「小池劇場」の"暴走"が招く「地方自治の危機」

そもそも土壌汚染の問題がある工場跡地に生鮮食品を扱う市場を移転させようとしたこと自体が適切だったのか。

東京都が豊洲新市場で実施した第9回地下水モニタリング調査の結果、最大で環境基準値の79倍のベンゼンが検出されたことや、それまで未検出だったシアンが計数十箇所で検出されたことが明らかになったことを受けてアップした、前のブログ記事【豊洲市場問題、混乱収拾の唯一の方法は、小池知事の"謝罪と説明"】で、

小池氏は、これまでの対応について、「安全」と「安心」との混同があったことを率直に認めて謝罪し、地下水の環境基準は「安心」のためのものであって、安全性には全く問題がないことを丁寧に説明すべきだ。

と述べた。

しかし、先週金曜日の都知事定例会見で小池都知事が述べた豊洲市場問題への対応方針は、それとは全く逆の方向であった。

小池氏は、東京都が「豊洲市場の売買契約締結に関して、東京都が石原慎太郎元都知事に対して約578億円を請求すること」を求められている住民訴訟で、石原元都知事の損害賠償責任を否定していた従来の都の対応を見直し、損害賠償責任の有無や範囲を検討し、裁判所に書面を提出する方針を明らかにした。

端的に言えば、豊洲市場への移転の問題について、それを決定した石原元知事の責任追及を求める住民側の主張を受け入れて、都が石原氏に巨額の損害賠償を求めることも含めて検討するというのである。

私も、そもそも土壌汚染の問題がある工場跡地に生鮮食品を扱う市場を移転させようとしたこと自体が適切だったのか、それを決定した当時の石原都知事の判断が適切だったのか、その経緯に問題はなかったのか等について、疑問を感じないわけではないし、その問題に関して石原氏を擁護するつもりはない。

しかし、今回の小池氏のやり方は、「盛り土」問題や、地下水の調査結果と環境基準の関係等で、都民に大きな誤解が生じている現状における豊洲市場問題への都知事の対応としては、重大な疑問がある。

なぜ、今、石原氏への損害賠償請求の話が出てくるのか

まず、地下水のベンゼン含有量などによって豊洲の安全性に関して大きな誤解が生じているこの時期に、石原氏への損害賠償責任の追及の話を持ち出すこと自体に重大な疑問がある。

会見の中で、小池氏は、訴訟対応の話が唐突に出てきたことについての記者からの質問に対して、以下のように答えている。

これまでどおりで、石原元都知事が行った行政について、そのままの延長で一体いいのかということがあるわけでございまして。そして、今、まさしく9回目の数値が出たという、驚くべき数値が出たということで、改めてこの段階で、これまでと同じ対応でいいのかという疑問も当然生じてくるわけでございます。

小池氏は、豊洲市場の地下水の9回目の調査で、「ベンゼンが環境基準の79倍」など、それまでとは全く違う結果が出たことを、訴訟対応の見直しの理由として説明しているのであるが、それが、全く筋違いであることは明らかであろう。

この9回目の地下水調査の結果については、専門家会議の平田座長も、「あまりにも今までの傾向と違っている。とても驚いている。」とコメントし、他の委員も困惑しており、基準を大きく上回った観測地点を中心に30カ所程度を選んで再調査を実施する方針が明らかにされている。

今回の調査業務の発注が最低制限価格を設定しない競争入札で行われ、極端な低価格で落札されたために、業者に採水・分析を行う十分な能力がなかったのではないかとの疑念も指摘されている。この9回目の調査結果については、その正確性について疑問があり、再調査の結果を待たなければ、判断の根拠とはできないはずである。

それなのに、なぜ、「驚くべき数値が出たこと」が、石原氏に対する訴訟対応の見直しの理由になるのか。

しかも、「環境基準値」というのは、飲料水に適用される基準であって、豊洲市場の地下水のように、飲用にも清掃用にも使わない場合は、そもそも問題にはならないのであり、地下水の調査結果でのベンゼンの数値等を、豊洲市場の安全性に関する客観的な事実のように取り上げること自体が適切とは言い難いことは、【前回ブログ記事】で述べた通りである。そのことは、橋下徹氏のほか、小池氏を支持する音喜多都議も指摘している。

そればかりか、小池氏が、「盛り土」問題を大々的に取り上げる際、「安全性の確保のオーソライズを行う機関」として位置づけた専門家会議の平田座長も、「地上と地下は明確に分けて評価をしていただきたい。」「地上に関しては大きな問題はない。」と繰り返し述べて、豊洲市場の地上の安全性について、地下水の数値と環境基準との関係を過大視すべきではないことを強調しているのである。

