「帝国の慰安婦」刑事訴訟 公判記3

検察が提出した資料の中には、国連報告書をはじめとする過去の資料もあった。

過去2回の公判は『帝国の慰安婦』自体の検証であった。言うなれば、本だけを前にして、名誉棄損と指摘された34項目を順番に指し示しながら、検事と弁護人双方が各自の主張を繰り広げる場だった。すでに書いた通り、検事が本についての主張を行うときに根拠としてきた資料の大部分は、学者または支援団体など関係者の話だった。そして、告発がなされた以降の資料が多かった。

だが、検察が提出した資料の中には、国連報告書をはじめとする過去の資料もあった。その大部分は民事裁判に提出された資料だった。そして、それらの資料を援用しながら、仮処分裁判でも損害賠償裁判でも「世界と日本はこう言っているのに、朴裕河だけが慰安婦問題をめぐって戯言を述べている」という原告サイドの主張を受け入れていた。無論私は、一人の学者として私から見た慰安婦問題をめぐる認識を発表したまでだ。その認識が正しいかどうかは、当然、アカデミズムを含む世間で検討されるべき事項だ。だが不幸にも、私の著書についての検証はそうではなく法廷に一任されてしまい、この日は、それらの資料の主張が、検事によって再び代弁された日となった。

10月11日。 3回目の公判では、そんな「犯罪の証拠資料」と共に、検察の主張に反論するための、私の主張の根拠となる「証拠資料」の検証が行われる予定だった。だが、検察の主張とこちらの反論に時間がかかり過ぎたため、こちらの証拠資料についての説明は次回公判に持ち越された。

検事の資料は60件余りで、大きくは告訴状と告訴状補充書、告訴人の意見書、私の著書に検討を加えた法科大学院生のレポートなど、周辺人物の考えを汲んだ述べた資料だ。

そして、ナヌムの家に住む元慰安婦の方5人の口述、慰安婦の方々の口述記録集『トゥリナヨ(聞こえますか)』、証言ドキュメンタリー映像、『55人のオキナグサの少女達』というタイトルの慰安婦の体験資料、日本軍「慰安婦」被害者e-歴史館の資料などの元慰安婦の口述、ナヌムの家に居住されていた慰安婦の1人だったユ・ヒナムさんの捜査官陳述調書が、原告サイドの資料として提出された。さらに、尋問調書、捜査報告書、犯罪経歴等の照会回答書など、私にかかわる検察の資料が、言うなれば、当事者の資料だった。

周辺資料のうち、検察が独自に提出した資料は「捜査報告」という名前で提出された、一般人のブログ上の著書についての感想だけだった。(文学評論家・孫鐘業氏のフェイスブックの文章が添付されている文書。彼は私をアイヒマンになぞらえて非難した人物だ)。

より公的な文書では、慰安婦問題解決のために韓国外交部が積極的に動かないのは違憲と判断した憲法裁判所の判決文、河野談話、 クマラスワミ報告書(1996年 )、マクドゥーガル報告書、アムネスティ・インターナショナル報告書、国際法律家委員会(ICJ)、国際労働機構(ILO)など国際機構による慰安婦問題関連の資料集、アメリカ連邦下院決議文など、慰安婦問題解決運動の結果出されてきた、過去20年あまりの、第三者の認識を示す資料、そして告発がなされた以降に私の著書に下された判断である、仮処分決定書と損害賠償判決文があった。これに、「帝国の慰安婦を語る」というタイトルの若手歴史研究者の座談会資料、在日女性研究者金富子氏の論文、私に対する批判書『帝国の弁護人、朴裕河に問う』に掲載されたいくつかの文章(学者の李在承、金昌禄、金富子、李娜榮氏。評論家のキム・ヨソプ氏 、歴史評論家のキム・スジ氏など。さらに日本人の前田朗氏の文)が追加されていた。

