15歳で「死ぬだろう」と思っていた-ラッパー・GOMESSが23年間向き合い続けてきたこと

「何が起きた!?」という驚きが強くて、少しずつ追い込まれていきました。

ラッパー・GOMESS。2012年、第2回高校生ラップ選手権での準優勝を皮切りに、自閉症と共に生きるラッパーとして注目を集めた。自身のパニック障害についてうたった「人間失格」、それに併せて発症した解離性人格障害の苦しみをうたった「LIFE」での強烈な言葉は、多くの人の共感、感動を呼んでいる。

最近では、ラップだけでなくポエトリーリーディングや民謡、弦楽などとコラボレーション。民謡とコラボレーションした「River Boat Song」は2016年レコード大賞企画賞を受賞し、新たな表現との可能性も見せている。

今回70seedsはそんなGOMESSのバックボーンに迫る。自閉症の自分と向き合い、彼はなぜラッパーでいる事を選んだのか、そして、これからどんな表現を私たちに見せてくれるのか、彼の展望に迫った。

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■やんちゃ坊主に訪れた突然のパニック

ーGOMESSさんは小学4年生の時に初めてのパニックを経験し、そこから引きこもり生活が始まったと「人間失格」の中でも歌っていますが、パニックに陥る前はどんな子供だったんですか?

やんちゃで、なにか気に入らないことがあるとすぐにキレるような喧嘩っぱやい子供でしたね。自分には特別な才能があると思っていたので、「授業中に粘土で何かを作ろう」みたいな授業だと、周囲が適当に作るのが気に入らなくて。軽いノリで俺の作ったものに誰かが触ったりするとキレて殴りかかったりとか、そういうこともありました。

ーその「やんちゃ坊主」感はラッパーとしてのGOMESSさんにも残り続けているものはあるんですか?

そうですね。色々あったし、今でこそ暴力や争い事とは遠い生活に落ち着いていますが、近いマインドを持ち続けている気はします。バトルの時なんかは特に「馬鹿にすんじゃねぇ!」って、ちょっとウザいくらいの誇り高きプライドを持って・・・(笑)

ーいまはすごくラップバトルが流行していますが、そんな世の中の風潮をどう思いますか?

今のバトルはエンタメ化しちゃってるからか、本気の戦いがほとんどないですよね。虚勢を張ってディスをしたり、無理やり韻を踏んだり、リズムに乗ろうとしたり、そういうショータイム的バトルが流行ってる。もっと本気の戦いが見たいなって思いますね。MCバトルはアーティスティックな喧嘩だと思うから、「お前嫌いだ!絶対勝つ!」みたいな。でも最近はエンタメとして面白い文化になっているとも思うし、フリースタイルダンジョンも毎週見てますよ。もっと盛り上がると良いですね。

ーやんちゃ坊主だったGOMESSさんですが、小学4年生の冬、突然パニックに襲われたんですよね。

あれは10歳の冬か 初めてのパニック 頭の中で爆発 記憶を失う

ほんの数十秒 つかの間 車道の端っこで目が覚めれば

母さんの胸で泣いていた オレ以外ね どうやらさっきまでは 公園で遊んで

突然奇声を発して暴れ回って死にかけたらしいじゃん (GOMESS/人間失格より)

その時は「何が起きた!?」という驚きが強くて、そこまで傷ついたりはしませんでしたが、それが頻繁に起こるようになってから少しずつ追い込まれていきました。小5の時にクラス替えがあったんですけど、そのクラスに馴染めず、そのままポツポツ学校に行かなくなって、夏休みをきっかけにまったく行かなくなりました。そこから中学もあわせて5年間引きこもり生活をしていました。

ー2ndアルバムに収録されている「LIFE」ではGOMESSさんの中にいる「もう一人の自分」について歌っています。それはパニックに陥った自分について歌ったものなのでしょうか。

