちゃんが亡くなった。 

結愛ちゃんが両親から虐待を受けて死亡したとされるこの事件で、保護責任者遺棄致死罪に問われた母親の優里被告(27)の公判が開かれている。 

Huffpost japan/Shino Tanaka
東京地方裁判所

4日目となる9月6日の公判では、被告人質問が行われた後、証人として呼ばれた精神科医が、DVと虐待の関連性について説明した。

証拠採用のやり取りを経て、裁判長らは優里被告の父親で、結愛ちゃんの祖父でもあった男性の到着を待っていた。

数分間静かになっていた法廷に、背の高い、日に焼けた肌の年配の男性が入ってきた。裁判長が住所と氏名を確認し、証人尋問が始まった。

「何で妻が泣きよるんやろう」警視庁からの突然の電話

結愛ちゃんの祖父は、起立したまま宣誓書を読み上げると、裁判長に促されて証言台の席に座った。手は軽く拳を握って、背筋を伸ばしていた。

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証言台についた優里被告の父親=2019年9月6日、東京地裁

「それでは弁護人から」の合図に従って、弁護人が質問を始めた。まず、結愛ちゃんが亡くなった日のことから、記憶を遡った。

祖父は明瞭な声で、少し讃岐弁のイントネーションが混じりながら、受け答えをしていった。

(弁護人)ーーはい。優里さんのお父さんということで。今回のこと、結愛さんが亡くなったということを、誰からどのようにお聞きになりましたか。

証人は、「はい」と言い起立して発言しようとしたところを、裁判長に「座ったままでいいです」と言われ、再び腰を下ろして話し始めた。

(祖父)3月2日だと思いますけれど、警視庁のほうから「結愛が亡くなった」という……一報をいただき、妻が電話を取ったんですけれども、私は「なんで妻は泣きよるんやろう?」と思って言い寄ったら、「結愛が亡くなった」と。

それですぐに、身支度をして上京しました。

それで、碑文…碑文谷警察署のほうにお伺いしました。

 

ーーどういう状況で亡くなったかということは、もうその時に警視庁の方からは聞きましたか。

はい。あの、詳しいことはあれですけれども、概略は、こういう状態で、虐待というかそういうもので「結愛さんがお亡くなりになりました」と。

 

ーーそれを聞いてどういうお気持ちになりましたか。

あの最初、その内容を聞いたときにですね。真実というか、それは本当のことなのか、ものすごい疑念が湧いてきて、ほんまに結愛が死んだんか、虐待で命を落としたのかっていう、もう頭の中が錯乱状態で……。

2日、碑文谷署に事件関係のことで任意で事情聴取を何時間も受けました。それで、ああそうだったのかっていうのがようやく頭の中で整理できたと思います。

「じいちゃ~ん」「結愛!」ハグして肩車をした日々

証言台の席に座る結愛ちゃんの祖父は、ひとつずつ丁寧に言葉を選び、弁護人や裁判長へ目を向けながら、はっきりと答えていた。

思い出を語るときは、少し緩やかな横顔が見えたが、話を続けていくうちに、徐々に表情は曇り、雄大被告の話になると、感情をこらえられないような面貌になっていった。

ーー結愛さんは、どのようなお孫さんでしたか。

はい。結愛はですね、気持ちの優しい、まじめな子でした。たまに、(結愛ちゃんと優里被告が)うちのほうに帰ってきていたんですけど、いつも、結愛とのお約束みたいなものがあって。

私が仕事から帰ってきて、優里の車を見て、玄関に結愛の靴を見たときに、私はあいうえお順に名前を言って、「あ」とか「い」とかから始めてわざと名前を間違ごうて、それで結愛が「違う~!結愛やぁ」と言う。それで「おぉ、結愛ちゃんか。美人の可愛い結愛ちゃんが来とんやのう」って言って。

結愛のほうは「じいちゃ~ん」ちゅうて、「結愛~!」って言うて、ハグしたり肩車したり。

 傍聴席から向かって右側、被告人の座る席から涙声が聞こえてきた。優里被告が小さく鼻をすすり、泣いていた。

 