私は今でも、彼らが自分自身の文章が資料として裁判所に提出されていることを知っているかどうか知らない。もっとも、民事裁判のときから出されていたので、知らないはずはないだろう。いずれにしても、私への告発と処罰要求に力を添えたのは、これらの資料だった。

その他は全て、告発以降に出された私を非難する新聞のコラムや記事などだった。

新聞記事の中に、「慰安婦の強制動員を確認」したというものがあり、マッカーサー作成の機密文書にそうした内容が含まれていたという記事があった。ところが、その原文が同じく資料として出されていた国際法律家委員会の勧告文に入っていた。ところがその内容は、狭い意味の強制動員とはむしろ違った状況である。おそらく検事は、数多くの報告書を資料として出していながら中身まですべてチェックできなかったのだろう。当然といえば当然のことで、そうした資料は検事が探してきたものではなくすべて原告の周辺にいる学者や運動家たちが提供したものだからである。さきの仮処分と民事裁判関係者も、同じくそうした資料を内容まで読んではいなかったに違いない。

以下に、この日の公判での検察の主張、そして私と弁護人の答弁を書いておく。双方とも、パワーポイントやOHPを用いて進行したため、私と弁護人は証人席に一緒に座って、検事が提示する資料を見ながら発言した。裁判官はこの裁判に十分な時間をかけようという態度で臨んでおり、今回の公判では、私も十分発言できるよう配慮してくれた。

この日の公判も朝10時に開始され、昼食時間をはさんで夜7時近くまで続けられた。だから、やはり今回の公判記も、やりとりの全記録ではない。メモできたことのみ、さらに、メモから内容を十分推測・記憶できたことだけ書いてみた。

<午前>

検事:過去の損害賠償請求に関する民事判決は、朴裕河氏の主張を「事実の摘示」と判断している。したがって、朴氏の主張は意見の表明ではなく、「事実の摘示」とみるべきだ。慰安婦の方を売春婦と書いたことに、非難しようとする「故意」があったことを立証したい。被告は日本の責任を免罪したいがため、日韓併合が法的に有効だったとまで述べている。自分の解決方法を貫くため(慰安婦は売春婦であると非難しようとする故意を込めて)この本を書いた。

裁判官:今日の公判に入る前に、いくつか確認を行う。

1)検察の意見書によると、被告は「慰安婦の本質は売春」だと述べた。そして、「故意」(意図)があって売春を強調したという。だとすれば、「売春」を「事実」と認めているのか?であれば、「売春」の事実について、双方の意見の違いはないことが前提となる。そして、だとすれば、本の前後の部分―脈絡をよく調べてみなければならない。

2)「同志的関係」についても脈絡を調べる必要があり、検察は同志的関係にはなかったという事実を論証で明らかにすべきである。言うなれば、売春が事実でなく、同志的関係であった根拠がないといえる証拠を提示すべきである。

3)強制性の否定について、検察は被告が日本の責任を否定しようとしたというが、この裁判では日本に責任があるかどうかについては扱わない。

答弁:日本の責任をなかったことにするための「故意」という主張は、思想の検証だ。本書は、日本による物理的な強制性はなかったとしても、日本に責任があるという主張を展開した本だ。これまでに支援団体などが物理的な強制性、つまり、狭い意味の強制性だけを主張したことよって日本の反発が起きたため、被告は広い意味の強制性を主張し、それについても責任があるとしている。被告が日本に"法的責任を負わせることは難しい"としたことをめぐって、日本に"責任はない"と述べたと主張しているが、むしろ、その反対だ。しかも、日本の責任に関する議論は、裁判官もおっしゃった通り、名誉棄損とは関係のない話だ。

検事:パク・ソンア漢陽大教授が学生とこの本について検討を加えたレポートについて、被告は「学生のレポート」だとしているが、学生の感想は一般人がこの本についてどう感じているかをよく表している。つまり、名誉棄損となる。

