日本を解凍する?少数株主シンデレラストーリー2

一体どうやって日本経済を再起動するというのか。そのかぎがこの物語の中に隠れている。

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©Japan In-depth編集部

「日本解凍法案大綱」という小説の寄稿の相談があったのが1年以上前だった。その時伺った構想に私はいたく感銘を受けたのを覚えている。それは私が今まで考えたこともないテーマだったからだ。目からうろこ、というがまさにそんな感じだった。

タイトルが言う通り、「日本を解凍」するストーリーなのだ。何のことかわからない、という向きにはとにかくこの物語を読んで頂きたいのだが、言い換えると、「日本経済の再起動」ということだ。

バブル崩壊後20年以上経ってなお、我が国は未だデフレのトンネルから完全に抜けたとはいいがたく、政府・日銀が目指す物価上昇2%の達成時期も見通せていない状況だ。アベノミクスも5年目になろうとしているのに、だ。

そうした中、一体どうやって日本経済を再起動するというのか。そのかぎがこの物語の中に隠れている。キーワードは「同族会社の少数株主」だ。

本小説の作者で、弁護士の牛島信氏に話を聞いた。

(1の続き)

牛島:僕はよく団子屋のたとえ話をするんですよ。例えば、銀座の金春(こんばる)通りかなんかにあるちっちゃな、昔からの団子屋を想像してみてください。で、その団子屋ですが、昔々、世話になった方がいてその人にお金をだしてもらって始めたんだけど、なにせ何代も前の話なんで覚えちゃいないわけです。その団子屋の主人が言うことには「私は趣味の団子屋でして安く作って味が分かってくれるお客さんに売れてりゃそれでいいんです。」と。でもね、銀座の商店街ですから時代の流れとともに再開発もあるでしょう。そうした時にその団子屋だけ頑としてどかなかったらはた迷惑じゃないですか?なのにその人は「迷惑だっていわれても、私はここの土地に権利があるんだから知ったこっちゃない。」こう言われちゃ困っちゃうわけですが、どうです、こういうことって世間にごまんとあると思いませんか?

安倍:ありそうですねぇ。1軒だけ立ち退かなくて、その周りはとっくに空き地になってるからその店以外は塀で囲われて工事は中断したまま、なんて至る所にあるじゃないですか。

牛島:そう、都市の景観というのは、杓子定規ではなく総合的な観点から保護すべきか否かを決めるべきものなんですね。昔有名な漫画家が赤と白のストライプの家を建てて話題になったことがありましたよね?都市計画法とか建築基準法という法律が何のためにあるのかというと、最低限こうしなきゃいけないよ、というルールを決めるためなんです。パリの街並みが偶然できたものではないことはご存知ですよね?

さっきの話に戻ると、自分のものだから勝手にするという理屈ね、その土地なり建物が個人のものだったらいざ知らず、個人のものでなかったらどうでしょう?例えば、その店主の土地や店が、15億円の借地権の上に乗っかっているのだったら、同じ土地の上にいる他の店なり会社の株主たちにも権利があるんじゃないか、と。

これ、見解が分かれると思うんです。団子屋、いちおう流行っているんだからいいじゃないか、という人と、いやこの土地はもっと意味のある使い方しないとだめでしょ、という人と2通りに分かれる。

安倍:でしょうね。

牛島:ちょっとおおげさかもしれないけど、世界観が問われますよね。団子屋やっている方からは、あの「モノ言う株主」として名を馳せた村上世彰氏じゃあるまいし、どけとか言われる筋合いはない、という立場が一つあって。反対に、いや株式会社である以上は株主にちゃんと報いているかどうかが重要じゃないですか、という考え方がある。上場会社ならともかく非上場会社なんだからそんなの関係ないっていう考え方がありますよね。

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安倍:上場か非上場かっていうのは関係ないんでしょうね。

牛島:理屈の分かっている人は関係ない、株式会社の問題だとわかるしょうけどね。

安倍:非上場でも巨大な会社はありますからね。例えばフジテレビは非上場です。

牛島:そうでしたっけね?

安倍:非上場になったんですね。今はホールディングスの子会社です。最近はそういう例があるじゃないですか。ホールディングスを作って、要するに上場していると株主に色々言われるからそれが嫌だといって非上場になる・・・

牛島:それ面白い切り口なんですよ。なんでかというと非上場になったら株主からいろいろ言われないから助かっていいということ。それでいいんですか?

安倍:ダメなんでしょうね。

牛島:僕は、上場企業のコーポレートガバナンスのことをやっていて思うのは、会社は一定以上の規模になったらそれは社会的存在だということなんですよ。

安倍:小さくたって社会的存在でしょう?

牛島:そうですね、安倍さんは過激ですね(笑)

安倍:だって「会社」を逆に読めば「社会」ですからね。だから会社たるものすべからく社会に対して何らかの還元をすべきである、という考え方がありますよね。

牛島:「会社は社会のもの」論ですね。非上場の場合が多いですけどオーナー経営者であるということはどういうことか。どこまで他の株主を無視していいのか、という一種原理的な問いになるんですよ。その問いの後に出てくるのは、「非上場会社の少数株主だって、なんかあったら株を売ってしまえばいいじゃないか」ってことなんですよ。

安倍:売れればいいですけどね。

牛島:そうなんです。売ればいいじゃないか、って言われてもそもそも「買い手」がいないという問題がある。小さな非上場会社の株を一体誰が買うの?ってことです。年間幾らの配当もしていない会社だったりします。来年は配当するの?っていったってそれはオーナーの胸先三寸ですなんて会社の株、一体いくらで買えっていうの?という話です。

安倍:さっきの相談に来た年配の女性、今会社を経営している息子ですか、その息子さんにどういう値段でご自分の株を買ってもらっていたんですか?株が流通していないんだから市場価格ってないわけでしょう?

牛島:まず、そういうケースで株の売買の値段がどう決まるか、ということですが、通常会社側、あるいはオーナー側がいくらで買い取るかで一方的に決まるんですね。配当はいくらぐらいしている、会社の資産が多いからちょっと色付けるか、とかで決まる。

しかし、オーナー側が過半数握ってしまえばもう追加して買うインセンティブが無くなる。仮に3分の2まで買いたいなら買ってくれるだろうけど、それを超したらもう買う必要なくなりますよね。ということで基本オーナー側しか買わない。値段はあってなきがごとし。需要もあってなきがごとし。

私たまたまお宅の株を相続したので買ってください、と頼みに行くとする。「あ、いいですよ。」と買ってくれればいいですが、「(買ってもどうせ社長やってる俺の相続税が増えるだけだから買いません」持ち続けていたらどうですか?もう知りません。」と言われたらおしまいです。

安倍:それじゃあ圧倒的にオーナー側に決定権があるわけじゃないですか。一方的に。それ、少数株主にめちゃめちゃ不利ですよ。

(1の続き。3に続く)

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少数株主牛島信/著 幻冬舎