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2019年10月01日 18時39分 JST

目黒虐待死事件、母親が控訴。公判で認定された事実、検察・弁護側の主張と判決の違いは?

東京地裁は母親の船戸優里被告に懲役8年の有罪判決を下した。10月1日からは父親・雄大被告の公判が始まる。

時事通信社
東京地方裁判所

東京都目黒区で2018年3月、5歳だった船戸結愛ちゃんが虐待を受けて亡くなった事件。

懲役8年の判決を受けていた母親の船戸優里被告は9月30日、東京高裁へ控訴した。東京地裁で開かれていた第一審では、検察側が懲役11年を求刑し、弁護側は懲役5年が相当だと主張していた。

双方の主張は、判決にどの程度反映されたのか。判決文を読み解く。

地裁で認定された船戸優里被告の犯罪事実

船戸優里被告は、結愛ちゃんと父親の雄大被告、そして結愛ちゃんの弟とともに暮らしていた。

2018年1月ごろから雄大被告とともに、結愛ちゃんに対し必要な食事を与えず、栄養失調状態に陥らせ、平均体重を大幅に下回わせて免疫力を低下させ、細菌感染を起こしやすい状態にした。

そして父親の雄大被告が、結愛ちゃんの顔を手で叩くなどの暴行を加えていたことを知りながら、やめるように言うだけで結果的に虐待を容認。

容認していたこと自体も虐待として認定された。

翌月の2月27日ごろには、結愛ちゃんの嘔吐が始まる。

結愛ちゃんの極度の衰弱が分かっており、命を落とさないよう医師の診察などを受けさせるなどの保護をすべき責任があったことを認識していた。

しかし雄大被告とともに結愛ちゃんへの虐待などが発覚するのを恐れ、結愛ちゃんにわずかな飲み物や食べ物を与えるのみだった。

結愛ちゃんが生き延びるための必要な保護を与えなかった結果、結愛ちゃんは3月2日午後6時59分、搬送先の病院で死亡が確認された。

結愛ちゃんは低栄養状態と免疫力低下による肺炎を起こしており、死因は肺炎に基づく敗血症だった。 

船戸優里被告のFacebookより
虐待によって亡くなった船戸結愛ちゃん

なぜ裁判所は懲役8年と判断したのか。

虐待の事実を、裁判所は「不保護の犯情はかなり悪く、児童虐待による保護責任者遺棄致死の事案の中でも、重い部類に属している。優里被告も相応の役割を果たした」とまとめている。

判決ではその理由について、虐待の苛烈さや、親に守られることなく亡くなった結愛ちゃんの身体的・精神的な苦痛などを考えた「犯行全体の事情」、そして雄大被告から受けていたというDVによる「雄大被告からの心理的影響」について掘り下げた。

まずは犯行全体の事情について説明する。

結愛ちゃんの受けた虐待の苛烈さ

裁判所は、結愛ちゃんへの虐待について「明らかに不相当で苛烈なものであったといえる」と判断した。その理由は次の通りだ。

結愛ちゃんは、2018年1月23日、優里被告とともに香川県から上京。一足先に上京していた父親の雄大被告を含めた家族で暮らすようになった。

だが、雄大被告は結愛ちゃんを見て「俺がいない間に太った。俺の努力が水の泡になった。もう一度締め直す」などと言うようになった。

これをきっかけに、2人による結愛ちゃんの食事制限が始まった。2月上旬頃からは、それが極端に厳しくなった。

結愛ちゃんは栄養失調状態に陥る。標準体重を大きく下回り、体力も免疫力も著しく低下する。

Huffpost japan/Shino Tanaka
結愛ちゃんの身長と体重の変遷

そして食事制限に加え、2月下旬頃の雄大被告による顔を殴るなどの暴行以降、結愛ちゃんは身体が食事を受け付けなくなった。そして敗血症で亡くなる最悪の事態が起きる。

結愛ちゃんの体重は、1月4日時点で16.66kgで発育に問題はなかった。上京した1月23日時点でも少なくとも同じくらいの体重はあったと思われる。

年齢相応の体型であったのに、死亡時の体重は約12.2kg。わずか1カ月あまりの間に、体重の約25パーセントが失われた。

解剖の所見や、現場に駆けつけた消防隊員の証言からも、結愛ちゃんは頬がこけ、骨が著しく浮き出るといった異常な痩せ方をしていたことが分かる。

そうした事実からも、優里被告と雄大被告による食事制限は苛烈な虐待だったと認定された。

転居先を教えず、周囲の救助の手を拒絶。病院に連れて行かなかったことを決めたこと

裁判所は、優里被告が香川県から東京都へ移る際、児童相談所や医療機関に転居先を伝えず、衰弱した結愛ちゃんを病院にも心肺停止するまで連れて行かなかったことを「悪質で、その意思決定も強い非難に値する」と断じた。

