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2020年03月01日 08時30分 JST | 更新 2020年03月01日 08時30分 JST

母による小さな命の記録『娘は戦場で生まれた』は映像版「アンネの日記」だ

カンヌ国際映画祭で最優秀ドキュメンタリー賞を受賞した『娘は戦場で生まれた』。本作は、戦地シリアで愛を見つけ、子どもを育んだ当事者による、戦火の生活の記録だ。

© Channel 4 Television Corporation MMXIX
映画『娘は戦場で生まれた』

爆撃で破壊された建物が並ぶ地上。建物からはモクモクと黒煙が上がっている。その黒煙を追って空に目を向けると、抜けるような美しい青い空がひろがっている。

無惨にも焼け焦げたバス。そのバスで乗り物ごっこをして遊ぶ子どもたちの眩しい笑顔が並ぶ━━。

 

娘は戦場で生まれた』は、そんな風に戦争の悲劇と、それとは対象的な笑顔や空の美しさが印象に残るドキュメンタリー映画だ。

監督を務めたのは、シリア出身のワアド・アルカティーブ。

2011年、アサド政権に対する抗議活動が始まった時には学生だった彼女は、戦争が始まると自らカメラを手に取り、記録を始めた。反政府活動に対する軍事行動が激化するアレッポにとどまり続け、そこで医師のハムザと出会い結婚、娘を授かる。

本作は、戦火のなか愛を見つけ、子どもを育んだ当事者による、戦火の生活の記録である。

毎日、おびただしい数の命が失われてゆく戦地で、新しい命とともに生きる彼女の視座は、外部のジャーナリストとは明らかに異なる。

この映画でのカメラは1人の生活者としての目であり、観客はその目を透して戦地での生活を体験させられる。そこには、想像を絶する過酷な非日常がある一方で、ユーモアに包まれた日常もまた存在している。

戦地での生活者がカメラを回したことで得られた貴重な戦争記録だ。 

 

死と破壊よりも、命と人間愛

© Channel 4 Television Corporation MMXIX
映画『娘は戦場で生まれた』

「当初から、私は様々なニュースで取り上げられてきた死や破壊に焦点を当てるのではなく、命と人間愛についての物語を記録することに興味を持っていました」(公式プレスシートより)

ワアド監督はカメラを回し始めた理由をこう語る。

本作には多くの死と破壊が記録されている。夫のハムザが医師であるため、日々病院に多くの重症患者が運ばれてくる様子も度々映し出され、遺体が山なりに置かれている様や、突然轟音が鳴り響き爆撃によって建物が破壊されこともしょっちゅうだ。

しかし本作は、平和な社会に生きる我々にとって「珍しい」悲惨な戦場の光景ばかりではなく、家族団らんや食後に楽しく踊る様子、ペンキ塗りを楽しむ子どもたちなどの屈託ない笑顔も同じくらい映し出す。

ワアド監督と共同で監督にクレジットされているエドワード・ワッツ氏は、「ドキュメンタリー映画を制作する際はいつも、世界のあちこちで絶望的な状況に生きる人々が持つユーモアや人間性を共有し、それを強調」することを目指しているという。(公式プレスシートより)

こんなシーンがある。

突然の爆撃で停電となり、建物の一部が崩れる中、2人の男性はつい今しがたの爆撃で飛んできた金属片がまだ暖かいと知ると、「もったいないからな」と笑いながら暖を取り出す。

使えるものは何でも使うたくましさにも感心するが、絶望をユーモアで乗り越えようとする姿勢に心打たれる。

ほかにも、焼け焦げたバスで乗り物遊びに興じる子どもたち、町が包囲された記念にお祝いの言葉を告げて笑いをとる女性など、本作は多くのユーモアと、目を背けたくなる悲劇の瞬間と同じくらい人間の温かさにも溢れている。

ワアド監督は、「自由のための闘争のさなかに、普通の生活を送ろうとする、シリアの一般市民たちの知られざる現実を伝えること」を目標にしていたそうだ。

本作を並外れたものにした要因は、そんな市井の人々が生活する力強さを捉えた点にある。生活が描かれるからこそ、それを一瞬で根こそぎ奪ってゆく戦争の恐ろしさと愚かが一層強く伝わると同時に、その愚かさに飲み込まれない生活者たちの強さもまた一層力強く見えるのだ。

当事者による戦争の記録

© Channel 4 Television Corporation MMXIX
映画『娘は戦場で生まれた』のワアド・アルカティーブ監督

本作のもう1つの大きな特徴は、この記録がまさに戦争被害の当事者の手によるものだという点だ。

『アンネの日記』が今日重要な書であるのは、アンネ・フランクのユーモラスな文体の素晴らしさもさることながら、それが当事者による貴重な記録であるからだ。

本作は、言うなれば映像による『アンネの日記』だ。

ワアド監督は、ジャーナリストとして克明に戦地を記録すると同時に自らも戦地で一般市民として生活し、自分の人生を生きている。

この映画には、そんな彼女自身の姿もまた克明に記録されている。 様々な場面の細かやな生活のあれこれに注目できるのも彼女が当事者だからこそ。「撮れ高」を気にせず、日々を記録できる立場にあるからこそ、生活のリアルとユーモアも逃すことなくカメラに収めることができている。

シリア内戦は彼女に限らず多くの当事者によって、その模様がSNSやYouTubeなどを通じて発信されている。これほど多くの情報が当事者によって発信された戦争はいまだかつてなかったのではないか。

「伝統的に男性では近づくことのできない女性や子どもたちの経験を追うことができた」とワアド監督は語る。

安易に「女性ならではの視点」と言うべきではないかもしれないが、日々戦闘行為や作業に追われる男性たちとは異なる戦争体験がここには記録されているし、ユーモアと生活を営むこと自体が驚くほど人々に活力を与えているのだということを本作は伝えている。

彼女は戦地で愛する人に出会い、娘を授かり家族を築いた。命が日々失われてゆく戦地で、新たな命が生まれたことが人々にどれほど大きな希望を与えただろう。生活を営むこと自体が人々に大きな希望となっていたのだ。

 

命の終息地のような戦地で、すくすくと育ってゆく娘の名は、アラビア語で「空」を意味する「サマ」。

爆撃機が残していった黒煙が立ち込めるアレッポの夕日の空に2羽の鳥が優雅に飛んでいるカットが挿入される。地上が蹂躙されてもなお、シリアの空の美しさは穢されていないのだ。この子の未来もそんな空のように美しくあってほしいと心から願わずにいられない。

(編集:毛谷村真木