息子、はじめての床屋へ。妻は笑顔を浮かべながら、泣いていた

床屋帰りの息子を玄関まで迎えに来た妻が、ビシッとヘアスタイルの決まった姿を見て言った。「うわ、かっこいい! でも……ママ、悲しい~」。えっ!? 悲しい? どういうこと?

「うれしさ」と「寂しさ」は双子のきょうだいというか、いつもふたつセットでやってくる。子どもを育てていると、たまにそんな思いに襲われる。

床屋を怖がる息子に悪戦苦闘

ちょうど1年前、4歳になったのを機に、はじめて息子を床屋さんに連れていった。それまで息子は、量販店で5000円ほどで売られているバリカンを使って、妻に散髪してもらっていた。

しかしもう4歳。着る服も小洒落た感じになってきたし、いつまでも親がバリカンで刈るのもいかがなものか。そう思い、床屋に連れていくことにしたのだ。

親の心子知らずと言うけれど、いざ床屋に連れて行こうとすると、問題だったのは当の本人。幼児向けテレビ番組などではさみの存在をしったらしく「はさみ、こわい」「とこやさん、いきたくない」の一点張り。そりゃ耳元で「ジョリッ」と刃音がすれば、怖かろう。それでも「大丈夫だから、行くぞ」と半ばむりやり床屋へ。

すると今度は玄関先で「おなか、いたい」「ここ、いたい」と仮病を連発する息子…。4歳児なりに「今、そこにある危機」を回避すべく必死なのだろう。

そこで「じゃあ、いい子で床屋さんができたらアイスを買ってあげるから」と切り出すと、「……とこやさん、がんばる」。

難航が予想された僕と息子の首脳会談だったが(笑)、4歳児くんにとってアイスという切り札が、こんなにも有効だったとは。

写真提供:村橋ゴローさん

椅子に座り、オレンジ色のクロスをかけられると、その姿は“小さなテルテル坊主”のようでかわいらしい。しかし鏡越しに見る息子の顔は、緊張のピークといった様子。前髪にハサミが入り「ジョリッ」と切られた瞬間目をつぶり、恐怖に耐える。えり足にバリカンが当たると一瞬、身をよじったが耐えている。

すると、まさに蚊の鳴くような声で「ぱぱ~、おてて~~」。「怖くてしんどいから、手を握ってくれ」とSOS発動だ。

そこで、理容師さんが左サイドをカットしているときは息子の右手を握り、右サイドにまわったら、左手を握りと僕は息子のまわりを右往左往した。緊張に比例し、息子は物凄い力で手を握り返してくる。

それでも何とか10分のカットを終え、はじめての床屋さんは大成功。店を出て「お前、偉かったじゃん! 凄いじゃん! もうお兄さんだね!」と思いっきり誉めると、少し照れながらも誇らしげに「つぎ、かみのびたら、とこやさんいくー!」と息子。声が躍っていた。

産まれてから4年間、息子の髪を切り続けた妻の思い

ご褒美のアイスを食べながら帰宅すると、玄関まで迎えに来た妻がビシッとヘアスタイルの決まった息子を見て言った。

「うわ、かっこいい! でも……ママ、悲しい~」。

えっ!? 悲しい? どういうこと?

そこで、はたと気づいた。そう、産まれてから4年間、子どもの髪を切ってきたのは妻だった。産まれたばかりの新生児のころから、それはずっと妻の役目だった。

刃先の丸い爪切り用のハサミなのに、「こわい、こわい」と散髪を嫌がる赤ちゃんだった息子。そんな息子のために妻は、寝かしつけたあとに彼の髪を切ってあげていた。左サイドを切ったら、寝返りを打たせ今度は右サイド。慈しむようにやさしく、ゆっくりと髪をすくいあげ、散髪していた。この散髪風景は、どこか僕が侵してはいけない領域のように思えるほど、妻は幸せだった。

「寝てるから、後頭部のカット難しい~」。

そう言いながら妻が髪を切った翌朝、息子の後頭部はサッカーボールのようになっていたこともあった。それでもサッカーボールは妻の愛情の印だった。そんな4年間続いた、僕には譲れない妻の仕事。それを僕は「床屋行くぞ」と、いともあっさり奪ってしまったのだ。

