マドンナやマイケルに人生を教わり、中森明菜や河合奈保子に夢をもらった。スウェーデン出身LiLiCoの音楽遍歴

好評連載 第36回 LiLiCoの「もっとホンネで話そう。私たちのこと」
タレントのLiLiCoさん
タレントのLiLiCoさん
Yuko Kawashima

世間を騒がすイシューからプライベートの話題まで、LiLiCoさんがホンネで語り尽くす本連載。今回のテーマは、「音楽」です。

18歳の時に「日本で歌手になりたい」と来日したLiLiCoさんは、スウェーデンで暮らしていた子どもの頃からの音楽好き。スターたちから人生の困難を乗り越える方法を教わったといいます。その音楽遍歴と、日本で歌手活動をすることへの思い、日本にあふれる“音”の魅力についても語ります。

アイドルのレコードを聴いて日本で歌手デビューを夢見た

小さな頃から音楽が大好きでした。ソファやベッドに寝転び、ラジカセから流れる流行りの歌を口ずさんでいる。それが、私の原風景です。当時スウェーデンでヒットした曲は、全部歌えたんじゃないかな。

スウェーデンには子どもが通えるディスコがあって、足繁く通いました。音楽の授業で歌うのも、ラジオを聞くのも好きだったし、毎月本屋に並ぶすべての音楽雑誌を買って端から端まで繰り返し読みました。

マドンナやマイケル・ジャクソンは、私にとって永遠のスター。スウェーデンのポップグループABBAも大流行していました。

▼中でもお気に入りだというのが、マドンナの「Gambler」とマイケル・ジャクソンの「Bad」

バカラ(スペイン出身の女性デュオ)、ボニーM(西ドイツ出身の4人組ディスコバンド)、フンペ・フンペ(西ドイツの姉妹デュオ)、アルファヴィル(西ドイツのバンド)、ハワード・ジョーンズ(イギリスのミュージシャン)など、ヨーロッパのアーティストも大好きでした。

ファッションも印象深かったのは、サンドラ(西ドイツの女性3人組グループ「アラベスク」でメインボーカルを務めた元メンバー、サンドラ・アン・ラウアー)!ロングスカートの上にロングブラウスを着てベルトを締める彼女のファッションがお気に入りで、毎日真似をして学校に行っていました。

当時聴いていた曲は、今でも私にとってパワーソング。ヨーロッパ(スウェーデンのロックバンド)の「The Final Countdown」は、プロレスの試合で入場曲にしていたほど! 大好きだった映画「グリース」(1978年公開のミュージカル映画)のサントラもよく聴きます。

Yuko Kawashima

日本の曲も好きで、最初は日本に住む祖母が送ってくれた荷物の中に入っていた「デビルマン」や「およげ!たいやきくん」といった子ども向けのレコード。基礎学校(日本における小中学校。7~16歳までが通う)に上がる頃からは、中森明菜さん、河合奈保子さん、早見優さん、シブがき隊などのレコードを聴いて、日本でアイドル歌手になりたいと夢見るようになりました。

9年生のときには、卒業ミュージカルで初めてステージの上でソロの歌を披露しました。歌ったのは、ユーリズミックスの「There Must Be an Angel」。終演後、歴史の先生が「君は芸能界に行くんだな」と言ってくれたのは忘れられない思い出です。

別世界に連れて行ってくれた音楽。スターに教わったこと

Yuko Kawashima

音楽は、もともと私にとって現実逃避の手段でした。映画よりも身近で、手軽で、しかも短い。家庭環境があまりよくなく、学校でもいじめられていた私は、どこにも居場所がありませんでした。だから、音楽という別世界に連れていってくれる3分間のドラマに逃げ込んでいたんです。

憧れのアーティストたちは、生き方も教えてくれました。マドンナやマイケル・ジャクソンのインタビューから、私は困難を乗り越えようと本気で頑張る姿を学びました。

日本のアイドルたちは、かわいくてキラキラしていた。歌詞はわからなかったけど、日本の歌は聴き心地がよかったんです。歌謡曲はメロディーが素敵だから、英語で歌えば世界中で大ヒットするのに、と今もよく思います。