ーー結愛さんと優里さんの関係は、お父さんから見てどうでしたか。

私の(考えでは)、親としては、普通の親子だとは思っていました。

父親が語る結愛ちゃんのこれまでの話を聞きながら、優里被告はだんだんと感情を抑えられなくなり、声を抑えて黒いハンカチを握り、涙を拭いた。

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自身の父親が語った結愛ちゃんとの思い出を聞く船戸優里被告=2019年9月6日、東京地裁

 ーー雄大さんとね、再婚すると聞いたときにどう思われましたか。

大学を出て、色んな仕事をしていたとは聞いとんのですけど、しっかりした子だと、私たちは思っていたんですよ。

 

ーーお父さんから見て、雄大さんは何か心配なことはありましたか。

それがね、全く気付かなかったです。彼の本性を、見破ることができなかった。

 

ーー優里さんからも、相談は受けてらっしゃらない。

はい。

 

ーー雄大さんは、お父さんのことも悪く言っていたようなんですけれども。

それも、優里のほうから一言も言っていないんですよ。それを先生方から聞いたときに「なんでそんなんやったら、優里と結婚するんや」と。

こんなん付き合うとるときから、分かってんのになんで結婚するんやと。

完全に、私たち親夫婦もきょうだいも、家族をバカにしたとしか思えませんよ。

 

「わちゃわちゃした家族」が作りたかった。ソフト部で主将。父が語った娘・優里被告の生い立ち

質問が進んでいく。冷静な受け答えをしながらも、結愛ちゃんとの記憶を語るのはつらい様子で、質問の合間に息を整える様子が印象的だった。

弁護人は続いて、優里被告の父親として、娘の生い立ちや性格、自身の教育方針などを問うていった。

 

ーーお父さんの、子育ての方針は、教育方針はどんな方針ですか。

はい。私はまず、絶対子どもには手を挙げない。

そんで、きょうだいが悪ふざけするときは、きょうだい全員正座させました。でもきょうだいたちはみんなそん時は笑っています。1~2分でやめたような感じです。

 

ーーどうせお父さんが正座だって言ったって、長続きしないよなって感じですか。

そうです。もう子ども達も笑っていました。

 

ーー優里さんも「わちゃわちゃした家族を作りたかった」って言っていました。「わちゃわちゃした家族」って表現をするんですけれども、実家がそうなんですか。

はい、と思います。

 

ーーその中で、優里さんの性格は、お父さんから見てどんな性格ですか。

はい。優里は、こまいときから(幼いころから)几帳面でまじめな子でした。

小学校の時は児童会の会長をやったり、中学校からはソフトボール。高校を卒業するまで約6年間。

中学校の時には、3年の時にキャプテン。高校の時は副キャプテンをやって、習い事はピアノをしていたことがありました。

中学校の卒業式の時かと思いますけれども、ピアノを伴奏してみんなが歌を歌っていた。

私も、優里がものすごく苦しんでいたことを、気付いてやれなかったことは、私たち夫婦にとっても、結愛に対して優里と同様、同罪だと思っています。

 「どんどん食べなさい」結愛ちゃんが最後に過ごした祖父母との日々

雄大被告が上京した際、約1カ月ほど優里被告は結愛ちゃんと弟と共に香川県に残っていた。

主に自身の実家に身を寄せて居たといい、その時の結愛ちゃんの食事の様子や、優里被告から抱き着かれる結愛ちゃんの姿を、祖父の目線で語った。

 

ーー実家に帰ってきたときのことを少し伺いたいんだけれども。上京する前、1カ月くらい実家に帰っていましたよね。その時に、どんな生活ぶりでしたかね。

はい。私たちはともに共働きをしていまして、優里が晩御飯を作ってくれて、私が帰ったときに、結愛が私のご飯をよそって、食卓におかずを運んでおいてくれて。とても優しい可愛い孫でした。

 