「安全ではなく安心」を更に強調する小池氏

この点に関して、記者会見で、専門家会議の平田座長が、「今回の結果も踏まえた上で、地下の問題と地上のことを切り離して、地上の部分の方の安全性を考えることができるのではないか」という趣旨の発言をしていることについて記者から問われて、小池氏は以下のように回答した。

平田先生はまさしく専門家でいらっしゃいます。ご専門の立場から、そのようにおっしゃったのだと理解をいたします。一方で、私は一般消費者の一人だと思っておりまして、地下と地上と分けるのというのを、理解していただけるのは、なかなか難しいものがあるかなとも思うわけであります。よって、再調査のことも待ちたいとは思います。

趣旨が不明確だが、要するに、平田座長が環境の専門家の立場から「地下水と環境基準値との関係は、地上施設の安全性とは切り離して考えることができる」と言っていることは、「専門家の立場」からは正しいことであっても、一般消費者の立場からは理解できない、ということのようである。

しかし、そもそも、「専門家会議」の設置目的について、東京都は、都民向けに、

東京都は、現行法令に照らして問題のない水準で、土壌汚染対策を行うこととしていますが、都民や市場関係者の一部になお懸念の声があります。市場が生鮮食料品を扱うことの重要性から、都民が安心できる市場とするため、土壌汚染対策等を検証する専門家会議を設置しました。

と説明してきた。豊洲市場の土壌汚染対策の安全性について、都民の「安心」を確保することを主目的として設置されたことは明らかである。

そのような都民の「安心」のための「専門家会議」が、地下水の数値を過大視すべきではないと言っているのに、小池氏は、一般消費者の「安心」の観点から、その見解すら受け入れようとしないのである。土壌汚染対策の安全性についての誤解を解消し、都民の「安心」を確保するための努力をするどころか、地下水の調査結果と環境基準との関係を殊更強調する小池知事の発言は理解し難い。

小池氏の発言からは、豊洲への市場移転の「白紙撤回」を視野に入れ、それによって東京都に生じる重大な損害についての責任追及の矛先を、豊洲への市場移転を決定した石原元知事に向けようとしているように思える。

そのような小池氏の姿勢が、豊洲市場問題の速やかな解決につながるどころか、ますます混迷を深めることになりかねない。

住民訴訟への都の対応方針の変更の「重大な意味」

もう一つの問題は、小池氏が、豊洲市場の問題に関する石原元知事の損害賠償責任の追及に関して、東京都としての対応方針を見直すとしたことである。

冒頭でも述べたように、私は、豊洲市場をめぐる問題について、石原氏を擁護するつもりはない。しかし、今回、都知事の定例会見の場で、元都知事の石原氏の損害賠償責任に関して「東京都としての方針見直し」を明らかにした小池氏のやり方は、余りに一方的であり、独断的といえる。

もし、石原元都知事に対する損害賠償の請求を求めている住民訴訟で、都が、被告としての主張を、原告の住民側の請求を受け入れる方向に変更した場合、住民訴訟は早期に決着し、それを受けて東京都が石原氏に対して損害賠償請求訴訟を提起することになる。

石原氏の責任が認められるか否かの最終的な判断は裁判所に委ねられるが、石原氏がトップを務めていた東京都自身が、「石原氏に賠償責任あり」として提訴した場合、裁判所で責任が認められる可能性は、相当高くなるものと考えられる。

かつての地方自治法では、住民訴訟は「代位訴訟」であり、住民が監査請求を行い、請求が棄却された場合には、住民が直接、「違法な行為又は怠る事実」のあった自治体職員に対して訴訟を提起することができたが、濫訴による自治体職員の応訴の負担が過大なものとなること等を考慮し、2002年の地方自治法の改正によって、監査請求が棄却された住民側が、地方自治体に対して、違法行為等があった自治体職員に対して損害賠償を請求することを求める訴訟を起こす制度に改められた。

「損害賠償の請求」について、自治体側が首長の判断で住民側の請求を認諾してしまうなどということは、法改正時には想定されていなかったことである。

東京都としての石原氏の損害賠償責任についての判断のプロセス

最大の問題は、石原氏の損害賠償責任の有無に関する東京都としての判断を、「誰が」・「どのようにして行うのか」だ。

小池氏は、記者会見で、「東京都の訴訟代理人の弁護士をすべて交代させ、新しい訴訟代理人で"訴訟対応特別チーム"を編成し、事実関係を解明して証拠を収集し、石原元都知事の法律的な損害賠償責任の有無・範囲を判断させる」などと述べ、「訴訟対応特別チーム」に損害賠償責任についての証拠による判断をさせるかのように言っているが、訴訟代理人は、依頼者との間で委任契約を締結し、依頼者の方針に従い、報酬を得て、依頼者に代わって訴訟行為を行う立場であり、客観的な立場で事実を認定・判断するのではない。訴訟対応の方針を決めるのは東京都側である。

