今週末、参院選投開票日〜これ以上、社会が壊されないために

デモでフリーターの人々が「生きさせろ!」「月収12万じゃ生きてけないぞ!」と叫んでいる姿に頭をブン殴られるような衝撃を受けたのが、2006年4月。私は声を上げ続け、選挙で意思を表明する。
都庁前に掲出された、第26回参議院選挙のバナー(東京都新宿区)
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時事通信社

「我々は反撃を開始する。若者を低賃金で使い捨て、それによって利益を上げながら若者をバッシングするすべての者に対して。我々は反撃を開始する。『自己責任』の名のもとに人々を追い詰める言説に対して。我々は反撃を開始する。経済至上主義、市場原理主義の下、自己に投資し、熾烈な生存競争に勝ち抜いて勝ち抜いて勝ち抜いて、やっと『生き残る』程度の自由しか与えられていないことに対して」

この言葉は、今から15年前の2007年に出版した『生きさせろ! 難民化する若者たち』の「はじめに」冒頭だ。

私が生存権を求める運動に出会ったのが06年4月。

「プレカリアート」(不安定なプロレタリアートという意味の造語)のメーデーに行き、そのデモでフリーターの人々が「生きさせろ!」「月収12万じゃ生きてけないぞ!」と叫んでいる姿に頭をブン殴られるような衝撃を受けた。

そんなデモ前の講演で、この国に蔓延する生きづらさの背景に「新自由主義」があることや、「都市がモザイク状にスラム化している」なんて話を聞いた。日雇い派遣をしながらネットカフェで暮らす人々が増えているという話で、まだ「ネットカフェ難民」なんて言葉がなかった頃だ。それ以外にも、若い世代の自殺増加の背景で静かに進む雇用・生活の破壊が鮮やかに分析されていた。

それまで、「生きづらさ」や「自傷行為」などの取材をしつつ、「これらの背景には、何か大きな構造の問題があるのでは?」と思っていた私にとって、まさに「これだ!」と叫びたくなるような気づきを与えてくれた1日だった。

その日から、ネットカフェ暮らしの人や過労自殺した人の遺族、フリーターなど非正規で働く人たちに取材しまくり、また、すでに「反撃」を始めている人たちにも話を聞き、気がつけば自分もどっぷり活動家となる中で書き上げたのが『生きさせろ! 難民化する若者たち』。07年3月に出版された本書は大きな反響を呼び、その年のJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を頂いた。

そんなふうに声を上げ始めてから、今年で16年。

このかん、数えきれないほどデモをし、集会をし、多くの政治家に働きかけ、メディアでも発信し、院内集会などをしてきた。厚労省や東京都にも何度も申し入れをし、生活保護行政を巡る事件(餓死事件など)が起きれば、全国の福祉事務所にも行って話し合いをしてきた。私には、そのような行動を誰にも負けないほどにやってきたという自負がある(何人かには負ける)。

その結果はどうか。

06年、私が運動を始めた年に33%だった非正規雇用率は今や4割に迫り、06年に1600万人だった非正規雇用者は、とっくに2000万人を突破している。賃金はどんどん下がって、94年と19年の世帯所得の中央値を比較すると、35歳から44歳では104万円減少。45歳から54歳ではその倍近くの184万円も減っている(経済財政諮問会議による調査)。そうして平均賃金は数年前に韓国にも抜かれ、日本はすっかり「貧しい国」になってしまった。

そしてこの2年間、私が目の当たりにしているのは、これまでギリギリで生活してきた非正規の人々が、コロナ禍によって仕事を失い、とうとうホームレス化してしまったという光景だ。その中には、私と同世代の40代ロスジェネも多い。

「路上生活で3日食べてない」「寝る場所がない」「普通の生活がしたい」「もう疲れました」「死にたい」

同世代から語られる言葉に、何度涙を堪えてきただろう。

そんな中には、「20歳頃からずっと製造業派遣で転々としてきた」という人や、「10年近くネットカフェ生活だった」という人もいる。

生まれた年が数年違えば、きっと違った人生があったはずのロスジェネ。たまたま自民党政権が進めてきた非正規化の波に最初に巻き込まれ、翻弄されまくったのが私たちの世代だ。

自分自身、そんなことに憤り、ずっと声を上げてきたのに、破壊されるスピードの方が速いという現実に、時々心が折れそうになる。

もうひとつ心が折れそうになるのは、「失われた30年」の間、経済を停滞させまくってきた自民党政権がなぜ支持され続けているかということだ。

前々回でも書いたように、バブル崩壊は91年で31年前。ロスジェネ=氷河期世代の苦境はそこから始まっているのに、なぜ、30年間放置し続け、「自己責任」と突き放し続けたのか。

それでも、3年前にはちょっとだけ動きがあった。多くのロスジェネが40代になった19年、政府は突然この世代を「人生再設計第一世代」と名付け、3年かけて氷河期世代を30万人正社員化するとぶち上げたのだ。その時点で多くの人は「は? いまさら?」「もう手遅れ」と思ったわけだが、あれから3年経とうという現在、それは達成されたのだろうか?