裁判所が重視した内容は次の通りだ。

結愛ちゃんは香川県にいた頃、二度にわたり、児童相談所によって一時保護された。

上京の前には、香川県の児童相談所や通っていた医療機関から、転居後の支援の必要性の説明も受けていた。

しかし、優里被告は転居先を聞かれても教えなかった。また上京後に品川児童相談所の訪問を受けたのに、優里被告は自分で対応して関係を持つことを拒んだ。

さらに上京後は、2回のごみ捨て以外結愛ちゃんを外出させることもなかった。

こうした事実を「(結愛ちゃんの)生存の維持は、ひとえに被告人らに委ねられている状況にあった」と裁定。

加えて裁判所は、結愛ちゃんが嘔吐するなどし、さらに雄大被告が結愛ちゃんへ暴行を加えたことについて、優里被告も「その存在を知りつつ適切な対応をしなかったことなどの事実が発覚することを恐れていた」とした。

死に至るまでの約3日間、結愛ちゃんが連日嘔吐し食事を食べられる状態ではなくなり、3月1日に優里被告は結愛ちゃんを風呂に入れた時に、結愛ちゃんが異常な痩せ方をし傷を負っていることを目にしていた。

3月2日には結愛ちゃんがさらに重篤な状態に陥っていることを認識した。

それでもなお、自分たちだけで対処しようとして、被害児童の心肺が停止するまで、医療措置を受けさせなかった。

この点を、裁判所は「悪質で強い非難に値する」と判断した。

雄大被告の供述調書によると、結愛ちゃんに対して週に1、2回、多い時には2日に1回くらい、頭を平手で叩いたり、足を足蹴りするなどの暴行を加えていたとされる。これは結愛ちゃんの身体状況から「事実があったと認められる」としている。

しかしこうした暴行については優里被告の法廷での発言と、捜査段階の供述の間に時期のずれがあるなど食い違いもあった。

裁判所はこの食い違いについて「暴行をどの程度認識していたかは、証拠上必ずしも明確ではない」とした。

ただ、結愛ちゃんの顔がひどく腫れるほどの暴行を知り、雄大被告へ「やめて」とは言ったものの、それ以上に適切な措置を講じなかった。

これを「結果的に雄大の暴行を容認する状態になっていたことには変わりがない」と裁判所は判断した。

検察側が捜査段階の事実をまとめた公訴事実には、「雄大被告による暴行を知りながら放置する虐待を加えた」と書かれていた。

だが裁判所は、優里被告が結愛ちゃんへのひどい暴行があったと気付いた時点で、雄大被告にやめるように言っており、「これを『放置』とか、児童虐待の定義に該当するとまで言い切るには疑問が残る」とも裁定している。

親に守られることなく亡くなった結愛ちゃんの身体的・精神的な苦痛

結愛ちゃんは最後まで親を信じて、言われた通りに、あまりに重い課題を懸命にこなした。しかし、待っていたのは救いではなかった。

判決では、その精神的・身体的な苦痛について「感じたであろう苦しみ、悲しみ、 絶望感は察するに余りある」と心情を推し量った。

裁判所が認めた結愛ちゃんの感じた「絶望感」とはどのようなものだったのか。

「養親である雄大被告のみならず、大好きだった実母である優里被告からも苛烈な食事制限を受けた」こと。

そして痩せ細り、嘔吐し、身体が食事を受け付けなくなり、意識が薄れても病院には連れて行ってもらえなかった。

また、この事件で大きな注目を集めた結愛ちゃんのノートのメモ。

裁判所は、この点についても言及した。

【結愛ちゃんが書いたとみられるノートのメモ】

まま もうパパとママにゆわれなくても

しっかりとじぶんから きょうよりかもっと あしたはできるようにするから

もうおねがいゆるして ゆるしてください おねがいします

ほんとうにもうおなじことはしません ゆるして

きのうぜんぜんできなかったことこれまでまいにちやってきたことをなおす

これまでどんだけあほみたいにあそんだか 

あそぶってあほみたいだからやめる もうぜったいぜったいやらないからね 

ぜったいぜったいおやくそく

あしたのあさは きょうみたいにやるんじゃなくて やるんじゃなくて 

もうあしたは ぜったいやるんだとおもって 

いっしょうけんめいやって パパとママにみせるぞ

えいえいおーう

おやくそくだから、ぜったいにおねがい

検察官は、このノートのメモの冒頭に「まま」とあるように、結愛ちゃんからすれば雄大被告も優里被告も同格であったと主張していた。

一方、優里被告は公判でこのノートのメモは「結愛がこれ以上、雄大から怒られるのを防ぐために二人で書いた。雄大に謝るときには、自分にも謝るのが雄大の意向に沿うことだったので、このように書いた」といった趣旨の供述をしていた。

