北朝鮮が6日に実施した「水爆実験」に対し、ロシアは「国際法規と国連安保理に対する重大な違反だ。北東アジアの緊張を際限なく高めかねない」と非難した。モルグロフ外務次官は米国のソン・キム6カ国協議担当特使と電話協議し、北朝鮮の安保理決議違反行為を非難する点で一致し、6カ国協議の枠内で政治・外交的解決を図るロシアの立場を伝えた。
ロシアと北朝鮮の関係は2014年から好転し、金正恩(キム・ジョンウン)労働党第1書記が15年5月の対独戦勝式典に出席する計画が浮上したが、直前に中止した後、関係は後退していた。核拡散に反対するロシアは「水爆実験」で強硬姿勢を取っており、関係は振り出しに戻った。北朝鮮の「親露派」、玄永哲(ヒョン・ヨンチョル)人民武力相の処刑も、関係冷却化の背景にありそうだ。
「自らの核能力を明らかに誇張」
「水爆実験」に対するロシア専門家のコメントは、日米の専門家らと視点が異なっていて興味深い。国際原子力機関(IAEA)のロシア代表、ウラジーミル・ボロンコフ氏は記者団に、「核爆発は北朝鮮北東部の前回2013年核実験の実験場から650メートル離れた地点で実施された。爆発規模も振動も前回と同程度だ」と述べた。
極東研究所のアレクサンドル・ジェビン研究員はインタファクス通信に対し、「北朝鮮は過去3回の核実験で核弾頭の小型化を進めており、4回目が必要だったようだ。北には核兵器を運搬する航空戦力がなく、ミサイルに装着するしか手がない。経済力、技術力を総合的に高めて核クラブに入るという能力や発想はなく、公開情報や機密情報を集めていきなりミサイルに核を搭載させることに集中してきた」とし、「小型水爆実験により、徐々にミサイル搭載能力を持ち始めた」との認識を示した。
これに対し、エネルギー安全保障研究所のアントン・フリプコフ所長はブズグリャド紙で、「核実験の詳細を調べるには2か月かかるが、北朝鮮が短期間で水爆開発に成功したとは思えない。北朝鮮が今日、核爆発装置を保有しているのは事実だが、それはまだ初歩的なもので重量も数トンと重い。北朝鮮の発表は自らの核能力を明らかに誇張している」と水爆実験説には否定的だ。
戦略ロケット軍のビクトル・エシン元参謀長(退役大将)も同紙で、「北朝鮮が水爆製造の技術的基盤を持っているとは思えない。プルトニウムかウラン型による従来の核爆発装置の実験だった可能性が強い。しかし、重水素やトリチウムを使っていれば、爆発力は増す。実験を繰り返すことで小型化が可能になり、弾道ミサイル搭載に道を開く。北朝鮮は国際社会と周辺国に核の恫喝を行うため、実験を続けるだろう」と述べた。
外交官として平壌に勤務したアレクサンドル・ウォロンツォフ東洋学研究所朝鮮研究部長は、「北朝鮮の核開発は、自主独立路線に周辺国は手を出すなというメッセージだ。核兵器を使用するなら、それは自殺行為だ。在韓米軍が駐留し、韓国の国防予算は北朝鮮の10倍だ。イラクや旧ユーゴスラビア、リビアは核兵器がなかったために米軍の攻撃を受けた。その教訓から、盾として保有しており、現実に使用することはあり得ない」と指摘した。
ロシアが北朝鮮の核・ミサイル開発で独特の情報を持っているのは、ソ連時代から間接的に核施設建設に協力していたこともあろう。旧ソ連の技術者が北朝鮮に招かれ、核・ミサイル開発に参画しているとの憶測は消えない。
ロシア外務省当局者は2000年代初め、「大使館で調査したところ、ソ連崩壊前後に26人のロシア人技術者が北朝鮮に渡ったが、全員帰国した」と話していた。しかし、国籍を変えてとどまった技術者もいるといわれる。北朝鮮は長年、モスクワのクルチャトフ核研究所などに技術者を派遣しており、朝露関係には闇の部分もある。
訪露をドタキャン
西側から孤立するロシアと北朝鮮は2014年に関係を改善させた。金正恩政権発足後両国関係は凍結状態だったが、ウォロンツォフ部長によれば、13年夏ごろ北朝鮮側から関係発展の意向がロシアに伝えられた。14年2月のソチ冬季五輪開会式に金永南(キム・ヨンナム)最高人民会議常任委員長が出席し、プーチン大統領と会談した。
