親と子の役割が逆転してしまうことも...。聴こえない親を持つ子どもの困難、知ってますか?

耳の聴こえない親を持つ聴こえる子どもの会「J-CODA」会長で東大特任助教、中津真美さんとの対話でわかったこと。
東京大学バリアフリー支援室の中津真美特任助教
東京大学バリアフリー支援室の中津真美特任助教
Kaori Sasagawa

両親の耳が聴こえないこと、そんな両親の元で育った自分はCODAと呼ばれること、そしてぼくも両親も差別を受け、偏見を目の当たりにしてきたこと。そういったことを書くようになって、1年が過ぎた。

一つひとつの記事を書くのは、想像以上につらい。自分の傷跡と向き合い、ときにはカサブタを思い切り剥がすような作業が必要とされるからだ。

「障害者の親なんて、恥ずかしい」

「ふつうの親が欲しかった」

幼い頃に両親、特に先天性の聴覚障害者だった母に投げかけた言葉がたびたびリフレインする。その都度、ぼくは過去の自分を殴り飛ばしたい衝動に駆られ、PCに向かって「本当にごめん」と呟く。いまさら謝っても、あのとき母についた傷を取り消すことなんてできないのに。

それでもぼくがこうして聴覚障害者やCODA、ろう文化について執筆を続けているのには理由がある。もちろん、聴者にもっと知ってもらいたいという想いからだ。同時に、もうひとつ。それは、散々傷つけてきた両親への「罪滅ぼし」の気持ちがあるから。

我ながら、なんてネガティブな原動力だろう。けれど、そんなぼくの暗い気持ちを理解し、寄り添ってくれる人がいた。

耳の聴こえない親を持つCODAたちが集まるコミュニティ「J-CODA」で会長を務め、聴覚障害やCODAについて研究を続けている東京大学バリアフリー支援室の中津真美特任助教だ。

Kaori Sasagawa

中津さん自身もCODAであり、CODAにとって生きやすい世の中の実現を目指している。

聴こえない親へ罪悪感を抱き、その感情を払拭するためにCODAとしての活動に邁進する。ぼくは、まるで写し鏡のような中津さんに会いに行くことにした。

小学3年生、聴こえない父親を作文に書いた

中津さんは父親がろう者、母親は聴者という家庭で育ったCODA。けれど、幼い頃はそれが「おかしい」とは感じていなかったという。

「小学3年生の頃、『私のお父さん』というテーマで作文を書くことになったんです。そこで『私のお父さんは耳が聴こえないけれど、とてもいいお父さんです』と書いたら、教師から『あなたは、お父さんが聴こえないことを作文に書けるようになって偉いね。成長しましたね』と言われて」

「自分では“ふつう”のことを書いたつもりだったので、その瞬間、社会から見たら耳が聴こえないことって恥ずかしいことなのかな……と思ってしまったんです。恥ずかしいことなのに、それを堂々と発表したから『偉いね』と褒められたのかな、と」

Kaori Sasagawa

当時の中津さんの気持ちは痛いくらいに想像できる。ぼくもしょっちゅう「偉いね」「立派だね」と言われてきた。でも、聴こえない両親を支えるのは当たり前のことだったし、そんな自分を偉いだなんて思ったことがなかった。ただ、両親のことが好きだったから、耳の代わりになってあげようとしただけだ。

それなのに、「偉いね」と言われるたび、心が沈んでいった。その言葉の背景に隠れている、「あなたの両親はふつうじゃないのにね」という憐れみを感じ取っていたのだ。

「その教師の言葉がずっと引っかかっていました。でも、よく考えてみたら、もしかしたら(先生が)聴こえない人のことを知らないだけだったのかもしれない、と思うようになって。だったら私は聴こえない人のことを広めていきたい、社会福祉の道に進みたいと徐々に夢が明確になっていきました」

「ただ、それでも最初は聴覚障害に向き合うのが怖かったんです。なので、30代前半くらいまでは聴覚障害の周辺領域の仕事に携わっていました」

「ようやく聴覚障害と真正面から向き合えるようになったのは、30代後半になってから。これまで蓋をしてきた聴覚障害についてしっかり研究してみようと思いました。その過程で、もしかしたらこれが私の罪滅ぼしなのかもしれない、と思うようになっていったんです」

東京大学バリアフリー支援室にろう文化や手話などの関連書籍が並ぶ。
東京大学バリアフリー支援室にろう文化や手話などの関連書籍が並ぶ。
Kaori Sasagawa

20代前半、聴こえない父親の最期

思春期の頃、ぼくは両親の障害をひた隠しにするようになっていた。耳が聴こえないことは恥ずかしいことであり、他人に知られればぼく自身が蔑まれ、馬鹿にされると思っていたのだ。

けれど、中津さんはそうではない。中学生の頃にはすでに社会福祉の道に進むことを志し、向き合うのに時間は要したものの、常に聴覚障害について考えてきた。

それなのに、どうして「罪滅ぼし」の念を抱くのか。

「20代前半の頃、父ががんで亡くなったんです。最期の瞬間には間に合ったものの、すでに意識はありませんでした」

「私の父は『つんぼ』って呼ばれて石をぶつけられるような、障害者への理解が今よりもまだまだ十分でなかった時代に育ったんです。そのことを父からも祖母からも聞かされていたから、『私が父を守らなければいけない』という気持ちが大きくなっていました」

「それなのに、結局、最後まで父になにもしてあげられなかった。もっと手話を覚えればよかった、もっと父の聴こえない苦しみを理解してあげればよかった、と。そのときの後悔が『罪滅ぼし』という感情に結びついているんだと思います」