昔は毎日パニックを起こしていたよ その度に俺の知っている俺は狂っていったんだ

ある日俺の知らない俺に出会ってしまったから

どういう原理かまるで分からない 分からないけど

俺は頭の中にいるもう一人の自分といつも喧嘩をしていた そいつは俺の事が嫌いなんだ

朝起きてから寝るまでの間 何をしたって文句ばかり言われてた(GOMESS/LIFEより)

ややこしいんですけど、あれはパニックと、併発していた別の症状である解離性人格障害について歌いました。俺はもともと独り言が多い性格だったんですけど、その独り言に対していちいち否定してくるやつが心の中に出てきたんです。心というか頭というか、自分とは別の誰か。

■ラップとの出会い

ーパニックを発症してから5年間、引きこもり生活をしていたということですが、どんなことを思いながら毎日を過ごしたんでしょうか。

とりあえず何かしたいなぁ、しないとなぁと思っていました。ゲームが好きだったんですけど、元々何か一つをやり込めるような性格ではないので、最初のステージだけやって終わりとか。でまた新しいゲームを始めて、飽きて。そんなことを繰り返していました。すぐ飽きるって分かってるのに、やっちゃうんですよね。ゲームが好きだから。何か自分のスキルが上がることが実感できるゲームだと長続きするんですけどね。音ゲーとか、格ゲーとか。

ーそんな中、音楽にはのめり込んでいきました。

音楽も同じですね。技術ひとつで良かったり悪かったりするから。ラップをするよりも前に、最初は映画音楽やゲームのBGMとかを作りたくて、DTMで作曲をしていました。

ーそうなんですね!ラップとの出会いはいつ頃だったんですか?

11歳のころ、MTVでRHYMESTERの「HEAT ISLAND」のPVが流れているのを見て、かっこいいなぁと思ったのがきっかけです。でもそのアルバムは地元のTSUTAYAに入荷してなかったので、初めてちゃんと聞いたヒップホップアルバムはおなじくRHYMESTERの少し古いCD「ウワサの真相」でした。

そのアルバムの1番最初に流れる「勝算(オッズ)」っていう曲があるんですよ。それはビートや楽器の音が一切なくて、本番前の楽屋でやっているアカペラの曲なんですけど、それにすごく感動しました。

ーどんなところに感動したんですか?

声だけで音楽ができているというか。ただ喋っているだけなのに、しっかり音楽になっていることがすごいなぁと。ラップって自分の力だけで動くんだって。それからはゲームをやる時間がどんどん減って、毎日ずっと音楽を聞き続けていました。

■死と向き合った10代

ーラッパーになろうと思ったのはどうしてですか?

最初はDTMで作曲をしていたんですけど、14歳の時に自分で作った曲をとあるコンクールに送ったら入選したんですよね。

ーおお、すごいですね。

その受賞をきっかけに作曲をすることを辞めたんですよ。もともと15歳くらいで死んじゃうかなと思っていたので、ここで作曲を辞めたら俺の作曲人生、華があっていいかなって(笑)でも辞めたら辞めたでやっぱり暇だったから、死ぬまでの間、とりあえずラップをやってみようかなって。

ー死のうと!?それはなぜですか?

「死のう」というよりは「死ぬんだろうな」という感じだったと思います。このまま引きこもり生活を続けたところで、その生活に耐えられないような気がしていて。15歳で中学を卒業して、そのあと高校に行く気もなければ就職する気もなかったので、育ててくれた両親への申し訳なさに家を飛び出して、食うもんに困ってその辺の道端で餓死かなあとか考えていました。

ーなるほど...ですがその後、18歳で高校生ラップ選手権に出場をはじめ、今もこうしてラッパーとして活動を続けています。「生きよう」と思ったのはどうしてですか?