残念ながら、答えはノー。あれほど大々的にぶち上げた施策だというのに、現時点で正社員化した氷河期世代はわずか3万人。いったいどうやってあと27万人を正社員化するのだろう。結局、すべては「コロナ禍のせいで」ということにされるのだろうか。

と、ロスジェネの苦境だけを振り返っても、自民党の「無策」という罪はあまりにも大きいと思うのだが、それだけではない。

「競争に勝てないやつは勝手に死んでくれ」という自己責任社会は、本来であれば助け合う人々を、蹴落とし合う敵として対立させた。その結果、人々の間に疑心暗鬼がはびこり、多くの人を病ませていった。誰かのクビが切られれば、束の間自らの安泰が訪れるという、他人の不幸を願う社会。そんな社会が生きやすいはずはない。

そうして、あらゆるところで分断ばかりが進んだ。公務員バッシングもそうだし、12年、自民党議員が主導した生活保護バッシングなどはその最たるものだ。

あれから10年経って、困窮者支援の現場では何が起きているか。

バッシングによって生活保護への偏見を植え付けられた人の中には、コロナ禍でどんなに自身が困窮しても「生活保護だけは嫌だ」と非常に強い忌避感を持つ人がいる。自民党主導のバッシングが、コロナ禍の今、必要な人を公的福祉から遠ざけ、その命を危険に晒しているのだ。所持金数百円でも「恥なんで、死んでも嫌です」と首を横に振る人の説得に、この2年以上、どれほど時間を使ってきただろう。そのたびに、政権与党がなんという恐ろしいキャンペーンをしてくれたのだろうと心底憤る。

それだけではない。自民党政治は政治への信頼も粉々にしてきた。森友問題、加計問題、公文書改ざん、「桜を見る会」などなど、挙げていったらキリがない。また、特定秘密保護法や安保法制など強行採決の連発で、声を聞かない、声を踏みにじる政治が続いてきた。そうしてコロナ禍で強行されたオリンピック。そんな昨年夏の第5波では、少なくとも202人が自宅療養中に命を落としている。第6波では、少なくとも555人。

さらに駄目押しのように、この参院選のさなかも次々と信じがたい不祥事が続いている。

自民党議員の大多数が参加する「神道政治連盟国会議員懇談会」にて、「LGBTQの自殺は本人のせい」など、性的マイノリティを差別する内容の冊子が配布された件。

また、自民党の比例候補の井上よしゆき氏が、参院選の出陣式で、やはりLGBTへの差別的な発言をしたとして大きな批判を浴びている。

ちなみに自民党議員と言えば国会質問ゼロ、質問主意書ゼロ、議員立法ゼロという「まったく仕事をしない議員」が多くいることで有名だが、東京選挙区から出馬している生稲晃子氏は、アンケートにほぼ無回答という事実により、堂々の「当選しても仕事しません!」宣言。のちに無回答はもろもろ手続き上の問題とコメントしていたが、言い訳にしか思えないのは私だけではないだろう。

ちなみに同じく東京選挙区で立候補している朝日健太郎氏だが、いったい、これまでの議員生活でどのような実績があるのか、誰か目撃した人がいたら教えてほしい。私は朝日氏の国会での活動について、一度も見たことも聞いたこともないからだ。

そのような、「ほとんど仕事してない」自民党議員に、貴重な国税が使われている。この事実に、納税者たちはもっと怒ってもいいのではないか。なぜ、何もしていない人たちを、わざわざ血税で食わせなければいけないのか。やってるのは、自分が次に当選するための活動だけって人のために使う税金などビタ一文ないはずである。

自民党がダメだから維新、という人もいる。が、多くの人が指摘する通り、維新は自民党より危険だと私も思う。

さて、ここで冒頭に紹介した「生きさせろ」にもどりたい。

この本のあとがきに、私は以下のように書いた。

「私がいいたいのは、ただ生きさせろということだ。ただ生きる、そのことが脅かされている国で、いったい誰がマトモに生きていけるだろう。生きさせろ。できれば過労死などなく、ホームレスにならずに、自殺することなく、そして、できれば幸せに。なんか間違ってるか?」

たったこれだけのことがいまだ達成されていない。だから、私は声を上げ続け、選挙で意思を表明する。

参院選、投開票日はこの週末だ。

(2022年7月6日の雨宮処凛がゆく!掲載記事『今週末、参院選投開票日〜これ以上、社会が壊されないために。の巻(雨宮処凛)』より転載)

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