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2020年10月05日 11時43分 JST

「不妊治療の保険適用」では切り札にならない「少子化」の深刻度

菅首相が少子化対策として打ち上げた「不妊治療の保険適用」。だが、根本的な少子化対策として、不妊治療費は「点」の政策に過ぎないだろう。

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新しい首相に就いた菅義偉氏は、自民党総裁選の最中から「不妊治療の保険適用」を政策の柱の1つとして打ち出した。

9月27日に公明党大会に出席した際もあいさつで、不妊治療への保険適用について、

「公明党から強い要請を受けていた。できるだけ早く適用できるようにしたい。それまでの間は助成金を思い切って拡大したい」

と繰り返し、少子化対策に本腰を入れる姿勢を見せた。

これは、「デジタル庁創設」や「携帯電話料金の引き下げ」などとともに、菅首相流の「一点突破型」の政策提示といえる。「女性活躍促進」「1億総活躍」といった「掛け声型」の安倍晋三前首相とは、180度スタイルが違うものの、多くの国民が求める具体策を提示したからか、発足時の内閣支持率は極めて高い。

 

「86万ショック」

菅首相は目指す国家像などをなかなか語らないが、少子化が日本社会を根底から揺るがす深刻な事態を引き起こそうとしていることに危機感を抱いているのだろう。

「『86万ショック』と呼ぶべき状況」――。

政府が7月31日に閣議決定した「2020年版少子化社会対策白書」では、2019年の年間出生数が初めて90万人を割り込み、86万5234人と過去最少を更新したことをこう表現し、危機感をあらわにした。

当然、菅氏も官房長官としてこの閣議決定に加わっていた。それから1カ月も経たない8月25日、厚生労働省が発表した人口動態統計(速報値)では、2020年上半期(1-6月)の出生数が明らかになった。43万709人。前年同期に比べて8824人も減少、2020年の年間出生数が、前年をさらに下回る懸念が強まっている。

86万人といってもピンと来ない人が多いに違いない。2015年には100万5721人の新生児が産まれていたのに、90万人を一気に下回った。110万人を割り込んだのが2005年で、100万人割れの2016年まで10万人減るのに、11年かかっていた。しかし、わずか4年で14万人も減ったのである。

出生率の低下は、経済的な問題が大きいとされてきたが、この4年、経済は比較的好調だった。それでも出生数が激減しているのは、そもそも出産する年齢層の女性人口が、大きく減り始めていることが大きい。

昨年10月1日時点の人口推計によると、46歳の女性の人口は100万2000人。戦後ベビーブーム世代の子どもである「団塊ジュニア」と呼ばれた人たちの世代だ。43歳から47歳までの女性人口は、478万人に達する。彼女たちがいわゆる出産適齢期から外れたことが、少子化に拍車をかけた。

そのためなのかどうなのか、厚労省が不妊治療に助成金を出す際の治療開始年齢の上限は、43歳未満になっている。

この団塊ジュニアをピークに人口は急激に減る。その次の世代、38歳から42歳の女性は400万人、33歳から37歳は357万人、28歳から32歳は313万人だ。

この出産適齢期の女性人口の減少が顕著に表れたのが、ここ数年の出生数の激減とみられる。現在0歳から4歳までの女性は232万人しかいないので、団塊ジュニア世代のざっと半分だ。彼女たちが成人して、子どもを出産するころには、さらに出生数は減る。大幅に出生率が上昇でもしない限り、もはや出生数の減少は止められないステージに入ったと言っていい。

 

力を発揮できない「少子化担当相」

菅首相が不妊治療への保険適用や助成拡大を打ち出したのは、女性人口の多い世代に、できるだけ子どもを産んで欲しいという思いが反映されているのは明らかだ。

少子高齢化によって、働いている現役世代の社会保障負担は現在でも大きい。男女合わせて100万人を切った出生数の世代が働く世代になった頃、つまり20年後には、さらに現役世代の負担が重くなるのは間違いない。

それでも年金制度や健康保険制度が維持できるのか。少子化をどこかで止めないと、社会構造自体が崩壊してしまう。

もちろん、政府もこうした急速な少子化を問題視してこなかったわけではない。内閣府特命担当大臣に、「少子化対策担当」を独立して置いたのは、2007年の第1次安倍改造内閣だった。その後、民主党政権時代も含めて、少子化担当相が置かれてきた。

だが、任命された少子化担当相が力を発揮し、成果を上げてきたかと言えばそうではない。歴代の内閣が、大臣の主要担当職務と必ずしも位置づけてこなかったからと言ってもいい。