中学二年生の時にインターネット上で知り合ったラッパーがいたんですが、そいつとの出会いが大きいです。そいつは同じ静岡県に住む高校生のラッパーだったんですが、「今度文化祭でラップするから来てくれ」って言われて見に行ったことがあったんです。それが俺には生まれて初めてのヒップホップライブでした。

高校の体育館でそいつはラップをやってたんですけど、それがすごく衝撃的でした。今でこそたくさんの若いラッパーを見てますが、後にも先にもそいつが一番ラップ上手いんですよ。

ーそれは衝撃的ですね

俺もそいつみたいに文化祭でラップするまで生きて続けてみようかなと思ったんですよね。そいつにも言いました。「来年俺も文化祭でライブするから来てよ」って。

ーその人とは今でも仲良いんですか?

僕が高校入学してすぐに、そいつは白血病で死んじゃったんですよ。

ーえっ!?

めちゃめちゃエネルギッシュなやつで、死ぬ数日前にもいきなり電話かけてきて「Yo!Yo!退院したぜ!!」ってフリースタイルかましてくるんですよ。俺も「お前嘘つけよ」みたいな感じでラップで返すんですけど(笑)。

そんな風にして俺にフリースタイルを教えてくれた、あんなエネルギーの塊みたいなやつが簡単に死んでしまうという事実が衝撃的でした。そのことから「生と死」を明確に意識するようになったと思います。ステージに上がるたびに思い出しますね、そいつのこと。

■ヒップホップにとどまらないGOMESSの表現

GOMESSさんの表現はラップだけにはとどまりません。

中原中也さんの「盲目の秋」のアレンジ

朝倉さやさんとコラボレーションした「」は2016年レコード大賞企画賞を受賞

最近では弦楽とのコラボレーションも。

ーヒップホップだけではなく、さまざまな表現に挑戦するのはなぜですか?

もともと映画やゲームの音楽をやりたかったし、ヒップホップに固執していないからですかね。ヒップホップの美学はいつも大事にしているんですけど、作品によって「ヒップホップマインドを崩したくない!」というものと「これはヒップホップじゃないな」というものとではっきりと分けているので、手法やテーマを縛られる感覚はないですね。何物も扱うのは自分の方ですから。

ー朝倉さやさんとの作品は、2016年のレコード大賞の企画賞を受賞しました。

楽曲のプロデューサーからある日「民謡にラップを乗せてほしい」と言われて、最初は戸惑いました。民謡って遥か昔から存在しているものなので、今更に言葉を付け足すということがどんなことかって、自分には荷が重い気さえして。だから歌詞を書くよりも先にまず、作品の生まれた時代背景や、関わった人物やエピソードについて2ヶ月くらいかけて調べて、丁寧に言葉を加えさせていただきました。

ーGOMESSさんがこれから挑戦していきたい表現はありますか?

何度も言っているんですけど、もともと映画やゲームの音楽を作りたいと思って音楽活動を始めたので、何かしらのサウンドトラックに参加したいですね。物語を作りたいです。松本人志さんの「さや侍」で竹原ピストルさんが熱唱する名シーンがあるんですけど、あんな風に「あの映画、ここでGOMESSのラップがあるからいいよね」と言われるような作品が作りたいです。

■こんな人間もいるんだということを知ってほしい

ー最後に、今後の夢を教えてください。

すごく有名になりたいですね。

ーというのは?

自分は人間の異種サンプルである、みたいな自覚があって。ダメな人間の一例として、生きていく様を見せつけていきたいという思いがあります。良いところばっかりじゃないし、というか悪いところがたくさんで。俺はそれを全部晒けだして歌って、幸せになれるかな?みたいな。そんな俺を見て「こんな人もいるんだなぁ」「私でもこんな風になれるかも」とたくさんの人に思ってもらいたい。みんなの可能性を広げる活動がしたい。

親には迷惑かけてきたので、「辛いこともあったけど、育ててきてよかったなぁ」と思ってもらいたいし、やりたいことはやりつつ、与えられたものを大切にして、親が喜ぶことをして生きていけたら間違いないかなと思っています。これから俺も誰もどうなるかわかりませんが、この思いだけはずっと変わらずに持ち続けて生きたいですね。

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(この記事は、"ハートに火をつける"がコンセプトのWebメディア「70seeds」から転載しました)