やんばるの森に響く、元小学校教諭の替え歌。沖縄・高江で選別される市民(現地ルポ)

「良い先生だっただろうな」という感慨がこみ上げてきた。

沖縄県北部でアメリカ軍北部訓練場の返還に伴い建設が進むヘリコプター着陸帯(ヘリパッド)。

抗議行動が続く中で、現地では最近、反対運動に関わる人々が、様々な理由で身柄を拘束されるケースが相次いでいる。

ジャーナリストの木村元彦さんが、現地から最新の様子を報告する。

11月26日朝、ものものしい警備が連なる沖縄・高江で、その人の替え歌はやわらかく、そして気高く響き渡った。

節はまどみちお作詞、山本直純作曲の「一年生になったら」。ヘリパッド移設工事反対の市民がトラメガで発声するには、一見そぐわない童謡だが、歌詞はこんな具合だ。

やんばる高江の森の中、やんばる高江の森の中、友だち千人できるかな。千人で食べたいなー、ゲートの前でおにぎりをぱっくんぱっくんぱっくんと。やんばる高江ゲート前、やんばる高江ゲート前、友だち五千人できるかな。五千人で座り込みー、日本中を震わせて、わっはは、わっはは、わっはっは

歌い手の元小学校教員小橋川共行さん(74歳)はこの前日、機動隊による不当な妨害を受けている。N1裏テントで昼食を摂ったあと、13時過ぎに抗議の現場に戻ろうと車で移動していると、機動隊に止められたのである。愛知県警であった。

「この先に何をしに行くのか?」と聞かれたので「集会に参加する」と答えるとその場で移動を禁じられた。「円滑な交通の妨げになるという」というのが理由だという。車が通り抜けるだけであるから合理的な根拠とは言えず、つまりは抗議の集会には行かせないという分断工作である。

小橋川さんは何度も「国民が保障されている集会の自由を妨げるのか」と問いかけた。しかし、機動隊員はその質問には一切応えようとしない。周囲に車止めを配置されて、他の車両が次々に通過する中、集会が終わるまで留め置かれてしまった。

市民が選別され、移動の自由すら奪われる。国家権力が本土では到底やらないようなことを沖縄では平気で行うと感じられるのはこういうときである。

一夜が明けて、小橋川さんはゲート前でマイクを握ると、自分の身に起こった前日の事件を伝えた。何が起こっているのか、何が問題なのかをユーモアを交えて快活に語り、そして「一年生になったら」を歌ったのである。

ともすれば緊張感が支配する抗議の現場で、洒脱な振り付けを交えてプロテスターの心を和ませるその様を見て「良い先生だっただろうな」という感慨がこみ上げてきた。「ゲート前にいるのはプロ市民9割」というデマが拡散されている中で、その背景を紹介したい。

小橋川さんが正式に教員になったのは遅く、37歳のときであった。前職は銀行員。琉球銀行に勤めていた。返還前の琉銀はいわば中央銀行で地元地域に貢献する責務を担っており、やりがいを感じていた。しかし、本土に復帰後、株式会社に組織改変されて地方銀行となると職場はただ利益を追求しているだけに感じられた。

「それよりも沖縄の未来を担う子どもたちのために仕事をしたい」ここで一念奮起して母校の琉球大学に入りなおして教員免許を取得した。苦学して35歳で補助教員になった。以降、石川、与那城、国頭、伊平屋島など県内各地で教壇に立ち、教頭や校長という管理職には一切就かずに定年まで現場を務めあげた。

在任中は沖縄戦や「オオカミとキジムナー」の劇を作ったり、平和教育を行ってはきたが、積極的に基地反対運動に関わって来たわけではなかった。立ち上がるきっかけは普天間基地にオスプレイを配備する計画があることを知ったことだった。脳裏には1959年6月30日に起きた宮森小学校米軍機墜落事件があった。

1959年の米軍機墜落事故で犠牲となった児童の名前を刻んだ「仲よし地蔵」。左は小学生で体験者の新田宗栄さん(沖縄・石川市の宮森小学校) 2004年9月10日撮影

米空軍のジェット機が操縦不能に陥り、パイロットは脱出するものの機体は石川市(当時)の宮森小学校の校舎に墜落し、小学生11人を含む17名の尊い命を奪った大惨事である。このとき小橋川さんは首里高校の二年生、前年に母校は沖縄代表として初めて夏の甲子園大会に出場するも、持ち帰った球場の土が検疫で問題とされて取り上げられるという事件も起こっていた。半世紀が経過しても不条理を押し付けられて、危険と隣合わせで生きなくてはならない沖縄の子どもたちのことを思うと動かずにはいられなかった。

それからは退職金などの手持ちの資金300万円を切り崩し、運動に奔走する。2012年には一坪反戦地主の上原成信さんとキャンプフォスターのゲート前にテントを建てて座り込み、合わせて155歳のハンガーストライキを8月15日から8日間敢行。2013年からはオバマ大統領に「普天間飛行場を返還して欲しい」と訴える手紙を約10万枚送り続けて来た。

「抗議をし続けることで子どもの命を救おうと思ったんです。目に見えるかたちですぐに止めることが出来なくても決して無駄ではないんです。抗議をする人間がいることが分かれば機体整備の人だって絶対に事故を起こさないように心がけてくれるんじゃないか。そういうことで命を守りたい」

「友だち100人」から3日後、10月17日に連行されていた沖縄平和運動センターの山城博治議長が勾留期限を直前に突然再逮捕された。容疑は9ヶ月前に遡る。1月28日にシュワブゲート前にブロックを積み上げたことが威力業務妨害に問われたのである。勾留をさらに引き延ばすための「別件逮捕」である。

逮捕の一報を電話で聞いた小橋川さんは言葉が出なかったという。「あぜんとしました。山城議長を狙い撃ちですよ。なぜならばあのとき私もシュワブゲート前で一緒に作業をしていたんです。また分断しようとしているんでしょう。山城さんを勾留し続けたいためです」なりふり構わず、周囲も忘れていたような過去のことで逮捕状が出される。それが今の沖縄の現状である。

小橋川さんの憤りと悲しみは深い。換言すればいつ何時、自分も過去の行動を持ち出されて逮捕されるか分からないのだ。それでも萎縮しない。それでもあきらめない。繰り返すが、「抗議を続けることが子どもたちの命を救うことに繋がる」と信じているからである。

【UPDATE】2016/12/06 12:32 本文を一部修正しました。

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