4月には、ロシアのトルトネフ副首相が訪朝し、貿易や鉄道輸送に関する協定に調印。11月には、金正恩氏の腹心だった崔龍海(チェ・リョンヘ)労働党書記が訪露。プーチン大統領と会談し、金第1書記の親書を手渡した。玄永哲人民武力相も2度訪露し、軍事関係の緊密化を協議した。
両国の貿易も13年から拡大に転じ、北朝鮮のロシアからの石油輸入が急増した。ロシアは食糧支援を行い、ソ連時代からの累積債務110億ドルのうち、9割を帳消しにした。プーチン大統領は14年11月、「北朝鮮との友好関係を支持する。両国の貿易、経済協力は両国民の利益にかない、地域の安定につながる」と述べた。プーチン大統領が北朝鮮について言及するのは異例だった。ロシアのウクライナ領クリミア併合を非難する国連決議採択で、北朝鮮は反対に回り、ロシアを擁護した。
北朝鮮の対露接近は、中朝関係冷却化と平行して進み、金正恩政権が中国に代わってロシアを後ろ盾にするのでは、と観測された。金第1書記は15年5月9日のモスクワでの戦勝記念式典に出席を計画し、外交デビューを果たすとみられた。ところが、ロシア大統領報道官は式典の10日前「金第1書記は訪露しない。内政上の理由と説明があった」と訪問中止を発表した。それ以降、両国の交流はストップし、ロシア側が「水爆実験」を非難するに及んで、再び関係が途絶えるだろう。
「親露派・玄永哲」粛清の謎
ロシアが北朝鮮への不信感を強めたのは、玄永哲人民武力相が粛清されたことも影響している。玄永哲氏は14年11月に訪露し、プーチン大統領と面会。ショイグ国防相と会談し、軍事協力の拡大で合意し、ロシアの軍需産業を視察した。15年4月にも盧斗哲(ロ・ドゥチョル)副首相らと訪露し、金第1書記の訪露準備にあたった。
ロシア紙によれば、この時はロシア国防省主催のシンポジウムに出席し、「われわれは通常戦力による戦争になっても、核戦争になっても、金正恩第1書記の下に結束して攻撃を断固撃退する」などと激烈な演説をしたという。
その玄人民武力相が訪露から帰国して10日後の4月30日、高射砲で公開処刑されたと韓国の情報機関が伝えた。玄氏は、金正恩第1書記への不満を示し指示に従わなかったとか、軍の行事で居眠りしたため第1書記の不興を買ったと伝えられたが、韓国紙・中央日報(15年5月15日)は、「玄永哲氏は北朝鮮の対ロシア窓口だった。金正恩のロシア訪問を準備する過程で金正恩の胸中を読み取れなかった」とし、北朝鮮の核・ミサイル開発に反対するロシアと折り合いがつかなかったとの見方を伝えた。
玄氏はロシアに兵器の無償供与を求めたが、ロシア側が応じず、訪露の見返りで合意できなかったとの説もある。
プーチン大統領にも会った玄人民武力相が訪露直後に処刑されたことで、ロシア側が不快感を強めたのは間違いない。プーチン大統領に金第1書記の親書を渡した崔龍海書記も失脚したとされ、北朝鮮の粛清の嵐の中で、「親露派」が一掃されている。
金正恩政権は13年12月、中国との窓口だった実力者、張成沢(チャン・ソンテク)氏を処刑し、同氏に連なる親中派を大量粛清し、中朝関係は冷却化した。デニス・ハルピン米ジョンズ・ホプキンス大研究員は「金正恩が張成沢を処刑した後、朝中関係が疎遠になったように、玄永哲を処刑したことで朝露関係が悪化しよう」と予測したが、実際、朝露関係はその後凍結されたかにみえる。
金正恩氏が統治のモデルとする祖父の金日成(キム・イルソン)主席は朝鮮戦争後、党内の親ソ派、親中派を粛清して独裁権力を固めた。金第1書記も5月の労働党大会を前に、外国の影響力を排除して独裁権力を築こうとしているかにみえる。
名越健郎
1953年岡山県生れ。東京外国語大学ロシア語科卒業。時事通信社に入社、外信部、バンコク支局、モスクワ支局、ワシントン支局、外信部長を歴任。2011年、同社退社。現在、拓殖大学海外事情研究所教授。国際教養大学東アジア調査研究センター特任教授。著書に『クレムリン秘密文書は語る―闇の日ソ関係史』(中公新書)、『独裁者たちへ!!―ひと口レジスタンス459』(講談社)、『ジョークで読む国際政治』(新潮新書)、『独裁者プーチン』(文春新書)など。
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(2015年1月12日フォーサイトより転載)