答弁:パク・ソンア教授はナヌムの家の顧問弁護士でもある。彼女がナヌムの家の依頼を受け、学生たちに分析させた内容が客観的であり得るだろうか。彼らは「一般人的感覚ではなく、初めからこの本について否定的な態度で検討を加えたとみるべきだ。その上、支援団体が流布した知識以外は、慰安婦問題について知らない学生たちだ。全く同じ本について、慣れない認識の提起に戸惑いながらも肯定的に受け入れ、「元慰安婦の方の痛み」をより深く知ることができたとした一般人も少なくない。刊行直後の新聞等の書評やインタビュー記事はほとんど好意的なものであったし、メディアの反応こそ「一般人」の代表的な反応とみるべきだ。

例えば、リベラルインターネットメディアのオーマイニュースは、この本が「軍隊が女性を性的に搾取する構造」を「普遍的な女性問題として提起」した本であるとし、「帝国の最も恐ろしい点は、被害者を加害者に仕立て上げたところ」だと受け止めている。

検事:(ここでは主に原告サイドが民事裁判で提出した告訴状の内容を発言)この本は自分の解決方法を貫くため、慰安婦について虚偽を書いた本だ。ところが、国際社会も慰安婦制度は性奴隷制度であったと言っている。一方、被告は日本の責任をの免罪するのため、一部の事実をもって全体の事実であるかのように述べている。植民地化していたのに合邦と述べており、『正義とは何か』のマイケル・サンデル教授の主張に照らし合わせてみても、被告は共通善と正義に背いている。他の学者も被告を批判している。ホロコーストを否認した外国の作家は処罰されたのだ。

答弁:被告はこの本で具体的な解決方法を主張してはおらず、法的解決にこだわらず、当事者も含めた協議体を作って議論しなおそうと述べたまでだ。そして、日本語版には植民地支配に関する反省を述べる国会決議をすればよいと書いた。結論が初めからあったわけではなく、証言集や各種の資料、そして慰安婦問題についての研究と運動に検討を加えた結果の言葉だ。国際社会の結論にも疑問を持っている。一部のみをもって主張を行ったというが、前回答えた通り、私が使った証言は必ずしも少なくもなく、少ないとしても、それは記録者の期待に添う口述が多くなる。

運動が長引いているのに解決が遠い状況がもどかしく、9年前に本を書いたが、支援団体等の関係者は無視した。ここ数年来、日韓関係が行き詰まり、国民間の誤解と葛藤状態が深刻になる一方だった。そこで何が問題だったのか改めて考えてみた本だ。

この本のサブタイトルは「植民地支配と記憶の闘争」だ。日韓併合とは不平等な宗主国と植民地の関係と考えるゆえのタイトルだ 。問題の深刻さを他の事案事柄になぞらえて訴えるのは良いが、ホロコーストと慰安婦問題はまったく異なる問題だ。ホロコーストは民族抹殺を意図したものだが、帝国は植民地人を資源として利用するものである。

この本は慰安婦ではなく支援団体を批判した本だ。そしてそれこそが、訴えられた原因だ。実際に、100か所以上にわたる指摘部分の半数近くが挺対協を批判した部分だった。仮処分申請裁判で、原告が指摘した部分のうち、3分の1だけが裁判部で受け入れられたことも、そうしたことをあらわしている。支援団体は物理的な強制連行と考られていた時期の解決方法だけに20年以上拘泥してきていたので、他の方法はないだろうかと問題提起したまでだ。彼らは問題提起を訴えたのだ。