民主党政権時代には、3年余りの間に担当相が9人(官房長官の事務代理を含めると10人)にも及んだ。まさに「たらい回し」状態だった。第2次安倍内閣以降は、7年9カ月の間に6人と人数こそ減ったが、全員、初入閣の大臣が少子化担当となっており、決して「重量級」を据えるポストとしては扱われてこなかった。

また、当初は女性議員が担当相に就くケースが多かったが、第2次安倍内閣以降の6人のうち4人が男性議員となった。

さらには、他の担当と数多く掛け持ちするケースがほとんどで、安倍内閣の最後の担当相だった衛藤晟一大臣は、少子化対策に加え、沖縄及び北方対策、消費者及び食品安全、海洋政策、一億総活躍、領土問題を担当していた。

菅内閣で少子化対策担当相に就いた坂本哲志議員は、地方創生と一億総活躍、まち・ひと・しごと創生担当と、従来に比べれば担当が少ないものの、やはり初入閣で、少子化対策の手腕は未知数だ。

 

増加に転じる気配がない

菅首相が大々的に打ち上げた「不妊治療への国の支援」だが、これまで政府が何もやってこなかったわけではない。

前述のように、治療開始時点で妻が43歳未満の夫婦に対して、体外受精や顕微授精の不妊治療を行った場合に、1回15万円(初回は30万円)、6回まで(40歳以上は通算3回)助成が受けられる。ただし、夫婦合算の所得が730万円までという制限が付いている。

それでも国の助成を受けた人は、2015年度にのべ16万733件、16年度はのべ14万1890件、17年度はのべ13万9752件にのぼった。また、地方自治体が独自の助成金を出しているケースも多い。

今回、菅首相は、730万円という所得制限を撤廃することや、健康保険の適用対象にすることで、不妊治療に関する経済的負担を小さくすることを掲げている。欧州などでは不妊治療に所得制限を設けていない国も多く、こうした制度を参考にする考えだ。不妊に悩む夫婦にとっては歓迎すべき政策であることは間違いないし、分かり易い政策だとも言える。

だが、根本的な少子化対策として、不妊治療費は「点」の政策に過ぎない。なぜ、子どもを産もうとしないのか、そもそも、結婚しない女性が増加傾向にあるのはなぜなのか。その理由が、単純に経済的なものなのか。

生涯で子どもを産むかどうかは、極めて個人的な価値観の問題で、プライバシーの最たるものだ。政治家が音頭を取って「もっと子どもを産みましょう」と呼び掛けることはタブーに近い。

太平洋戦争中に国策として、「産めよ殖(ふ)やせよ」と政府が掲げたことへの反動も、戦後の長い間、影を落とした。

産みたいという意思を持つ夫婦の不妊治療を支援することには抵抗が少ないが、欧州諸国のように、潤沢な子ども手当を支給したり、3人目の子どもの保育費用を免除したりするような、子どもを産むことにインセンティブを付ける政策には踏み込めない状況が続いてきた。

それでも民主党政権の「子ども手当」を引き継いだ児童手当の増額や、教育費の無償化など、一歩一歩政策は進んできたとも言える。にもかかわらず、出生数は増加に転じる気配をほとんどみせていない。

不妊治療への助成拡大は、「象徴的」な政策ではあるものの、これが切り札になって少子化が止まるということには、まずならないだろう。

菅首相は日本を人口崩壊の危機からどう救おうとしているのか。そのためには政策として何が必要なのか。将来を見通したビジョンを描いたうえで、抜本的な対策を取っていくことが求められている。

磯山友幸 1962年生れ。早稲田大学政治経済学部卒。87年日本経済新聞社に入社し、大阪証券部、東京証券部、「日経ビジネス」などで記者。その後、チューリヒ支局長、フランクフルト支局長、東京証券部次長、「日経ビジネス」副編集長、編集委員などを務める。現在はフリーの経済ジャーナリスト。著書に『2022年、「働き方」はこうなる』 (PHPビジネス新書)、『国際会計基準戦争 完結編』、『ブランド王国スイスの秘密』(以上、日経BP社)、共著に『株主の反乱』(日本経済新聞社)、『破天荒弁護士クボリ伝』(日経BP社)、編著書に『ビジネス弁護士大全』(日経BP社)、『「理」と「情」の狭間――大塚家具から考えるコーポレートガバナンス』(日経BP社)などがある。

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(2020年9月30日フォーサイトより転載)