カルロス・ゴーンが止まらない。
年の瀬にレバノンへの国外逃亡劇を繰り広げた、日産自動車前会長のカルロス・ゴーン被告。1月8日夜(日本時間)には逃亡先のベイルートで2時間半近くに及ぶ長丁場の記者会見を開き、その後も手記出版やハリウッド映画化などの情報が絶えず飛び込んできている。
PRのプロフェッショナルである本田哲也さんは「『日本の司法制度がいかにダメか』というパーセプション(認識)を世界の人々に与えたい、という狙いがはっきりと見える」と指摘する。
ゴーン被告の疑惑の真相はいったん脇に置き、PRの観点から本田さんにゴーン氏の戦略や、日本が今後とるべき対応について聞いた。
“アジェンダセット”だった記者会見は「一定の成功」
「私はレバノンにいる」という衝撃的なメッセージが飛び込んできたのは、2019年12月31日の大晦日。
その後、楽器ケースに身を隠してプライベートジェットで日本を脱出、元アメリカ陸軍特殊部隊が脱出を支援した――など、次々と耳を疑うような情報が連日世界中のメディアを賑わせた。
1月5日にはベイルートでの記者会見を予告。会見前後を通じ、世界の注目は一気に高まった。
この会見、ゴーン被告にとって一体何だったのだろうか。
本田さんは「あの記者会見は大きなマイルストーンではあるが、今後も続くPR戦略の中の一つの動きに過ぎない」と指摘し、「広報用語で言うところの“アジェンダセット”の位置付けだったのだろう」とみる。
「自分に有利な課題設定をするのは、PR戦略の常套手段。今回の最大の狙いは、国際世論を相手に日本の司法制度がいかにダメかというパーセプション(認識)を持ってもらう、あるいは、強めてもらうことです」
では、狙い通りのパーセプションは獲得できたのだろうか?
会見を受け、海外メディアの反応は様々だった。
「自らを称えるためのショーだった」(仏テレビ局)と冷めた見方もある一方、英ガーディアンは「hitojichi-shiho(人質司法)」と日本語を使いながら司法制度の問題点を指摘。米ニューヨークタイムズは「日本の司法の“特殊性”もゴーン氏の罪状とともに注目される」と伝えた。
本田さんはこう評価する。
「ゴーンさんにとってどれだけ優位な論調が作れたか、というのが評価基準。手放しで大成功とは言えないが、会見がマイルストーンに過ぎないことを考えれば、一度の会見でこれだけの注目とインパクトを与えたことは、一定の成功と言っていいと思います」
世界が「日本の司法はおかしい」と認識しはじめた
ゴーン被告は東京地検特捜部に4度逮捕されている。
日本の刑事訴訟法では、条件を満たした場合、1度の逮捕につき最大20日間の起訴前の勾留が認められている。起訴前の勾留期間が終了すれば、弁護人による保釈請求が可能となるが、特捜部は2度の再逮捕で身柄を拘束した取り調べの時間を引き延ばしてきた。
「人質司法」と揶揄される所以だ。
さらに、2019年4月3日にゴーン被告が「真実をお話しする準備をしています」と記者会見を予告したところ、4度目の再逮捕の可能性が報じられ、翌4日に再逮捕された。この時も日本の司法に対して海外から批判が起きた。
今回の会見で、ゴーン被告は、弁護士抜きでの数時間にわたる聴取、妻と連絡が取れないという措置、数週間にわたる拘束など自分の受けた処遇を挙げ、日本を批判した。
「ターゲットに対して狙い通りのパーセプションを与えられるかどうかは、企業広報やマーケティングの成否を決定します」
「これまでにも日本の司法制度には問題があるらしい、と漠然としたイメージを持っていた人はいたはずです。そういう人たちがゴーン本人の言葉によって『やっぱり日本の司法はおかしい』と、よりはっきりとした認識を持つようになった。一定の成果は生んだと言えるでしょう」
「大きな文脈」に話をすり替えたゴーン被告
会見前には、海外メディアの取材に積極的に応じ、一連の事件の背景には「日本政府と関係のある人物」が暗躍していたことを示唆。会見で実名を明かすと匂わせていたが、当日は「レバノンの立場を悪くしたくない」として名指しはせず、特筆すべき新しい情報が語られることもなかった。
だが、この点についてもPR戦略上は妥当な判断なのだという。
「ゴーンさんは本当に実名を挙げたかったが、会見を仕切った広報会社『イマージュ7』からのアドバイスがあったのかもしれません」という本田さんは、こう指摘する。