検事:被告は慰安婦が日本軍と同志的な関係にあったため、日本人の軍人と同等の待遇を受けるべきだと述べている。被告のいう補償とはそういうものだ。

答弁:慰安婦が日本軍と同等の待遇を受けるべきだと述べたわけではない。戦場に動員されながら、男性であれば法的保障によって補償されるのに、女性にはそれがなかった。慰安婦も、徴兵と同じ範疇の被害と考える必要があるはずだというのが被告の主張だ。補償については、日本兵ではなく、朝鮮人日本兵と比較した。朝鮮人日本兵にすら法的保障はあったが、それは彼らが男性だったからだった。日本の敗戦のため朝鮮人日本兵はすぐに補償を受けとることはできなかったが、日韓条約以降、少額ながら補償されており、2006年以降にもう一度補償金が渡された。(死亡者の場合、2000万ウォン)

元慰安婦の方の中には「国のために行けと言われたのだから私たちも補償をもらうべきだ」と発言した方もいる。被告のいう同志的関係とはそのような脈絡での話だ。

裁判官:弁護人側は集団名誉棄損に該当しないという論旨について補完を行われたい。

<午後>

答弁:検事は被告の主張に反論するため、マクドゥーガル報告書を提出しているが、マクドゥーガル報告書は慰安婦問題を「強制強要された売春」との言及があり、そのうえで日本は補償の責任を有すると述べている。特記すべきは、この報告書が業者にも言及しており、民間人の関係者も処罰を受けるべきだと書いてある点だ。

検事:マクドゥーガル報告書は法的責任を認めているが、被告は日本の法的責任を認めない。それがこの図書で被告が強制連行ではないと主張している理由だ。

答弁:マクドゥーガルは日本軍が直接に誘拐し、売春を強制したと考えている。被告は、朝鮮半島の場合誘拐もしくは拉致を行った主体のほとんどは業者だということを述べたのであり、強制連行の主体は日本軍だとする少数証言まで否定したわけではない。クマラスワミ報告書などの国連報告書も、慰安所が売春施設であったと述べている。占領地で軍が直接、拉致強姦を行ったことがあったとしても、植民地の女性に起こったことはそうした状況とは異る。報告書も占領地と植民地を区別している。オランダ人慰安婦の場合は占領地の例だ。

検事:ユ・ヒナムさんの陳述書によれば、朴裕河氏が日本政府から20億ウォンをもらってあげると述べたという。

答弁:被告が20億ウォンをもらって来るとか告訴を取り下げれば20億ウォンあげると言ったとかいう悪意に満ちた虚偽が報道され、被告の名誉はとてつもなく傷つけられている。検察がこういう資料まで使わなければ言及せずに済んだことなのに、すでに故人となった方について言及せざるを得なくなってとても残念だ。ユ・ヒナムさんは民事裁判でも同様の話をし、ナヌムの家の所長もその話を広めたが、それは偽証だ。

被告が20億ウォン発言を初めて耳にしたのは、本を出した後で知り合った元慰安婦ぺ・チュニさんとの会話の中であり、その金額を言ったのはユ・ヒナムさん自身だ。アメリカにおいて日本政府と企業を相手取った訴訟の一人当たりの請求金額として提示された金額だと聞いているが、その話を聞いた被告は日本が補償するとしても、そんな金額にはならないと思うと、その会話で述べている。ぺ・チュニさんもまた、ユさんの話を批判するような話を何度もされた。該当する会話が入った記録は、全て提出することにする。

検事:被告は韓国語版と日本語版の内容を変えて書いている。例えば、韓国語版では日本が謝罪をしなかったと書き、日本に向かっては謝罪したと書いた。

答弁:その話は在日研究者の鄭栄桓氏が自分の著書に書いた話だ。だがそれは、韓国人のほとんどが原文を確認できないことに乗じた嘘だ。鄭栄桓氏の指摘が実は意図的な「誤読もしくは嘘」(蔣正一)だという事実を、作家の蔣正一氏が、日本語ができる人の助けを借りて確認し、指摘した文章がある(http://parkyuha.org/archives/3727)。検事の指摘もまた、根拠のない中傷に過ぎない。