妻から見たら、床屋から帰ってきた息子は生後4年にして初めて、きれいに整った髪型をしているはずだ。でもそれを整えたのは、床屋の店員。誰とも知らない赤の他人だ。それゆえの「うわ、かっこいいじゃん! ……でもママ、悲しい~」だったのだ。

はじめての床屋で恐怖に耐えていたウチの4歳児くん、そして4年間髪を切り続けてきたママ。ふたりとも、本当によく頑張ったね。心のなかで、そうつぶやいた。

見れば、妻は泣いていた。淋しそうな、それでいて息子の成長を喜ぶような、なんとも言えない複雑な笑顔を浮かべながら泣いていた。

写真提供:村橋ゴローさん

うれしくて、悲しい涙は息子からのプレゼント

子どもの成長と、それにともなう涙といえば、忘れられないのが〝断乳の夜〟だ。我が家は妻の職場復帰の都合上、子どもを生後7カ月で保育園に入れることに決めた。つまり産まれてたった7カ月での断乳を、妻は決意したのだ。

僕と妻は39歳で不妊治療を開始し、42歳で幸運にも授かった。苦労してできた子だから、産まれてからは順調に……とはいかなかった。妻のオッパイの出が悪く、加えて赤ちゃん時代の我が子はオッパイを飲むのが下手くそだった。また幼い息子は常時便秘気味で、ほどなくしてアトピーが発症した。

それを妻は

「私のオッパイの出が悪いから、息子は飲んでくれないんだ。だから栄養が足りずに便秘になってしまったんだ。アトピーにもなってしまったんだ」

と、すべては自分のせいだと罪を背負い込んでしまったのだ。

これに追い打ちをかけるように妻を襲ったのが、赤ちゃんが妻にだけなつかない問題。泣いている息子を僕が抱っこするとすぐ泣き止むのに、妻が抱っこすると火に油を注いだようにさらに大泣きをする。まるで妻の抱擁を拒否するかのように、かぶりをふって泣き叫ぶ。その様子を見るのは、本当に辛かった。

母乳を飲んでくれない問題や便秘にアトピー…。これらを改善しようと必死なのに、その赤ちゃん本人から拒絶される。妻は産後ウツとなり、しまいには子を抱きながら「ねえ? これベランダから捨てていい?」と僕に言った。我が家はマンションの6階にある。これがどん底の生後5カ月あたり。

しかし、この頃を境に赤ちゃんはオッパイを“んぐんぐ”と飲むようになり、嵐は何事もなかったかのように我が家から去って行った。山積していた悩みがやっと晴れ、笑顔でオッパイを与えることを許された妻。それからのオッパイを与える時間というのが、妻にとってどれだけ幸せで尊いものだったのか。

職場復帰のタイミングで、その〝幸せな授乳〟をたった2カ月間で捨てる決断を彼女は下し、迎えた断乳の日。妻の苦労を知っているからこそ、ふたりで泣いた。元気に“んぐんぐ”とオッパイを頬張る赤ちゃんを見つめながら、ふたりで泣いた。元気になってくれてありがとう。成長したね。でも、もうオッパイをあげられないなんて悲しい、と。あのときの妻も泣きながら笑っていた。

あのときの苦労に比べれば、「たかが床屋」と他人は思うだろう。でもママのオッパイや抱っこを拒否し、全身真っ赤っかのアトピーに苦しんでいた赤ちゃんが、他人の入れるハサミに耐えてきた。それはうれしいのだが、子の髪を切るというママの大切な時間が終わってしまった。それだけで妻は泣けてくるのだ。

うれしくて悲しくて、でも笑顔になれる不思議な涙。この涙を、この子はあと何回僕らにプレゼントしてくれんだろう? 子どもの成長って、ほんと切ない。

(編集:榊原すずみ @_suzumi_s

■村橋ゴローの育児連載

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つい眉間にしわを寄せながら、慌ただしく世話してしまう。

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