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2020年08月01日 15時45分 JST | 更新 2020年08月01日 15時45分 JST

履歴書の性別欄が無くなるまでの17年間のあゆみ

JIS規格の履歴書から性別欄がなくなった。これは、日本の性的少数者の運動史に残る歴史的な変化だ。17年以上声を上げ続けた、署名運動にいたるまでの歴史をふりかえってみたい。

bee32 via Getty Images
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運転免許証にはない。マイナンバーカードにはある。健康保険証には裏面記載でもよくなった。履歴書からは今度からなくなるかもしれない。 

なんの話かといえば「性別欄」の話だ。 

多くの人にとっては、記入するのになんのためらいもないだろう。しかし、出生時の性別とは異なる性別で暮らしたいと願うトランスジェンダーにとってはそうではない。男か女か、その1文字によって自分の存在を否定されるだけでなく、生活が大きく左右されることがある。

6月30日、JIS(日本産業規格)の履歴書から性別欄をなくすよう、若者の労働問題にとりくむNPO法人POSSEやトランスジェンダーの当事者が、オンライン署名サイトChange.org(チェンジ・ドット・オーグ)のキャンペーン「履歴書から性別欄をなくそう #なんであるの」で集めた約1万名の署名を、経済産業省に提出した。 

要望は受け入れられ、同省からJIS規格を管理する一般社団法人日本規格協会に行政指導がされた。同協会は2020年7月9日付で性別欄を記載してきたこれまでの履歴書の様式例の削除している。

協会はホームページ上で「公務員試験、高校入試などでは性別欄をなくす動きが全国的に広がりつつある中、引き続き掲載することによって、JISで規格されている、何らかの方向付けをしているなどの誤解を招きかねない。このことから削除することにした」と今回の経緯を説明した。 

日本中の文具メーカーは、これまでJIS規格の様式例に沿って履歴書を作ってきた。その様式例がなくなったことで、各メーカーの判断で性別欄のない履歴書様式が作成・販売される可能性が大いに出てきた。

筆者はオンライン署名サイトChange.orgのスタッフであり、このキャンペーンがたちあがった当初から発信団体であるNPO法人POSSEのサポートを行ってきた。また私自身がトランスジェンダーの当事者のひとりであり、長年、履歴書の性別欄撤廃を切望してきたひとりでもある。

一見あっけなく変化が生まれたような今回のできごとは、実は当事者コミュニティが17年以上ずっと要望してきたことであり、日本の性的少数者の運動史にまちがいなく残る歴史的な変化でもある。

大きな変化の場面に居合わせた人間として、またトランスコミュニティの一員として、今回の署名運動にいたるまでの歴史をふりかえってみたい。

 

長年の悲願だった性別欄削除

筆者が把握できた中で、もっとも古くから履歴書の性別欄削除について組織的に要望を行っていたのは「性同一性障害をかかえる人が、普通にくらせる社会をめざす会」(通称gid.jp)だ。同会が発足した2003年9月に、当時の坂口力厚生労働大臣に面会をし、当事者の声を直接伝えている。 

2003年7月には、いわゆる「性同一性障害特例法」が成立し、性別適合手術を受けた人や婚姻状態にない人、子どもがいない人(その後、未成年の子どもがいない人へ変更)などのいくつかの要件をクリアした当事者は戸籍上の性別変更が可能となった。しかし、さまざまな要件が作られたことによって、法律を作るために声をあげた仲間たちの多くは救済されなかった。

gid.jpの山本蘭代表(当時)は、要望書の中で「性別変更が可能な人はごく少数に止まるのではないか」とした上で「様々な就労・職場差別を受けることにより安定した収入が得られず、医療機関にかかるための費用を確保することすら難しい」「当事者はまだまだ医療面、就労(経済)面において、はなはだ不自由な生活を強いられています」と述べている。