検事:被告は韓国語版の発刊後に行われたインタビューで「悪口を言われる覚悟で書いた本」だと発言している。この言葉は、被告自身が慰安婦を売春婦と称した事実について悪口を言われるだろうと考えて書いたものだ。つまり、被告に慰安婦の名誉を棄損しようという「故意」があったことを物語っている。

答弁:その言葉は被告の発言ではなく、インタビューのタイトルだ。インタビューのタイトルはインタビューされる側が決めるものではない。記者がそう解釈したまでであり、その記事も、この本が慰安婦の名誉を棄損しているため悪口を言われる覚悟をしたという内容ではない。

被告が著書の序文に「少し恐れの気持ちもある 」と書いたのは、元慰安婦の方に対するものではなく、支援団体への批判に対する支援団体の反発、そして長い間支援団体の認識のみを共有してきたメディアと一般人の反発に対する恐れだった。

検事:(私が提出したぺ・チュニさんの映像を画面に掲げ、話を起こした文を読み進めたあと、ぺ・チュニさんが挺身隊に入ったという記事を示しつつ)被告は自発的に行った人もいると述べているが、ぺ・チュニさんの場合は挺身隊に行った人だ。

答弁:ぺ・チュニさんは自分で職業紹介所に行ったと話されていた。死後に出された記者の記事と、生前、直接話しておられたご本人の言葉のうち、どちらを信頼すべきだろうか?これについては録音記録で確認してほしい 。

検事:金富子教授の論文によれば、慰安婦は未成年者が大部分だというが、被告はその事実を否定している。

答弁:被告は「未成年者が少ない」とはしていない。映画『鬼郷』に出てくるような14、5歳の少女、大使館の前の少女像に代表される「10代前半の幼い少女」が慰安婦の中心ではなかったと述べたまでだ。

検事:若手歴史学者の指摘によると、小説を使用するなど、問題が多い。

答弁:その座談会こそ、問題が多い。例えば「解放70年」に触れながら韓国の自省を促す 部分をもってきて、元慰安婦の方を批判したと誤認し、非難するなど、基礎的な間違いと曲解がほとんどだ。これについては反論を書いたので、ご参考願いたい(http://parkyuha.org/archives/3759)。

歴史研究者たちは小説はフィクションだとしか考えなかったようだが、前に述べた通り、小説というものは、長い間口にも出せなかった「真実」を込めた告白のメディアでもあった。慰安婦が「数千回もの性交」をしなければならなかったと書いたのも、軍人として慰安婦をそばで見ていた日本人の手による小説だった。検事は日本人の小説なら日本中心主義だろうと無条件に断定するが、それは人によって異なる。被告があえて日本人の小説を使用したのは、慰安婦の証言は嘘だとして否定し続けてきた一部の日本人に向かって、同じ空間にいた日本人がこう書いていると示すためでもあった。

検事:河野洋平・元官房長官が被告のための声明に参加しているということだが、韓国語版を読んでいないからだろう。日本は謝罪したと日本語版に書かれた部分が気に入ってのことに違いない。河野談話は強制性を認めた談話だ。

答弁:被告は著書で河野談話についても再解釈を試みている。河野元官房長官が、被告の著書についてよく知らないまま被告を起訴したこと対する反対声明に参加することなどあり得ない。河野元官房長官は同じ自民党だが、安倍首相の発言を批判するような人物だ。

検事:被告は笑顔で写っている慰安婦の写真を使用している。この写真が朝鮮人であるという証拠はない。

答弁:被告がこの写真を使用した理由は笑顔を強調するためではなく、そのような表情を撮影した記者の胸中が写真に添えられた説明に表れていたためだ。記者は慰安婦の笑顔に「望郷の念を振り払うため」と読み取っていた。被告は韓日の人々の相互理解に努める人物だ。記者のそうした目や気持ちも伝えたくそのキャプションを添えて使った。当時の日本人も悪魔のような日本人ばかりではなかったことを示すために。さらに、写真を取った記者が朝鮮人と書いている。

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