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2020年04月15日 11時43分 JST | 更新 2020年04月16日 18時13分 JST

7歳のころの性被害をなぜ5年、誰にも言えなかったのか? 広告業界の人に考えてほしいこと

「誰にも言ってないよ。でも、お母さん、他の人に言わないで」──。7歳にして、私は社会的立場の強そうなおじさんに忖度していた。

GEN UMEKITA via Getty Images
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(文:笛美)

 

※この記事中にはフラッシュバックの可能性がありる内容が含まれます。ご注意ください。

※広告業界の方は、できれば最後だけでも読んでください。

※幼女が好きな方。「幼女」はこの世に存在せず、あなたと同じように人間なのです。           

 

近所のおかし屋さんにはじめてつれてってくれたのは、お父さんとお母さんだった。古い木枠のガラス戸から外の光が差し込んでくるお店で、チョコやうまい棒、ガムなどのお菓子を、たった10円や5円で買うことができた。まだ小学生の自分が、1人でも行けるお店があることがとてもうれしかった。

お店には店番としておばちゃんがいて、ときどきおじちゃんもいた。
夏休みは、お店でトトロのビデオを見た
黄色い箱のキャラメルを買った。     
遠足のときのおやつも買った。
妹と一緒にかき氷を買いに行ったのもそのお店だった。


ある日、公園から歩いて帰ってた時にめずらしく、おかし屋さんのおじちゃんが声をかけてくれた。

「だいじょうぶ?元気がないよ。好きなお菓子をあげるよ」

だから私は、お菓子を選んだんだ。
「なんでもいいの?」
「なんでもいいよ」
お店には200円のお菓子とかもあったけれど、なんとなく遠慮して30円のお菓子にした。

「ほんとにこれでいいの?」
「うん」

お店のカウンター横にある椅子に座ったおじちゃんは、私をその膝に乗せてくれた。私はもう既にあんまり親に抱っこされる年齢じゃなかったから、赤ちゃんに戻ったみたいな気がした。

おじちゃんは「服がずんだれてる(編集部注:だらしないという意味の方言)」と言って、シャツをズボンに入れてくれた。

そうしながら、なぜか私の胸を触った。
なんどもなんども。
なんどもなんども。
なんどもなんども。

「なんで胸をさわるんだろう? へんだな。まあいいか」

おじちゃんは、私のシャツをズボンに入れてくれた。
なんどもなんども。
なんどもなんども。
あれ?なんども?


えっ?そんなに何回もする意味ある?

パンツの奥に手を入れてきた
なんどもなんども
なんどもなんども。
なんどもなんども。
なんどもなんども。

 

パンツの中をわさわさする
おじさんのかわいた手。
私は動けなかった。
何も言わなかった。

おじちゃん何がしたいんだ?
そこには何もないよ。
ずんだれてないよおじさん。

ずっと店の前を行き交う車を見ていた。楽しくない。帰りたい。長い奇妙な時間。
「店の奥の部屋に来てくれたら、もっとお菓子をあげるよ」
そのときお母さんが言ったことをぼんやり思い出した。
「知らない人について行っちゃいけないよ。お母さんが病気だとか道に迷ってるって言われるんだよ。お菓子を買ってあげるって言われてもそれは嘘だから」
でもおじちゃんは知らない人じゃなかったから、大丈夫だとおもったんだよ。

 

「もう帰ります」

私は、無理をしてお菓子をもらってうれしいですという顔をした。私はあまりきげんがわるそうには見せたくなかった。もしきげんがわるそうな顔をしたら、何かが起こる気がしたから。とぼとぼ歩いて家にかえった。なぜかわからないけど、自分はバカだなとおもった。(おじちゃんではなく自分がね。)もらったお菓子は汚く見えて、食べようと思わなかった。


そしてまた別の日にお店に行った。おじちゃんはいなくておばちゃんが笑ってくれた。なぜかおばちゃんに申し訳ないと感じた。
おかし屋さんの前はよく通った。でももう入ることは無かった。おばちゃんとたまに目が合ったけどなんとなく気まずくて入らなくなった。