メモの中には「わかったね」などと大人が言ったことをそのまま書いたような部分があったり、被告人が誤字等を添削した箇所があった。

裁判所は、この点が「優里被告の供述を裏付けており、その信用性は否定されない」と捉え、ノートのメモは当時の結愛ちゃんの心情をそのまま認定することはできないというべきであるとした。

しかし、結愛ちゃんの独自の文章の記載が無くても、虐待の容態から「その心情が十分に推し量れる」と説明した。

雄大被告からのDVと、心理的な影響はどの程度か

検察側と、弁護側の主張で最も食い違いを見せたのは、雄大被告の優里被告に対する心理的DVと、その心理的影響についてだった。

弁護側は、「女性は痩せているべき」という雄大被告の歪んだ女性像を優里被告と結愛ちゃんへ押し付け、長時間にわたる説教などで「雄大被告から強い精神的支配下に置かれ、精神的・心理的視野狭窄のため全体像を見ることができなくなっていた」と主張していた

一方の検察側は「弁護人も責任能力を争っておらず、弁護人の主張も、基本的に被告人が自分で物事の良し悪しを判断している、自らの意思で行動できていたことを前提にしている」と説明。

「心理的な影響を受けていたことは否定しないが、『支配』とまでは言うべきものではない」と主張した

裁判所は「看過できない雄大被告からの心理的影響があったと認められる」とし、3つの項目に分けて、この点を考察した。

心理的DVの影響により夫の意向に従ってしまった面があり「量刑上、適切に考慮すべき」

優里被告は結婚直後より、 自身の行動や食事量を含めた日常生活、性格に至るまで、雄大被告から長時間の説教を頻繁に受けた。

それにより、自分を否定され、反省の態度も要求されるなどしていた。時には叩かれるなどの暴行もあった。

結愛ちゃんへの「しつけ」に関しても、一方的に意見を押し付けられた。

雄大被告が結愛ちゃんの腹を蹴ったことにショックを受け、やめるように懇願した際も一顧だにされなかった。

そして母子らしい接触や年齢相応の手助けをすることさえ否定されていたことを、法廷で優里被告は供述している。

裁判所は「その信用性を否定すべき事情はない」とし、さらに雄大被告の供述調書では、雄大被告が優里被告へ言葉の暴力を繰り返していたので、優里被告は洗脳されたような状態になっており、雄大被告に反発したり、意見を言ったりできないような状態であ ったことを認めていることを重視。

香川県に住んでいた頃、関わっていた医師は「夫婦のパワーバランスが悪い」、「父(雄大被告)の支配下から抜けられない様子」などと評価。

優里被告については「自己評価が低く夫からの精神的影響が大きい」と指摘していた。

児童相談所などに話す内容については、具体的で詳細なメモを雄大被告が作成して優里被告に覚え込ませ、実際に優里被告はその指示に従った対応をしていた。

こうした事実を前提に、虐待やDVの専門家である医師が心理的DVに該当するという証言していることなどを考慮し「優里被告は事件当時、 雄大被告から心理的DVを受け、心理的影響を強く受けていた状態にあったことは否定できない」と認定した。

加えて、結愛ちゃんが「太った」と激高する雄大被告に対し、優里被告が「これに逆らうと、また過酷な説教をされるのではないか、また被害児童が暴力を受けるのではないか」との恐れもあって、これに従ってしまった面も否定できないとした。

結愛ちゃんに対し病院に連れて行かなかったことについても、雄大被告に「病院は?」と聞いたものの、雄大被告から「目のアザが治まったら連れて行こうか」と言われて、従った。

結愛ちゃんの容体が悪くなる中で、心配になって雄大被告に相談した際も「うんちが出たなら大丈夫」と言われたことで、それ以上の行動に出ていない。

こうした点にも裁判所は「従属する関係が見て取れる」と説明。

優里被告は病院に連れて行かなかったことについて「(連れて行くと)雄大に、怒られるどころじゃ済まないと思いました」と公判で述べた。

裁判所は「医療措置を受けさせたかったが、そうすると説教や虐待が更にひどくなると思ってそれに従ってしまった面が否定できない」と認めている。

心理的影響はあった。しかし最終的には、自らの意思に基づき、従っていた

ただ、裁判所はその心理的影響について「支配」とまでは言えないと、ある程度検察側の主張を認める形となった。

一定の心理的影響はあったものの、弁護側が主張するほどその影響は強固なものではなく「最終的には、自らの意思に基づき、雄大被告の指示を受け入れた上で、これに従っていた」と判断した。