ーー結愛さんも一緒に食事をするんですか。

いや、もう私が帰るのは仕事が遅かったので、もうすでに結愛は妻と(食事を)終わった状態で。

 

ーーその時は、食事の制限なんかは実家ではやっていませんよね。

やっていません。「食べなさい、食べなさい。どんどん食べなさい」と。

私が、食べる人間ですから「どんどんどんどん食べなさい」と、常に結愛にも、ほかの子ども達にも(食べるようにと)勧めています。

 

ーー証人から見て「気がつかなかった」と何度も言われているんですけれども、再婚後ね、結愛さんや優里さんの状態で変化があったとか、何か気が付くことはありませんか。

いや、2人とも真面目で几帳面、優しいので。たぶんそれをひたすら優里が隠し続けた、「親に迷惑を…」というか一回離婚していますので、その負い目もあると思うので、たぶん隠し続けたんだと思います。

それがもう、自分でコントロールできなくなったんだと思います。

 

ーー優里さんの性格で我慢強いところがあるんですかね。

はい、あります。

あの、他のきょうだいは普通の子みたいに甘えてきますけど、優里は自分がやり遂げるという強い信念がありまして、ひとつのことに対して真面目に、こまい(幼い)ときからやっとりました。

 

ーーこまいときって小っちゃいとき?

はい、そうです。小学校くらいですかね。

 

ーー優里さんは、実家に居る間、結愛さんをハグしたり、抱きしめたりすることはありましたか。

私は、何回か見ています。

 

ーーこれから上京するんだ、ということで実家に居たんですよね。上京後の生活に関して、どのように聞いていましたか。

ええ、私も当時は、上京して5月の連休には東京見物を、妻と一緒に結愛とあちこち見物したいなって気持ちでおって、電話を数回して「元気にやっています」って返事はもらったんですけれども。

 

ーー上京に関して、不安を訴えたことは全くないわけですよね。

はい。私は要するに、あまり期間を(雄大被告との別居期間を)、家族なんでギクシャクしたらいかんという思いで「何しよんや、はよ東京に上京せいよ」と、逆に勧めたんで、ものすごく悔いに思って……後悔しています。

遺骨は仏間ではなく居間に「四十九日の間、結愛とずっと一緒に寝ていた」

上京し、ゴールデンウィークにはまた最愛の孫に会いに行き、東京見物を考えていたという祖父母。

東京から来た連絡は、皮肉にもひな祭りの前日、3月2日にあった結愛ちゃん死去の一報だった。

受け止めきれない思いのまま、四十九日を迎えるまでを、結愛ちゃんの祖父はぼろぼろと涙を落として思い返した。

 

ーーつらい話なんですけれども、結愛さんが亡くなってからの話。結愛さんが亡くなって、今お骨はどうされていますか。

はい。あの……警視庁の方にまず葬儀屋さんを何件か紹介いただいて、結愛を葬儀して、優里のきょうだいの車で来ておりましたので、私がお骨を抱いて、帰りました。

それからですね。本来だったら仏間に、お骨を置くんですけど、仏間ではちょっとかわいそうだと思いまして、居間のほうにテーブルで白い布をかけて、仮のお骨の置き場を作って、線香台から全部準備して、夜は、私がそのまま結愛の横で……寝ました。

四十九日、納骨を終わるまでずっと。そうすると、私が帰って必ず、私と妻、優里の3人でお経をとりました。

私たちが、昼間仕事で出勤しているときは、優里が朝から私らが帰る晩まで、居間で……お骨、お骨のところに、いました。

これまで、時折言葉を詰まらせる場面があったものの、はきはきと答えていた結愛ちゃんの祖父は、ここで堰を切ったように泣き出した。

しゃくりあげないようぐっと拳を握り、涙をこらえていたように見えたが、それでも息を整えるのが難しいように感じられた。目頭を手で拭う裁判員の姿もあり、傍聴席では数人が眼鏡をはずし、目を腫らしながらメモをとる人もいた。