「より大きな土俵で話をする方が人々の関心を得られ、より大きな報道へとつながります。日本の司法制度の是非というより大きな文脈に話をすり替え、日本で報道されているゴーンさんの疑惑内容や逃亡の是非というテーマは、相対的に小さなことという印象を与えようとしたのでしょう」
会見で日本メディアの参加が制限された理由も、こうした点を踏まえると必然性が見えてくる。
「ゴーンさんが相手にしているのは国際世論で、世界のメディアが舞台。日本での広報活動を重視していないのだと思います。(ゴーンさん逮捕をスクープした)朝日新聞が会見への参加を認められたのも、反体制的だという点に加えて大手新聞紙だから、ぐらいの理由ではないでしょうか」
迫力満点に語るゴーン被告と、メモを読み上げる日本の当局「PR力に大きな差がある」
では、世界にネガティブなイメージを与えてしまった日本の刑事司法制度は、どう反撃できるのだろうか。
ゴーン被告の会見を受けて、森雅子法務相は2度の記者会見を行った。
その中で、「刑事司法制度の是非は制度全体をみて評価すべきであり、その一部のみを切り取った批判は適切ではない」と反論。「具体的な証拠とともに我が国の法廷において主張すればいい」とゴーン被告を非難した。
東京地検も「我が国の法に従って適法に捜査を進めた」として、ゴーン被告の主張は「不合理であり、全く事実に反している」と異例のコメントを発表した。
本田さんは「放置せずにすぐに会見やコメントなどで発信した日本のスピードは評価できる」と語る。
ただし、「狙い通りのパーセプションをいかに獲得するか、という戦略広報の点で言えば、ゴーンさんの方が1枚上手」なのだという。
時に感情的になりながらも、大きな身振り手振りで力強いスピーチを繰り広げたゴーン被告の会見は「パワフルで情熱的だという印象を与えることに成功した」と、本田さん。
「PRで大事なのは、本気の言葉を語れる人がカメラの前で発信すること。ゴーンさんのスピーチにはメモがあったが、PR会社が用意したものを読み上げるのではなく、自分の言葉で熱意を持って語っていました」
「それと比べると、日本の会見は書かれたものを読み上げているのみで、感情が伝わってきづらい。自らの主張にどれだけ迫力と戦略性を持たせているか、という点では、大きな差があります」
「日本ブランド」は守れるか
日本では、ゴーン被告の逃亡の是非や話のすり替えを批判するばかりで、彼が世界に向けて行った戦略的PRによるリスクについてはあまり語られていない。
本田さんは、日本のこうした報道についても危機感を示す。
「日本は報道自体が国内向け。日本では『異例の対応』というけれど、国際的に見れば異例でもなんでもない。より大きな土俵を持ち出したゴーンさんと比べ、日本の対応や報道はガラパゴスの域を出ていない」
ゴーン被告は会見後も各国メディアの取材に積極的に応じ、日本への批判を強めている。フランスのメディアに対しては「私のような罠にかかるな。日本にはもう誰も行くな」と発言したとの報道もある。
CNNビジネスは専門家の言葉を引用し、今回のケースが「日本のブランドは多大な損害を受けるだろう」と報じている。外国人幹部の採用は、日本企業にとっても外国人にとっても今後はリスクになるだろうと指摘している。
「世界中から日本の刑事司法制度が実態以上に不完全で外国人に不当に厳しいと見られるのも、こんなに簡単に脱出できると思われることも、日本にとっては大きなリスクです。ゴーンさんがこういうパーセプションを付けようとしているのなら、日本は『そんなことはない』というパーセプションを積極的に取りに行かないといけない。対応型の守りのPRではなく、攻めのPRが必要です」
これまでの一連のゴーン被告の動きについて、本田さんは「広報会社と少なくても昨夏ごろには接触し、全体的なシナリオは組み立ててきたのではないか」と推測する。
「今回の件で一番名前を挙げたのは、イマージュ7であることは間違いない。ゴーンさんは今後も大義名分として日本の司法制度や外国人差別を批判しながら、自分の名誉回復に努めるでしょう。それができる環境も整った」
「日本としては、広報のダイナミズムのなさの足元を見られているようで悔しくもありますが、興味深く見守りたいと思います」