その理由として挙げられたのは、優里被告の雄大被告に対する「抵抗」だった。

上京後、雄大被告が結愛ちゃんに暴力を振るうのを見てやめるように言ったり、離婚を切り出すなど抵抗の態度を示したこともあった。

優里被告は雄大被告の与える食事だけでは足りないと判断して、目を盗んで体重が増えない限度でだったが食事を与えていた。

雄大被告が結愛ちゃんに課した早起きの課題についても、実際には午前7時半頃に起きていたが、雄大被告にチェックされたときのために午前4時頃に起きたように書かせていた。

これらは、「雄大被告の言動で受け入れられないことがあった場合に、自らの意思に基づいて行動することができていたといえる」と判断。

「雄大からの心理的DVにより逆らいにくい面はあったにせよ、最終的には、自らの意思に基づき雄大の指示を受け入れた上で、これに従っていたと評価するのが相当である」とした。

つまり心理的DVの影響については、弁護側が主張するように、心理的に強固に支配されていたとまではいえず、特に、結愛ちゃんが嘔吐を繰り返すなど重篤な状態になる最後の場面では、雄大被告の態度は軟化。

優里被告も雄大被告に対して「弟を連れて外出して」と言うことができていた。

結愛ちゃん衰弱の状況は明らかで、「これを助けるため雄大被告による心理的影響を乗り越える契機があったというべきであるから、この点を被告人の責任を大幅に減じるほどの事情と見ることはできない」と断じた。

「報復を恐れていた」の程度はどう捉えられたか

公判では、優里被告が「病院に連れていくことで雄大被告が逮捕され、その後の報復を恐れていた」と供述していた。

その報復について、優里被告はかつて「浮気をしたらどうするか」という話の中で、「真顔で『殺す』と言われた。そこから殺されるなどの報復を受けることを恐れた」と語っていた

裁判所はその点について「病院に連れて行かない動機となるほど困難をもたらしていないし、切迫したものでもない」とした。

その理由は、雄大被告に対して「暴力はやめて」と言ったり、離婚を切り出したりして抵抗の態度を示した際に、雄大被告は少なくとも強度の暴行や脅迫に及んだことがなかったことだったと説明。

事件当時、想定しうる雄大被告からの報復は「(結愛ちゃんの)重篤な状態を知ってもなお、医療措置を受けさせようという動機を形成することが困難であったといえるほどに切迫したものであったとは認められない」と裁定した。

結愛ちゃんを保護しなかったことは悪質で、虐待は苛烈だった。でも苦痛を和らげる努力をしていた

最後に裁判所は、優里被告の犯行について「検察側が主張するような極めて強い非難が妥当とまでは言えない」と説明している。

裁判所は、優里被告と雄大被告による食事制限は苛烈で、結愛ちゃんの保護をしなかったことは悪質であって、優里被告も相応の役割を果たしているとした。

そして「優里被告の行為は厳しく非難されるべき」としつつも、その行動には「雄大被告の心理影響があって、その意向に従ってしまった面が否定できない」と説いた。

また雄大被告に隠れて被害児童に食事を与えたり、早起きの課題をごまかしたりした点は、「雄大被告の意向に正面から反しない範囲ではあるが、結愛ちゃんの苦痛を和らげようとする努力は行っており、添い寝をしながら看病をしており、全く放置したわけではない」とし、「極めて強い非難が妥当する事案とまではいえない」と判断した。

そして、「我が子を死に至らしめたことを深く悔やみ反省していること、雄大被告とは離婚し、結愛ちゃんの弟の親権者となり、今後その子を扶養すべき責任を負っている」ことや優里被告の父が出所後の支えとなる証言をしていることから、検察側と弁護側の中間である懲役8年の判決を下した。

雄大被告は何を語るのか。公判は10月1日から

この事件で、結愛ちゃんは身体に170以上の傷が認められた。

足の裏には、40カ所もの円形の傷跡があり、これはタバコを押し付けてできたものと類似していた。

ただ、暴行などケガの原因となった虐待の内容は、優里被告が実際に手を下しておらず、記憶もあいまいだったため公判では漠然とした内容にとどまっていた。

雄大被告の公判は、10月1日から東京地裁で開かれる。判決は10月15日の予定だ。

また、優里被告が東京高裁へ控訴したことにより、第一審公判中も心理的な影響があったとみられる言動や、記憶のあいまいな部分についても、さらに掘り下げてより冷静に審理ができる可能性がある。

ハフポストでは、出来うる限り雄大被告の公判についても詳報する予定です。

この記事にはDV(ドメスティックバイオレンス)についての記載があります。

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