Kaori Sasagawa

研究でわかったCODAの親子関係

親への「罪滅ぼし」という感情をバネに、聴覚障害やCODAの研究に力を入れている中津さん。その胸中にあるものを想像し、ぼくは「そんなに自分を責めないでください」と伝えたくなった。

その言葉はそのまま自分にも返ってくる。けれど、親を傷つけてしまったこと、親にしてあげられなかったこと、親を守れなかったこと。CODAはいくつになってもその過去に苦しむのかもしれない。

「研究を続ける中で、青年期のCODAを親子関係の側面から大きく3種類に分類することができました。ひとつは聴こえない親への感情を爆発させるタイプ。親への不満を口にしたり、存在を否定したりする人たちですね」

「もうひとつが本当に親と良い関係を築いているタイプ。そして最後が、親を守らなければいけない、聴こえない親の子どもだからいい子でいなければいけないと思い、自分の気持ちを抑え込んでしまうタイプ。この3番目のCODAがとても心配なんですよ」

「自分の気持ちを抑制してしまうCODAの中には、親子関係が逆転してしまうケースがあります。子どもが親のようにふるまい、親がそれに頼りっきりになるんです。その原因のひとつとして考えられるのが、親自身が聴覚障害があることで常に自信を失っている状態であること。聴こえないことに引け目を感じてしまっているんです。そして、親子関係が逆転しているCODAの家庭では、コミュニケーションが成立するレベルも低い傾向にあることがわかりました」

親と子の役割が逆転してしまうCODA

振り返ってみると、ぼくは両親に対して不満を爆発させるタイプだった。過去に両親へぶつけた残酷な言葉を、いまになってとても後悔している。

ぼくは手話がそこまで得意ではなかったので意思疎通に悩むこともあった。けれど、過去を反省し、ぼくなりのやり方で清算することで、いまは非常に良好な関係を築けているとも思う。なにより、両親のことが大好きだ。

でも、もしかしたら、中には大人になっても聴こえない親との関係に苦しんでいるCODAがいるのかもしれない。

「親と絶縁状態になっているCODAもいます。ただ、それを否定はできないとも感じているんです。聴こえない親と離れることでCODAが生きやすくなれるのであれば、それを優先させるしかないのかもしれない。第三者としてはなにも言えないじゃないですか」

「それでも……世の中でふたりしかいない父親、母親なんだから、もったいないよ、と心のどこかで思っちゃうこともあります。私自身、最後まで父になにもしてあげられなかったことを後悔しているから、同じような想いを他のCODAにしてほしくないんです」

Kaori Sasagawa

中津さんのお話を聞いて、ぼくは言葉を失った。

「聴こえない」ことを理由に親子関係が断絶してしまう。それはあまりにも哀しいことだ。もちろん、ぶつかったって構わない。でも、「聴こえない」ことで生きづらさが生まれ、それが親子の断絶につながっていくのだとしたら、問題は「障害者を受け入れない社会側にある」と考えられるのではないだろうか。

「でも、必ずしも聴こえない親が悪くない、とは言い切れないんです。聴こえる聴こえないに関わらず、よい親もいれば、そうでない場合もありますしね。たとえば親子関係が逆転し、CODAにばかり負担が押し寄せてしまったとしたら、そこから逃げ出したいと思うのも仕方ないことです……」

実際に様々なCODAと出会い声を聞いてきた、中津さんならではの言葉だった。

聴こえない親とCODAに伝えてきたいこと

CODAの心理発達には、聴こえない親の自尊心も多分に影響を与えているという。だからこそ中津さんは、聴こえない親たちに伝えたいことがある。

「聴覚障害があることを引け目に感じず、受け入れて、堂々とCODAに伝えてほしい。聴こえないことは決して恥ずかしいことでも、悪いことでもないんですから」

「親子の日々のやり取りのなかから、親子間でのコミュニケーション方法も探ってほしい。手話だけで難しいのであれば読唇や身振り、筆談も使いながら、それぞれの親子に合ったストレスのない方法を見つけてもらいたいんです。CODAが親との会話で望むことは、ただ『通じる』だけではなく、親子で深い話ができたという満足感。それがあれば、もっと親と話したくなると思うんです」

「(親自身も)CODAの気持ちを学ぶ必要もあります。CODAの心理がどのように変容していくのかをあらかじめ知っておけば、将来を見通した子育てができるはず」

Kaori Sasagawa

中津さんは長年の研究を経て、さらに広い視野でCODAの課題を見つめていた。

「CODA当事者に対しても、伝えたいことがあります。まずは、『聴こえない親に育てられたあなたは、CODAっていうんだよ』と。自分とは何者なのかと揺らぐCODAにとっては、それを知ることで『自分はCODAなんだ』という大切なアイデンティティにもなりうる。さらに、私は私でいいのだという自己肯定感にもつながると思うんです」

中津さんは、「地域格差をなくして、全国どこに住んでいても、聴こえない親とCODAを取りこぼさない仕組みを作りたい」と語った。

この1年、ネガティブな気持ちで執筆をする自分が嫌になる瞬間があった。もしかしたら、同じCODAに迷惑をかけているのではないだろうかと不安になることもあった。

けれど、中津さんと出会い、対話を重ねたことで、ぼくはもっと「書くこと」で伝えていかなければいけないと襟を正す想いがした。

ぼくが聴覚障害やCODAのことを書くのは、あのとき傷つけた親への「罪滅ぼし」。そして、いま苦しんでいる昔のぼくのような若いCODAたちを助けるためだ。

それがCODAとして生まれたぼくの役割なのだ。

五十嵐 大

フリーランスのライター・編集者。両親がろう者である、CODA(Children of Deaf Adults)として生まれた。

(編集:笹川かおり)

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