要望書には、さまざまな書類における性別欄削除をもとめる文脈で、「JIS履歴書、高校統一用紙などあらゆる履歴書からの性別欄の削除」があげられていた。

しかし、それから実際にJIS規格の履歴書が変わるまでには17年の年月を必要とする。 

この間、ずっとgid.jpは就職差別の問題を訴えて国への陳情を続けてきた。履歴書に法律上の性別を書かなくても、自認する性別を書いても、法的には問題にならない。それでも、実際には当事者の多くは就職活動で困難を抱え、自認する性別として内定を得たあとに「うそつき」と呼ばれて内定辞退を強いられてきた。 

戸籍の通りに記入し、異なる外見で面接を受ければ、面接時間の多くを性別についての説明でつぶしてしまうことになる。「体はどうなってるの?」と聞かれたり「そういう人は探していないので」と差別的な対応をされたりすることも多い。認定NPO法人ReBitの調査によれば、トランスジェンダーの約9割が就職活動において困難を抱えたことがあるとのデータもある。

小さな性別欄、たったひとつの文字によって、基本的人権のひとつである職業選択さえ左右される状況は続いていた。

当事者たちの陳情によって変わったこともある。

たとえば全国のハローワークでは「住民票とは異なる性別で就職を希望する者」は性別欄を記載しなくてもよいこと、求人者に求職者の性別を伝える必要がある場合には本人の希望を尊重することなどが周知された。

高校入試や自治体採用試験において性別欄を設けない自治体も増えていった。 

それでも、JIS規格の履歴書の性別欄を変えることは難しかった。 

2017年8月にもgid.jpは厚労省を訪れ陳情している。JIS履歴書からの性別欄削除について尋ねた代表の山本氏に対し、経産省の担当者は「日本規格協会に今回の要望を伝えた」としつつ「現在、政府が女性活躍社会やポジティブアクション等を行っていて経済界のニーズがある。それ故、一方の意見を聞いて決めることでなく、時代の要請を受け、慎重な議論が必要かと思われる」と回答している。

この発言の背景には、履歴書に性別欄があったほうが性差別の実態がよくわかるのではないか、という考え方がある。そのことも、性別欄の削除を困難にする要因のひとつだった。

 

当事者以外も声をあげる時代へ

今回、Change.orgで署名活動を行ったのは若者の労働問題に取り組むNPO法人POSSEだ。残業代未払いや長時間労働など、さまざまな労働問題に日々取り組むPOSSEは、性的少数者が職場でアウティングなどに苦しんでいることを踏まえ、労働問題として、性的少数者の差別解消に取り組もうとしていた。POSSEは6月にもアウティング被害を受けた当事者と一緒に豊島区に申し入れをして、記者会見している。

トランスジェンダーの多くが就労の手前で困難を抱えていることから、POSSEは履歴書の性別欄に目をつけた。性別欄があることが女性差別が起きる原因になっていると彼らは考えた。

2018年には複数の大学の医学部で、女子学生が減点され、大量に不合格になっていたことが報道された。そもそも性別欄がなければこのような不正入試は起きなかったはずだ。 

先日も、ある商社の企業説明会が男性の就活生のみに案内されていたとの書き込みがSNSで話題になったが、就職活動においてこのような差別は少なくないと考えられた。 

Change.orgのキャンペーン文でPOSSEはこう書いている。 

「男だから採用する、女は採用しない、などと性別を採用の判断に用いることは男女雇用機会均等法で禁じられています。性別を尋ねる合理的理由がないのに、日本中の履歴書にはどうして性別欄があるんでしょう」

女性差別をなくすために1985年に制定された雇用機会均等法では、そもそも採用活動において性別を根拠に判断することを禁止している。性別欄を削除することは、性差別解消にもつながっていくはずだとPOSSEは考えた。

Change.orgでPOSSEがキャンペーン「履歴書から性別欄をなくそう #なんであるの」をたちあげる5カ月前、2019年9月に開催された厚労省の労働政策審議会では女性活躍を推進するために履歴書で性別欄を聞く必要が本当にあるのか、という論点での話し合いが行われていた。 