 「死ぬまで自分の娘でありますから」

弁護人は、続けて結愛ちゃんの弟のことを聞いた。優里被告と、雄大被告の間に生まれ、この9月でもうすぐ3歳になる。

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質問する弁護人

ーー優里さんの息子さんのことをお聞きしたいんですけれども。優里さんが逮捕されて、息子さんはいま養護施設におられますよね。今後、息子さんの養育に関しては、どのように考えておられますか。

はい。事件直後からしばらくたって、結愛の弟を私たちの養子として迎えてという話をずっとしていたんですけれども、それは、あくまでも私たちはその子に対して実の親ではなく祖父や祖母。

祖父や祖母であるけど、親ではない。果たしてこれは、私たちはもうあと何十年も生きられませんよね。私たちが生きている間は、全面的にバックアップしていくけれども、私たちはもうすぐ年齢的にはあの世に行きます。

だけん、極力ちゃんと優里が刑期を終えて、カウンセラーの先生にちゃんとご指導を受けて、心も……心身ともに正常な状態になった時に、優里に息子と一緒に連れて帰って来ようと。

 

ーー優里さんが離婚されていることはご存知ですよね。

はい。

 

ーー優里さんの息子さんに、会いましたか。

はい。会いました。事件後、去年(2018年)と、今日も会ってきました。

 

ーーどうでしたか、息子さんは。

もう3歳。今月、3歳になるんですけれども、言葉もはっきりして順調に育っていました。もう忘れているかなって思ったら、第一声は「ばあば」って、うちの妻のほうに「ばあば」って。

妻のほうが、面倒も見ていましたから。

 

ーー優里さんもね、せめてお父さん、ご両親に相談したかったのかもしれないですが、ご両親の気持ちも同じだったということですよね。最後に、どうしてこんなことになってしまったのかと、思っておられますか。

優里と結愛の、結愛ですね……。結愛は、優里は……。

質問後これまですぐに答えていた祖父は、少し間を置き、数秒考えるようにして口を開いた。

異常を、気付けなかった。もし早い段階で、私たちが知っていれば、それなりの対応ができたと思います。離婚さすなり、切り離すなり。

 

ーー今後の優里さんの生活に関しては応援してくれると。

はい。死ぬまで自分の娘でありますから、面倒を見ます。また、孫に対してもです。

「じいじ、肩こった?」結愛ちゃんとの思い出、最後のクリスマス

弁護人からの質問が終わった。続いて、検察官も香川県に住んでいた頃の結愛ちゃんの様子を聞いた。

質問の途中、法廷で一貫して冷静な対応をしてきた検察官が声を震わせる場面もあった。

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船戸優里被告に虐待の経過について質問する検事=2019年9月6日、東京地裁

(検察官)ーー先ほどちょっと結愛ちゃんのお話を証人にしていただきましたけれども、他にね、結愛ちゃんとのこんな楽しいことがあったというエピソードがあればお話いただけないでしょうか。

(祖父)そうですね。ご飯をよそってくれるのもそうですし、名前をわざと間違って、絆を深めたこともそうですし、「じいじ、肩こった?」と結愛が来て、トントントントンと、やってくれたりですね。もう、色々……。

 

ーーどこか一緒に出掛けたりもしたんですか。

それはですね、私も仕事をしている関係上、旅行したりというのは(ないけれども)。妻は娘たちと旅行しています。

 

ーー平成29年(2017年)12月、東京に行くちょっと前に、証人の家にいたと思うんですが、ちょうどクリスマスとお正月のシーズンですね。思い出などはありますか。

もう、普通の家族のように、プレゼントを渡したり、ケーキ、だったり……。

 

ーープレゼントとか、何を……渡したか覚えていますか。

これはですね、妻が購入して……私は記憶になくて。ショックのことの方が大きくて、記憶が飛び飛びになってしまうような感じなんです。

実際に、結愛が死んだって聞いたときに、なんで結愛が死んだんやろって自問自答して。

ああ……私の存在があったから、優里があって結愛がいて。それが1カ月くらいずっとそんな感じでした。

私の存在を否定するような、「私さえいなければ優里もいないし、結愛もいない。こんな悲しい事件も起きていなかった」と。

 