小池氏は、住民訴訟への対応方針の見直しの理由について、会見で、

事実関係、それをもたらした責任を曖昧にすることなく、明らかにするということは、都政を改革して、緊張感を持って適正な運営を行う上で不可欠だという、そういう判断のもとで今回の見直しを東京都として致したいということでございます。

と述べているが、「都政改革」の一貫として、過去に元知事の下で行われた豊洲への市場移転や売買契約の経緯の問題を取り上げるのであれば、その事実関係の究明・原因分析等は、政治的な利害を離れて、第三者機関に中立的・客観的な立場で行わせ、その調査結果に基づいて、関与者に対する責任追及の要否を判断すべきであろう。

過去の組織のトップの損害賠償責任の有無についての東京都の判断を、小池氏自身が、「顧問団」等の意見を聞いて行うということであれば、大統領が代わる度に、前任の大統領が刑事訴追され、断罪されるという事態が繰り返されて来た韓国と同じようなものだ。

同じ豊洲市場の問題で、小池知事が大々的に取り上げた「盛り土」問題では、東京都が行った「第一次自己検証」に加え、都知事の方針に沿って大幅に変更する「第二次自己検証」もが、「内部調査」として行われ、「第三者による検証」は全く行われなかった。

最終的な「第二次自己検証」の内容は、「十分な根拠もなく認定した事実に基づいて、(小池知事の意向に沿って)責任を(無理やり)肯定した」というもので、組織の「調査報告書」とは凡そ言い難いものであったことは、【「小池劇場」で演じられる「コンプライアンス都政」の危うさ】においても詳細に述べたとおりである。

そしてさらに、8人の都幹部に対して、報告書の「職責を全うしなかった責任」などという抽象的な記述に基づいて、懲戒事由として「何をしたこと」、或いは「何をすべきなのにしなかったこと」が理由であるのかすら明示することなく、「6ヶ月間給与20%減額」の懲戒処分などの「大量粛清」が行われた。

民間企業でも、官公庁・自治体であっても、組織にとっての重大な問題についての調査・検討は、中立性・客観性を確保するために「第三者委員会」方式をとるのが、通常の方法だ。しかし、小池氏は、そのような方法を一切とろうとせず、顧問団等の助言にしたがって都知事自身が決める方針のようである。

日本の地方自治制度における首長への権限集中と小池劇場の「暴走」

日本の地方自治制度は、首長に権限が集中しているところに特色がある。大統領制という面ではアメリカと同じだが、予算・条例の提出権が首長側にしかなく、議会は、それを議決する権限しかない日本の地方自治制度は、予算・法律の提出権限がなく、議会に対しては拒否権しかないアメリカの大統領より、首長としての権限は強い。

これまで、日本の地方自治体の首長は、そのような強大な権限を、相当程度抑制的に行使してきた。前任者に選挙で勝利して首長に就任しても、首長自らが前任者の責任追及を行った例はほとんどなかった。過去の問題に関して「第三者委員会」方式がとられるのも、ある意味では、首長の権限行使を客観的に適正な範囲に自己抑制しようとするものにほかならない。

今回の石原氏への責任追及に向けての動きを見ると、小池氏は、その抑制を取り払い、独裁的な権限行使を行おうとしているように思える。

「情報公開」「透明性の確保」を理念として、「東京大改革」をアピールする小池氏は、それらの理念を、批判や攻撃に多用するが、その一方で、重要事項に関する自らの判断・決定のプロセスの透明性を確保しようとする姿勢は、極めて希薄である。判断の適正さ、客観性を確保しようとする姿勢もうかがわれない。

強大な首長の権限の下で、そのような透明性・客観性を欠いた意思決定がまかり通るとなると、前述したように、住民訴訟制度が、首長の判断如何で政敵の前任者を陥れるために使えることとも相俟って、自治体運営は、限りなく「独裁」に近づくことになる。

客観的な検証を全く行わず、小池氏とその側近の判断だけで、東京都として石原氏の損害賠償責任を追及する方向に舵を切るとすれば、それは、ある種の「暴走」である。ところが、小池劇場での「悪党退治」の巧みな演出のために、マスコミも世論も追従し、ほとんど批判すら行われない。

日本の地方自治制度にとって、危機的な事態だと言わざるを得ない。

(2017年1月23日「郷原信郎が斬る」より転載)

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