政府は女性活躍推進にとりくむ優良企業を認証する「えるぼしマーク」という制度を設けている。これまで「えるぼしマーク」で認証されるためには「男女別の採用における競争倍率が同程度であること」が条件となっており、そのためには採用前にあらかじめ応募者の性別を把握しておく必要があった。この要件について会議に参加していたひとりから「(性的少数者への配慮から)採用において性別欄を削除した場合に、えるぼしの認定が受けられなかった事例があった」と報告があった。

「必ずしも競争倍率でなくてもいいのではないか。採用した労働者に占める女性労働者の割合が4割程度など他の基準でもいいのでは」。この意見を受けて、今年6月以降、採用前に性別を把握しない場合でも企業は「えるぼし」認定を受けられるように基準が変わった。

こうして、採用時に性別を把握しておかなくても女性活躍にとりくむことが可能であることが制度の面でもようやく整理された。2017年に経団連が「ダイバーシティ・インクルージョン社会の実現に向けて 」を発行し、各企業のエントリーシートについて性別欄を設けない取り組みがあることを紹介したことも背景としては大きい。

Change.orgで立ち上がったキャンペーンには、インターネットの利便性を活かして、これまで性別欄によって苦しい思いをしてきた当事者の声が全国から寄せられた。 

「履歴書の性別欄と面接時の服装に悩みすぎて疲れ果て、就活を諦めてしまいました。働くことに性別は関係ないはず」

「戸籍の性別が女性とされているトランス男性です。これまで自分で作成した履歴書を出せば良いのではとたかをくくっていましたが、このほど転職しようと応募した際、会社からJIS規格の履歴書の提出をうながされ、はじめて、このことが問題であるとわかりました」

当事者に限らず、全国から1万名の声が集まったことも大きかった。当事者団体が要望するのではなく、当事者と共に労働問題にとりくむアライ(支援者の意)が呼びかけを行い、広くこの問題について周知を行ったことは象徴的でもある。すでに性的少数者の抱える生きづらさの解消を当事者団体だけで取り組む時代ではなくなっていた。

こうして今年6月30日、経産省への署名提出からわずか9日後にJIS規格の履歴書の様式例はまるごと削除されることになった。



日本の就職活動のこれから

歴史はいつでも記録する者の立場によって異なって描かれる。今回、17年間のあゆみについて紹介したが、これ以外にも声をあげた性的少数者の個人や団体はいただろう。1990年代に活動していた最古のトランス当事者団体のひとつ「TSとTGを支える人たちの会」も立ち上げ当初から、就労の困難さについて取り扱っていた。性的少数者のグループ以外でも声をあげた人々がいたかもしれない。もし補足があればご指摘をいただけるとありがたい。

書類の中にあるちっぽけな枠、たった1文字の「男」「女」によって人生が大きく左右されてきた人たちが、これからの時代には、もう少しだけ、のびのびと就職活動できる社会がやってくる。 

JIS規格の履歴書の様式がなくなったことで、性別欄だけでなく生年月日や顔写真の必要性についても、今後議論が広がっていくだろう。実際に、Change.orgでは履歴書の年齢欄をなくすことを求めるキャンペーンも立ち上がっている。

かつてJIS規格の履歴書には本籍地を尋ねる欄があり、部落差別につながることから削除された。欧米諸国では、ルッキズムや人種差別につながる可能性もあることから、顔写真の添付が求められない例が多い。

1970年、アメリカの5大オーケストラにおいて、女性演奏者の割合はわずか5%以下だった。それがオーケストラの入団審査で演奏者の容姿がわからないようカーテンを導入すると、女性の演奏者の審査の通過率は50%も増加した。女性演奏者が増えただけでなく、演奏の質も向上した。差別をなくすためには意識を変えるだけでなく、仕組みやデザインを変えたほうがうまくいく場合も多い。

長年の当事者の要望からバトンをひきつぎ、1万名の署名運動は大きな風穴をあけた。 

履歴書を作成するメーカー各社や、エントリーシートを作る各社の様式が今後どうなっていくのか、注目していきたい。