ーーお父さんとしては結愛ちゃんが亡くなって非常にショックを受けられた。

はい。

 

ーーもうちょっと聞きます。先ほど優里さんが刑期を終えたらというお話でしたが、そのあとは同居される予定ですか。

はい。同居します。

 

ーー同居して、被告人の面倒、面倒というか……。

面倒というより、優里が自立する手助けをです。私たちはもう、数えるほども生きていないですから。

面倒見るんじゃなしに、優里が刑期を終えて、自立できるような態勢に持っていかなければならないと思っております。

 

ーー自立できるまで同居して、監督して行くという趣旨ですか。

はい。はいそうです。

「以上です」と検察官が言った。一通りの質問を終え、一時休廷となった。

裁判員「児童相談所から連絡はなかったのか」

20分ほどし、公判が再開した。再び結愛ちゃん祖父は証言台に戻り、裁判員からの質問に答えていった。 

証言台から向かって左端に座っていた女性裁判員2人が聞いた。

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証言台についた優里被告の父親=2019年9月6日、東京地裁

(裁判員①)ーー児童相談所などから、そういう連絡というのは無かったんでしょうか。

(祖父)児童相談所とか、そういうところからはありませんでした。全く知らなかった状態で。

2回目の(保護の)ときに、隣人とのトラブルかなんかで、警察が来たっていうのは(聞いた)。虐待ちゅうのは、全然知らなかったです。

 

ーー何かトラブルがあったのはご存知?

いや、トラブルというんか、そういう風に、娘が気を使って親に心配かけないでそういう風に(言われる)。

だからはっきりしたことが分からないんですよ。

 

ーーちょっとだけ教えてください。結愛さんの住んでいたお家は、お近くでしたか。

はい。車で10分ぐらいだと思います。

 

(裁判員②)ーーお伺いしたいのですが、お父様がいらっしゃる前で、優里さんはご自分を卑下するような発言をされたことってありますか。例えば、「自分はあほだから」「バカだから」とか。

いや、それはありません。はい。

中学高校と、キャプテンとか副キャプテンをしよって、私も保護者会の会長をやってましたので、それで練習に付き合っていましたけど、そういうのは聞いたことなかったですね。自分を、低く言うような。落とすというようなのは。

言葉がちょっとあれですけれども、はい。 

優里被告の父親であり、結愛ちゃんの祖父でもある男性は、一礼して証言台から下がった。

証人尋問はすべてが終了し、残すは優里被告への最後の被告人質問となった。

優里被告は、父親の証言を聞きながら、涙を流し、その後だんだんと表情が暗くなっていった。最後は、生気のない無表情な面持ちで、ずっと下を向いて一点を見つめていた。

『死にたい』と泣き崩れた船戸優里被告、最後の被告人質問に続きます

5歳児を追い込んだ虐待の背景は。公判で語られた事件の内容を詳報します

2018年、被告人らの逮捕時に自宅アパートからは結愛ちゃんが書いたとみられるノートが見つかった。  

「もうおねがい ゆるして ゆるしてください」
5歳の少女の切実なSOSが届かなかった結愛ちゃん虐待死事件。

行政が虐待事案を見直すきっかけにもなり、体罰禁止や、転居をともなう児童相談所の連携強化などの法改正が進められた。

この事件の背景にある妻と夫のいびつな力関係、SOSを受けとりながらも結愛ちゃんの虐待死を止められなかった周囲の状況を、公判の詳報を通して伝えます。 

この記事には虐待とDV(ドメスティックバイオレンス)についての記載があります。

子どもの虐待事件には、配偶者へのDVが潜んでいるケースが多数報告されています。DVは殴る蹴るの暴力のことだけではなく、生活費を与えない経済的DVや、相手を支配しようとする精神的DVなど様々です。

もしこうした苦しみや違和感を抱えている場合は、すぐに医療機関や相談機関へアクセスしてください。

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