高校生の頃には、チェッカーズの「Song for U.S.A.」と久保田利伸さんの「You were mine」を繰り返し聴きました。ちょうど「日本で有名な歌手になりたい」と夢見ていたときだったので、スウェーデンを思い出す曲であり、夢の原動力になった曲でもあります。

Yuko Kawashima

18歳で来日して、演歌歌手として下積みを始めてからは、演歌の魅力を知りました。当時のマネージャーさんに「演歌歌手なんだからNHK以外は観てはいけない」と言われ、魅了されたのは大月みやこさん、坂本冬美さんといった女性歌手の方々。

中でも尊敬していたのは、当時まだ注目されていなかった島津亜矢さん!特に「出世坂」は、歌唱はもちろん、歌詞も、草履を脱いで後ずさりして歌うパフォーマンスも大好き。3年前、「ノンストップ!」で共演できたのは、かけがえのない財産です。

テレビもラジオも街中も日本はメロディーにあふれている

Yuko Kawashima

来日して気づいたのは、日本はメロディーにあふれているということ。実は日本のテレビCMやラジオのジングルは、他の国よりもメロディアスなんです。

街のなかにも楽しいメロディーがたくさんありますよね。例えば、横断歩道で信号が青になったとき視覚に障害がある方のために鳴る、鳥の声のような音。ホームの発車音が、恵比寿駅はヱビスビールのCMソング、高田馬場駅は「鉄腕アトム」の主題歌だったり。

海外では、こうした音はただの音であることが多いけれど、メロディーにしようというのが日本的な感性だと私は思っています。

私は外でほとんど音楽を聴きません。「この街はこういう音がするんだな」と考えながら街を歩くのが趣味なんです。商店街のアナウンス、歩行者たちの会話や歩く音、赤ちゃんの泣き声……。街によって聞こえる音がまったく違う。世の中の人の興味関心を知ることもあるし、盛り上がって会話をしている姿を見たら楽しい気分になるしね。

LiLiCoさんが普段から持ち歩いているエッグシェイカー
LiLiCoさんが普段から持ち歩いているエッグシェイカー
Yuko Kawashima

次に目指すのは歌手LiLiCoとして成功すること

ミュージカルを経験したことで、音楽の聴き方が変わったように感じます。以前は音の聴き心地、雰囲気を味わっていたけれど、今は心情を理解しようとして歌詞を聴くようになりました。

最近はSpotifyとYouTubeで音楽を楽しんでいます。小田井(夫で歌手の小田井涼平)と食卓を囲むときも、スウェーデンで流行った曲を一緒に聴いたり、彼のお気に入りの曲を教えてもらったり。

小田井は、ヒット曲よりちょっとマイナーな曲の方が好きで、例えば米米CLUBなら「浪漫飛行」「君がいるだけで」みたいな有名な曲よりも、「WE ARE MUSIC!」が好き。面白い音楽のセンスを持っていて勉強になるんですよ。

Yuko Kawashima

ラジオのレギュラー番組を持っていると、さまざまなアーティストの楽曲に触れたり、ライブに行ったりする機会に恵まれます。遥海さんの「ZONE」やKenta Dedachiさんの「Jasmine」といった若手アーティストの素敵な楽曲に出合えたのも、ラジオのおかげ。

ハワード・ジョーンズの日本公演では、楽屋挨拶に行くこともできました。子ども時代の私が想像もしなかったことが起きている現実に驚いたものです。

ただひとつ気になるのは、「日本で歌手になりたい」という夢を持って来日した私自身が、歌で成功していないということ。

私はずっと音楽からパワーをもらう側でした。でも今は、そろそろパワーを与える側としての自分も確立したいのです。

2021年に50歳でミュージカルにチャレンジし、この2月には上山竜治さん、平原綾香さんら名だたるスターと『The Musical Day ~Heart to Heart~2023』のステージにも立ったばかり。

目下の目標は、3年以内くらいにアニメの主題歌をやること!今は音楽配信やYouTubeなどさまざまな手段で発信ができる、チャンスに恵まれた時代です。これから、もしかしたら小田井と2人で音楽活動をする機会があるかもしれないし、いろいろな方とコラボもしてみたい。歌手LiLiCoとしてどこまで行けるか、挑戦のまっただ中です!

Yuko Kawashima

(取材・文=有馬ゆえ、写真=川しまゆうこ、編集=若田悠希)

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