イラクで人質になった今井紀明さんが目指す「10代の未来を『自己責任』で否定しない社会」

「分断されていく社会を、もう一度つなぎとめようとしていることなんじゃないかな」

今井紀明さんは、31歳になっていた。 

13年前、授業を放り出して国会議員や市議会議員を訪ねて回り、NPOや企業のインターンなどに精を出す高校生だった。ベトナムで枯れ葉剤の影響を調べるスタディツアーに参加したり、アメリカに攻撃されたアフガニスタンへの支援活動をよびかけたり。2003年にイラク戦争が勃発すると、国内に放置された劣化ウラン弾の脅威を訴えるNGOの代表となり「千歳からイラクに自衛隊を派遣していいのか」と報道機関にFAXを送ったり、講演したりしていた。

2004年3月の高校卒業後は、イギリスで平和学を学ぶ準備をしていた。ちょうどイラク戦争終結から1年。「同世代の関心が低い。劣化ウラン弾の現実を自分の目で見て、現場を支援しながら、同世代に伝えたい」とイラクへ旅立った。

そこで現地の武装勢力に拘束された。

今井さんらの拘束を伝える2004年4月9日付朝日新聞朝刊

武装勢力が要求した自衛隊のイラク撤退を巡って賛否両論がわき起こる中、解放され、日本に戻ってきた今井さんを、「自己責任」という4文字の嵐が待っていた。

今井さんらの解放を報じるNHKテレビ

札幌の高校生が一夜にして、日本中で顔と名前を知られた存在になった。外に出ればいきなり怒鳴られ、後ろから殴られた。話しかけられるのが怖い。部屋にこもってカーテンを閉め切り、アニメや本に没頭した。半年ほどたって「誰も知らない所へ行こう」とイギリスに1年ほど渡ったが、そこでも日本人にはほぼ顔と名前は知られていた。

「このままでは自分は回復しない」と2005年秋に帰国。そこから、批判の手紙を送ってきた主に一人一人、連絡を取ることにした。

「手紙を送ってきたうち、連絡のついた約10人、ブログが炎上して自宅に苦情の電話をかけてきた約20人と話し合いました。なぜ批判するのか、どういう人たちなのか知りたかったからなんですが、その結果、ほぼ僕の味方になってくれた。『バカヤロー』と手紙を送ってきた人は、4回ほどやりとりするうちに『頑張れ』と書いてくれた。僕にとっては、他人への理解をしようとし始めた時期でした。考えてみれば、高校の頃は、僕が一方的な思いで社会に突っ込むだけだったから」

今井さんの自宅に届いた手紙。今も保存している

翌2006年、大学に入学した。高校生のころから海外の人たちを支援しようと活動してきた今井さんだったが、卒業前に3カ月間、学校建設と英語教育を手伝ったアフリカのザンビアで、本当に支えるべきは誰なのかを考え直すことになる。

「日本より圧倒的に貧しいし、HIV感染率も高い国だけど、子供たちは家族や周囲に支えられて、将来の希望を熱く語っていた。日本の若者はどうだろう。裕福だけど情報が溢れすぎて、幸せを感じられない。希望を持てない。だから、日本の方がサポートする優先度は高いと思ったんです」

大学卒業後、商社勤めを経て、2012年6月から、学生時代の仲間と2人で立ち上げたNPO「D×P」の仕事に専念することになる。定時制・通信制の高校生たちに、「将来」の具体的なイメージを描かせることを活動の主軸に掲げた。

将来の可能性がある子供たちを『自己責任』という言葉で切り捨てるのは、社会として終わっている。10代で否定され、立ち直れなくなった一人として、何とかしたいと思ったんです。

かつて「働きながら学ぶ」生徒の受け皿だった定時制・通信制の高校は、引きこもりや経済的困窮など、様々な事情を抱えた生徒が進学してくるようになった。いじめ、親や先生との葛藤、家庭の貧困など、10代で挫折する原因は様々だ。不登校・中退率や、進学も就職もせずに卒業していく割合も全日制と比べて高い。2015年の文科省の学校基本調査によれば、通信制の約4割、定時制の約3割が、進学も就職もせずに卒業していく

