アートとカルチャー
2021年05月25日 11時41分 JST | 更新 2021年05月25日 12時13分 JST

平野啓一郎『本心』は問いかける。嘘偽りのない本当の「本心」なんて存在するのか?

時代設定は2040年代の近未来の日本。主人公の朔也は、「自由死」を望みながらも事故死した母親の「本心」を探ろうと、高度な技術を用いて母を「バーチャル」に再現し対話を試みる。「人間の心とは一体何なのか?」という問いを読み手に何度も突きつける作品だ。

インタビューを終えてノートを閉じたあと、ふと取材相手が本音を言うことがある。

「いやあ、先ほどはああいう風に言ったのですが、本当は自信がないんです」

2008年のリーマンショックで世界中が不況だったときのことだ。地方の工場から大企業まであちこちを取材する中、ある地方の中小企業の社長が「経営が苦しくても、みんなの雇用だけは絶対守る」と私のインタビューに答えた。ところが、取材を終えて帰ろうとしたときの玄関先で、「こんなに苦しい時代はない。雇用について本当は自信がない」と弱音を私に漏らした。まったく真逆のことを言っている。

オフィスに戻った私は、改めてその企業の経営状況や、日銀や地域の経済産業局などのデータを見た。自信の無さは、本音らしくも思えた。もし「雇用を守る」という本人の発言を記事で紹介したあとに、リストラが行われれば、結果的にウソを書くことになる。 

12年以上前のことだ。記事にはしなかったが、未だに私は彼の「本心」のありかが分からないでいる。

 

 

小説家・平野啓一郎の最新作『本心』(文藝春秋)は、人間の本当の心とは何か、という主題を扱う。時代設定は2040年代の近未来の日本。主人公の朔也は30歳になろうとしている。母子家庭で育った彼は、半年前に亡くなった母親を高度な技術を用いて「バーチャル」に再現し、ヘッドセットを使って仮想空間にいる母親と対話をする。

 

文藝春秋
平野啓一郎「本心」

 

このバーチャルな母親は、機械学習によって、本物に近づいていく。言葉を覚え、思い出話も語り出す。そのため朔也は、母親が「自由死」を望んでいた理由や自身の出生の秘密など、複雑な胸のうちを知る。

 主人公の仕事、「リアル・アバター」も面白い設定だ。依頼者から頼まれてゴーグルを装着し、街の中を歩いて買い物をしたり、旅行に行ったり、雑用をこなしたりする。依頼者が遠隔操作をすることで「分身」として活動して報酬をもらうビジネスだ。新型コロナウイルスの感染拡大で、食事をウーバーイーツで頼み、会社の同僚とZoom上のバーチャル空間で話す私たちにとって、極めてリアルな世界だ。 

母親との対話や、リアル・アバターとして交流する人とのやり取り。こうしたバーチャル空間で交わされる会話は本心なのか。私たち読者に繰り返し突きつけられる問いだ。

 

 

冒頭に「雇用を守る」と発言した中小企業経営者のことを書いた。もちろんインタビューで悪質なウソをつく人もいるし、自分をよく見せようと話を誇張する人もいる。一方で、彼は弱気な心を直後に漏らしたにせよ、取材中に発せられた「雇用を守る」という言葉は、自分を鼓舞するためでもあり、記事を読むかもしれない従業員に向けて発せられた “覚悟ある言葉”だと私は感じた。

 

取材中の言葉と、玄関先での言葉。果たしてどちらが本心だったのだろうか。

 

平野啓一郎『本心』では、様々な登場人物が、大きな壁を前にしながらも、相手に自分の思いを語る。刑事事件で逮捕されて、拘置所の係員に監視される中、かつての同僚に思いを伝える男性。日本語に自信が持てないながらも感謝の気持ちを伝えようとするミャンマー人女性。そして、機械学習で覚えた言葉を使って息子の朔也と心を通わすバーチャルな母親。

 

彼らの言葉を否定することは簡単だ。拘置所で語られる言葉は、監視員を意識したものになるだろうし、慣れない言語で複雑なニュアンスは語れない。バーチャル空間の母親の言葉は、機械によって人工的に作られたものだ。それぞれの事情によってコーティングされた言葉であり、ウラ話を聞けば、真逆の本音が明らかになるかもしれない。

 

しかし、平野啓一郎『本心』を読み進めるにつれて、こんなことも思うーーそもそも人間の言葉に、オモテもウラもあるのだろうか?

 

誤解を恐れずに言えば、社交辞令や取り繕うように語った言葉にも「本心」が含まれている。なぜなら人間が発する言葉とは、その言葉自体の辞書的な意味よりも、その言葉を誰かが受け止め、その言葉を話し手と聞き手がともに信じ、その言葉が真実になるまでに、未来に向かって努力する「共同作業」を経て、初めて生きてくると私は思うからだ。

 

言葉が本心か否か、日常的に誰もが悩んでいる。果たして相手に本心を言うべきか。相手が語った言葉は本心か。どうすればいいのか。いや、そこに問題はないのだ。なぜなら「言葉が本心か否か」というのは、つまるところ、話した人と聞いた人が選ぶ未来にかかっているからだ。だったら、二人で「本心」にしてしまえば良い。

 

ハフポスト日本版

『本心』の発売日である5月26日(水)夜8時から、平野啓一郎さんへの公開インタビューをTwitterの音声会話機能「Spaces」で実施します。

 時間になったらハフポスト日本版公式Twitter @HuffPostJapan のトップにツイートを固定します。そちらからぜひお聞きください。

「 #本心公開インタビュー 」で質問やご意見もお待ちしています。