15歳の少女を変えた、福沢諭吉のことば。創立110年の女子高が見つけた“教育のアップデート”

「iグローバル部」を新設した横浜の英理女子学院高校。ビジネス出身の理事長は、曽祖母の志をどう受け継いだのか。

2018年に創立110年を迎えた、横浜市にある私立高木学園女子高等学校。

この4月に英理女子学院高等学校に名前を変え「iグローバル部」を新設した。

そのカリキュラムから、教育改革への本気度がうかがえる。

ICT研究の第一人者で東京大学名誉教授の坂村健さんの監修のカリキュラムで、プログラミング言語の習得、webサイトやアプリの制作も実践。3Dプリンターなどを完備した電子工作室も新設した。

総合学習では、元国連職員でジェンダーや女性のエンパワーメントの専門家、大崎麻子さんの監修のもと、SDGs(持続な開発目標)を研究。2年生の修学旅行では、アメリカのスタンフォード大学に行き英語でプレゼンするという。

学校法人高木学園の理事長は、高木暁子(あきこ)さんだ。トヨタ自動車や外資系化粧品メーカー「ロレアル」を経て、海外でMBAも取得。長年ビジネスの分野で活躍してきた彼女が、これからの学校教育にかける思いとは?

4月、津田塾大学を開校した津田梅子氏が、新5000円札の肖像に選ばれ話題を呼んだ。女子教育のアップデートについても聞いた。

学校法人高木学園の理事長、高木暁子さん
学校法人高木学園の理事長、高木暁子さん
Kaori Sasagawa

15歳の少女を変えた、福沢諭吉のことば

「これからは、女性も学問を学んで社会に貢献する時代だ」

高木学園の創立者、高木君(きみ)さんは、横浜開校記念館で福沢諭吉氏の講演に感銘を受けて「私も学校を作ろう」と決意したという。こうして誕生した学園は、創立110年の歴史を持つ。

どうしてこのタイミングで、学校名を変えることにしたのか。

高木さんは、女子校を設立した曽祖母の原点に立ち戻る。

「ひいおばあちゃんは、15才のときに、福沢諭吉の話を聞いて感銘を受けて、すごい子沢山の家の長女でしたけど、親に制止されるのを振り切って、学費も自分で工面するからといって、東京家政大学に進学したんです」

「女性も仕事をして活躍できるように、と今から110年前に言って学校を設立しました。『社会で信頼され、役に立つ女性』というのが校訓で、裁縫女学校に始まり、高度経済成長期には商業科をメインに、実学に重きをおいた教育をやってきました」

「この2、3年、テクノロジーの進化が著しいと感じていました。グローバル化も進み、テクノロジーも進化も加速していく。その変化に応じて、これからの時代を見据えた、新しい教育をしていかなければいけない。そのために、学校の名前を変える決断をしました」

校訓に合った教育を実践するために、校名を変える。大きな決断だったが、卒業生たちの理解も得られたという。

創立100周年、父の言葉

長年ビジネスの世界にいた高木さんが、理事長に就任したのは10年前。

大学卒業後、トヨタ自動車や外資系コスメメーカーのロレアルでマーケティングや商品開発を経験。海外のビジネススクールでMBAを取得し、企業で働きつづけるつもりだった。学校経営をするつもりはなかったという。

そんな高木さんに声をかけたのが、当時の理事長である父だった。

「創立100周年を迎える直前に、『100周年が大変だから、ちょっと手伝ってくれないか』と父から話があったんです。迷ったんですが、100周年を手伝ったら民間企業に戻るのかなと思っていました」

100周年の記念事業では、同じく100年の歴史を持つ横浜の老舗シウマイメーカー崎陽軒と一緒に、生徒たちとお弁当を開発したという。

「崎陽軒さんから、『お弁当買ってくれないか』と営業の電話をいただいて、電話を代わって『一緒にお弁当作りませんか』と逆営業したんです(笑)。電話がきっかけで、会社にうかがって、若い子向けに一緒にお弁当をつくるプレゼンをしました」

100周年の企画を手伝っていたところ、父のがんが発覚した。

「1年ほど手伝っていたら、年度の終わり頃に父が「具合が悪い」といい、2月にステージ4のがんだとわかりました。(余命は)『あと、3.4カ月です』といわれて、3月末に震える体で理事会に出席して、4月3日に亡くなりました」

父が急逝し、高木さんは思いがけず理事長に就任することになった。

初めての学校経営。慣れない教育現場。高木さんを支えたのは、生前の父がくれたシンプルなアドバイスだったという

「父の言葉は、とにかく『よーく、いろんな人たち、生徒や先生と話をしろ』と。それだけでした。今も『わからないので教えてください』というスタンスですね。人と話して、考えて、走りながら、それをくり返しながら進んできました」

理事長として、新しい教育を模索

英理女子学院高等学校の校舎

理事長就任から10年。走りながら前に進んで、新たに開設したのがグローバルに活躍できる「リケジョ」のための「iグローバル部」だ。

ICTやSTEAM(※)教育などを取り入れているというが、実際はどんなカリキュラムなのだろう?