 

それから5年くらい経って生理がはじまったとき、お母さんが性的な変質者に気をつけるようにと、私に言った。 だから「私もしかしたら、それ、されたかも」と答えた。

「え?だれに?」
「お菓子屋さんのおじちゃん」
「他になにかされてない?」
「さわられただけだよ。変だなと思ったよ」
「それ誰かに言った?」
「誰にも言ってないよ。でも、お母さん、他の人に言わないで」

 

私はなぜか、おかし屋さんのおばちゃんにだけは迷惑をかけたくなかったのだ。おじちゃんとおばちゃんは、別の人間なのに。だから、他の人には言わないでほしいとお願いしたし、さわられただけだから平気だと言った。

私がおじさんのことを言わなかった5年の間、おじちゃんは他の子に同じことをしていなかっただろうか。もっとひどいことをしていなかっただろうか。そのお店は、どんどん商品も減っていき、今ではもうシャッターが下りている。

なんで5年も“それ”を誰にも言えなかったのか。それは母の言葉を聞くまで、自分が性的なことをされている自覚がなかったから。そして7歳にして、社会的立場の強そうなおじさんに対して、忖度したからだと思う。私には「自分がおじさんより大切にすべき人間なんだ」という自尊心がなかった。

幼い私はおじさんを優先させて、自分は切り捨てていい存在だと思ったのだ。そして性犯罪者を野放しにしてしまった。きっと私のような経験をした人は、そこらじゅうにいると思う。

なぜなら、日本女性は自尊心をもつようには育てられていないからだ。かわいく、お淑やかにして、料理や子守など、女の子としての「役割」を上手にできるように育てられる。その枠からはみ出すと、顔をしかめられる。男性に踏み台にされることに、なんの疑問も持たないように育てられる。性被害にあって、「仕方がなかったんだよ」「辛いけど黙っていようね」と言われた時、その空気を感じとって、自分からそう思ってしまう。

もしも「あなたは悪くないよ」「おじさんは許されないことをした」と思えていたら、私は自分のことを、おじさんと同じだけ尊重されるべき人間だと感じることがてきただろうし、結果はもっと違う形になっていたはずだ。

 

いま日本では、裁判で性犯罪の多くが無罪になっている。

たとえば、道を歩いていて暴走車に突っ込んでこられた被害者に、
「同意していた」
「被害者にも非があった」
「なぜ声を出さなかったのか」
「抵抗していなかった」
という人はいないだろう。

交通犯罪を起こさないように、私たちは大金を払って教習所に通って、定期的に免許の更新までしている。性犯罪には教習所すらもない。司法で裁かれもしない。これが差別じゃなくて、何なんだろう。
女性をひとりの人間として扱っていないのに、家事も仕事もと、ひとりの人間ができるキャパシティ以上の活躍を押し付けようとするな。日本の女性はめちゃくちゃ頑張っているけど、さすがにもう限界だ。

 

そして私は、同じ広告業界で働いている人へ言いたい(編集部注:笛美さんは広告の仕事をしている)。

あなたの隣でニコニコ笑顔で笑っている同僚も、私と同じように、過去に自分で自分を切り捨てたことがある人かもしれない。性犯罪だけでなく、私生活でも、仕事でも、女性が自分を切り捨てている世界は、あなたの隣にもたしかに存在するのだ。

今日もあなたという男性に対して、女性が自分を切り捨てているかもしれない。

 

私たちの作っている広告は、女性に一方的な犠牲や、男性に品定めされる存在であることを強いていないだろうか。

女性の直面する社会的課題を見なかったことにして、努力が足りないと上から目線で言っていないだろうか。

男性の性欲(という名目の支配欲)を無邪気でかわいらしいものとして、
肯定していないだろうか。

 

時代に敏感な広告業の人にこそ、いちはやく気づいていただきたい。

 

※本記事は笛美さんのnote「なぜ7歳のころの性被害を5年も言えなかったのか。広告と何の関係があるのか。」を大幅に加筆、修正編集し、転載しました。

(編集:榊原すずみ