「希望が持てず、卒業後の進路も決められずに引きこもったり、就職してもブラックとつながって辞めてしまったりする。社会に出る前の大事な時期なのに、義務教育ではないから行政や地域の支援も薄い」。そんな状況に置かれた子供たちを、今井さんは、かつての自分が置かれた境遇に重ね合わせる。

「DxP」の授業は、高校生を親や教師以外の大人と関わらせることで、「社会とのつながり」や「自分を肯定する気持ち」を与えるのが目的だ。

コンポーザーと呼ばれる大学生や社会人のボランティアが、主に「総合的な学習の時間」の授業の中で高校生と対話する。自営業、デザイナー、エンジニア、アパレル店員、バンドマン、歌手...といったバックグラウンドを持つ社会人は、事前の研修で「相手を否定しない」などの約束事を学び、数カ月間かけて計4回程度の授業を通じて、高校生と徐々に距離を縮め、人間関係をつくる。そうして、10代が自分で将来像を描けるようにしていく。

京都府木津川市に住む西川優介さん(21)は、小学3年から6年間、学校に通っていなかった。「なりたいものもなく、将来も悲観的だった」。親に勧められて入った通信制の高校で、「先生に勧められて、半ば無理やり」DxPの授業を受けた。

数カ月に1回、いろんな大人が来て、教室で身の上話などを話し合った。起業したい大学生、転職先を探している社会人...自慢話や説教でなく、自分の挫折体験も語る人たちだった。「年齢はすごく上だけど、先生や親と違って、対等な感じで自分を受け入れてくれた。大人も失敗するんだな、と思った」。やがて、「こういう大人になりたい、というイメージが、少しずつ形成されていった」

その頃、同級生に誘われて趣味でカメラを始めた。写真仲間と「DxP」が協力して写真展を開き、授業で出会った大人たちに見せたら、何度も褒めてくれた。「それまで、ずっと引きこもっていて、褒めてもらえることもなかった。もっと写真を極めたいと思うようになりました」。

高校を卒業して、写真の専門学校に通い、結婚式の写真などを請け負う今の会社に入社した。「自分の撮った写真で喜んでもらえるのが最大の喜び。会社でカメラマンとして指名を取れるようになりたい」と、将来の夢を語る。

「自分は将来、仕事ができないんじゃないかと、半ば諦めていた。昔の自分から考えると、すごい進歩ですよね」

2017年3月、アフリカのサハラ砂漠を走破する「サハラマラソン」への参加を決め、資金をクラウドファンディングで募った。「教育や若者支援の分野に関心を持ってもらうには、途方もないことにチャレンジしてみようかと」

コンポーザーに登録した学生や社会人は180人以上。2人で始めたNPOは、20人近いスタッフを抱え、近畿圏や札幌などの計20校で授業を展開するまでになった。ほとんどの収入を寄付でまかなっているNPOだが、取り組みを知った全国の定時制・通信制の高校から「うちでも授業をしてほしい」というオファーが続いている。

10代で極端に走った世の中から否定されたと感じた今井さんだったが、支えてくれた人がいて、ここまで来た。安否を気遣い、大学進学を後押ししてくれた高校時代の担任や、自信を持てなかった自分を励まし、NPOを一緒に立ち上げた大学時代の仲間がいた。つながれば、世の中は決して捨てたもんじゃない。

極端な物言いや行動が、世界でふくれあがっている今、今の自分たちの活動をこう考えている。

「10代で挫折しても、将来を描けるような、社会の仕組みをつくっていく。それが、社会の多様性や寛容さを広げることになる。僕たちのやっていることは、言ってみれば、分断されていく社会を、もう一度つなぎとめようとしていることなんじゃないかなと思います」。

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