「これまでは実学を重視してきましたが、明日すぐに役立つだけではない教養もあると感じてきました。文理が一体となった基礎教養や、世界に出ていくためにツールとしての英語が学べる教育が必要だと」

「iグローバル部では、理数系も含む文理融合の知識や技術、英語力を身につけ、AI(人工知能)を使いこなせる女性人材を育成します」

「今後は、プログラミングをして、アプリを作ってビジネスでプレゼンする機会も増えるはずです。農業の分野でもAIが導入され、ファッションデザイナーもAIを使ったりします。みんながコンピューターの基礎的な素養、理解が必要で、それを実現するためにiグローバル部を立ち上げました」

※STEAMとは、Science(科学)、Technology(技術)、Engineering(ものづくり)、Art(芸術)、Mathematics(数学)の5つの単語の頭文字を組み合わせた造語。これら5つの領域を重視する教育方針を意味する。

フロントランナーの専門家が監修

英理女子学院高等学校、iグローバル部のサイトより

高木さんが、iグローバル部の開設を決意したのは、コンピューター科学者で東京大学名誉教授の坂村健さんの講演がきっかけだった。

今後、世の中はこうなる、とわかりやすく説明する坂村さんの講演を聞いて、「こういう教育が高校に必要だ」と実感。思わず、講演後に声をかけたという。

「カリキュラムも、どのタイミングでどういうことを学ぶか、アドバイスしてもらいました。学習指導要領をもとに、プログラミング言語も、人工知能に応用するならこれがいい、などアドバイスしてもらいました」

iグローバル部、Maker's Hub。3Dプリンタやレーザーカッター、スキャナーなどを設置した電子工作室
iグローバル部、Maker's Hub。3Dプリンタやレーザーカッター、スキャナーなどを設置した電子工作室
英理女子学院高等学校

坂村さんが監修のもと、iグローバル部の専用校舎も新たに建設。IoTに対応した施設は、プログラミングで開け閉めできるロッカーも設置した。3Dプリンタやレーザーカッター、スキャナーなどを設置した電子工作室もあるという。

曽祖母が、福沢諭吉に感銘を受けて学校を創立したように、高木さんは、坂村さんの講演で、これからの社会に役立つ女子教育のビジョンができたのだという。

これからのグローバル教育

また、元国連職員でジェンダーや女性のエンパワメントの専門家である大崎麻子さんも、総合学習のカリキュラムには関わっている。大崎さんとの出会いも講演だったそうだ。

「開港記念会館で講演されたときに、女性が世界で活躍するために必要な教育についてお話されていました。お嬢さんもいらっしゃるので実感をお持ちでしたね。講演の後に、ご挨拶させていただきました」

「iグローバル部の生徒たちがSDGsを学ぶために、国連の歩みを理解して、SDGsを17のテーマのなかから自分が興味が持ったものについて探求していきます。2年生の秋の修学旅行では、アメリカのスタンフォード大で英語のプレゼンをします。その中間発表も、大崎さんに見ていただきます」

大崎さんも大学時代に、アメリカの女子大に交換留学した経験がある。女性だけで才能を活かせる学びの場の必要性を理解してもらえたという。

高木さんは、女子教育の可能性も信じている。

「女性の役割も変わっているので、世の中のニーズに合わせて、学校も変容していく必要があります。社会の役に立つ、貢献する人を育てるのが学校。学校の勉強はもちろん大切ですが、今この時代に、その先の時代に向けて、何を学ぶかを変容させていく責任があります」

「共学がブームですが、男の子と比較されないで、男性の目を気にしないで挑戦できる。女子だけで学べる、のびのびできる気楽さもあると思います」

13人がiグローバル部に入学

ラーニングホール
ラーニングホール
英理女子学院高等学校

この春、新設のiグローバル部に13人が入学した。世界で活躍することに高いモチベーションのある生徒たちが集まった。今後は、民間のプロフェッショナル人材も講師として登用する予定だという。

高木さんに、iグローバル部の進路の可能性について聞いてみた。

「日本の大学でもいいと思いますし、海外の大学に行きたい子がいれば応援したいと思います。ただ(進学する)大学のゴールだけでなく、今までのレールではなく、自分はどう社会に世界に貢献できるのか。修学旅行では、視野を広げてほしいですね。それを実現できるためのカリキュラムだと思います」

「これほど女性が自由な時代はない。イコール、女性が自分が決めないといけない。責任が伴う。自分で選ばせてあげたい。人生のコントロールは自分でできる。あなたは可能性があると伝えたいですね」

「しまってるドアも叩けば開く」

崎陽軒かの電話をきっかけに逆営業。専門家の講演で、その場で挨拶。高木さんは、しがらみにとらわれず新しい扉を開いてきた。

父の急逝によって、理事長に就任して夢中で進んできた10年をふり返る。

「引き継ぎもほぼなかったので、自分でなんとかするしかないんだ、という強烈な思いがありました。小さな学校法人なので、すべては自分がどう動くか次第。自分が動けば、何かが変わると常に思っています」

「坂村さんも、すごい方だったけれど、『また来なさい』といってくださった。私のモットーは、閉まっているドアも叩けば開く。それが好きなんでしょうね」

そういって高木さんは笑った。

未来を担う若者たちのために、教育者がいま目の前のドアを叩くかどうか。教育のアップデートのヒントは、意外とシンプルなのかもしれない。

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