「作品の前で雑談してるだけ。だけど見る人の姿勢が変わっていく」全盲の美術鑑賞者、白鳥さんの映画が教えてくれること

「自由な会話を使ったアート鑑賞」という独自の手法を編み出した、全盲の白鳥建二さん。その姿を追ったドキュメンタリーには、白鳥さんと出会った人たちの「見える・見えない」の先にある、「見ようとする」姿勢が描かれる。
全盲の美術鑑賞者・白鳥建二さんと作家の川内有緒さん
YOSHIKA SUZUKI/鈴木芳果
全盲の美術鑑賞者・白鳥建二さんと作家の川内有緒さん

THEATRE for ALLに企画を応募したことで生まれた50分のドキュメンタリー(『白い鳥』)は、いま107分の長編となり、クラウドファンディングで300人以上から440万円を超える支援を集めるなど、大きな渦を生んでいる。

本作を観た人からは、「幸せについて考えました」「白鳥さんは、日常の小さな幸せに気付きやすい人」といった感想が寄せられているという。

「俺はネギを慎重に切ってるだけなんだけど(編注:映画には白鳥さんが素麺の薬味のネギをとても器用に切るシーンが登場する)、その繊細さから、日常の小さなことにもアンテナ張ってると思われたのかな」と、全盲の美術鑑賞者である白鳥建二さんは笑う。

映画『目の見えない白鳥さん、アートを見に行く』はスマートフォン等の端末を通して字幕や音声ガイドを楽しむことができる「UDCast」対応作品となっている。
©︎ALPS PICTURES INC.
映画『目の見えない白鳥さん、アートを見に行く』はスマートフォン等の端末を通して字幕や音声ガイドを楽しむことができる「UDCast」対応作品となっている。

この映画の原案となっているのが、作家の川内有緒さんが白鳥さんとの美術鑑賞体験をまとめたノンフィクション『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』(集英社インターナショナル)だ。「2022年 Yahoo!ニュース本屋大賞 ノンフィクション本大賞」を受賞した。

『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』(集英社インターナショナル)
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『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』(集英社インターナショナル)

映画では、映像ディレクターの三好大輔さんと共同監督を務める川内さん。完成した作品を観て、白鳥さんに対する新しい発見が「たくさんあった」と語る。

白鳥さんが「自由な会話を使ったアート鑑賞」という独自の鑑賞法によって、楽しんでいることは何か。社会が区別する「見える・見えない」の先にある「見ようとする」姿勢について、白鳥さんと川内さんのふたりに話を聞いた。

全盲の美術鑑賞者・白鳥建二さん
YOSHIKA SUZUKI/鈴木芳果
全盲の美術鑑賞者・白鳥建二さん

目の見えない白鳥さんに、美術館でアート作品を説明すると…

――白鳥さんは長年、いろんな方と自由に会話を楽しみながら、各地の美術館でアート鑑賞をされています。あらためて、どんな面白さがあるのでしょうか?

白鳥建二さん(以下、白鳥):作品のことがわかってくるのと同時に、話している人のこともわかったような気になってくること。それが会話しながら鑑賞して、おもしろいと思うことのひとつですね。

毎回「この人、どういう人なんだろう?」と考えるわけじゃないんだけど、その人が使う言葉とか言い回しとか、「例えば、◯◯」みたいな例の挙げ方、連想の仕方が同じことはないので。

綺麗な作品を見て「綺麗だね」と説明する言葉は一致すると思うんだけど、どういうふうに綺麗か、その綺麗なものを見て何を思い出すかを話すと、みんな全然違う方向にいくので、誰かと見るおもしろさが出てくる。

川内有緒さん(以下、川内):そういう違い自体がおもしろいってことだよね。同じものを見ても、全然違うところに注目したり、全然違う印象を受けていたりする。

白鳥:誰か他人を相手にするときに、“型通り”って安心するかもしれないんだけど、つまんないんですよね。鑑賞会でも、「盲人がいるから説明しなきゃ」みたいな感じで、最初は役割として一生懸命説明してくれることはよくあるんだけど、それが悪いってことじゃなくて、そこはまだ俺にとってはイントロみたいな。楽しみにしてるのは、その次なんです。

話がずれるんだけど、普段駅を移動するときに駅員に案内をしてもらうんですよ。改札で「◯◯駅まで行きたい」って伝えて案内をしてもらうんだけど、鉄道会社によって駅員の案内の仕方がすごく画一的で。教育を受けている駅員に手引きをしてもらうんだけど、「はい、一旦止まります」「はい。90°右に曲がります」と。俺は「普段通りに歩いて」って頼むんだけど、それが通じる人と通じない人がいて。通じない人とは付き合いたいって思えないんですよね。

川内:人間同士の会話って感じがしないもんね。

白鳥:だけど、会話しながら鑑賞会をすると、個人の違いというか特色が出てくるから、作品のことも知りたいけど、その人の話の続きももっと知りたい、みたいになって。結果として、その人のことも作品のことも、なんとなくわかってくるんですよ。

川内:もしかしたら、駅員の人も美術館で白鳥さんに会ったら全然違う話し方できるかもしれないけど、自分の役割の仮面を被っちゃうとその役になりきってしまう。鑑賞会ではその普段の社会的な役割がだんだん取れていって、その人の素になっていくおもしろさはありますね。

白鳥さんとの鑑賞会で気づいた、自分自身のこと

『目の見えない白鳥さん、アートを見に行く』
©︎ALPS PICTURES INC.
『目の見えない白鳥さん、アートを見に行く』

――編集の方は、2022年11月の国立新美術館での鑑賞会に参加してみて、「世界が変わった」と話していました。

編集:鑑賞会に参加したことで、私は「わからないものをわからないままにできないんだ」と気づいたんですね。同じ鑑賞会に来ていた看護師の方は「私の仕事はわからないことだらけなので、わからないことをわからないままにするのが普通だと思ってます」と。そうか、と思ってすごくびっくりしました。

白鳥:きっと解決できないんだよね。

川内:白鳥さんは、(鑑賞していた作品について)「答えがわかっても俺には言わないでくれ」みたいなところがあって。私は早く知りたいって思ってしまうんだけど、「まだ、考えること自体を楽しみたいから答えは言わないでくれ」ってことがよくあります。自分の力で知っていくことの喜びというか、知らないことと出会うときは一回しかないから、それは大事にしたいですよね。“知るプロセス”と“知らない”っていう状態。

白鳥:何かが「わかった」と思ったところで、一旦話が終わっちゃうじゃん? 前はその「わかった」をやりたかったんだけど、年をとるごとに世の中には曖昧なところが多過ぎるってわかってきて。いっそわかんないままにしといて、ずっと思っているのがいいかなって。決めつけないで、次の展開があってもいいなぐらいの感じでいようって。そういう曖昧なところが増えてきた。

最近は、友達や人に関してもそういうふうに思っていて。もっと日常的な自分の視野を狭めたくない、誰かとの関係性も狭めたくない。そんなことも思ってます。

美術館で、作品を前にして雑談することの意味

――美術やアートではなくて、「美術館が好きなんだ」と表現されていました。白鳥さんにとって美術館はどういう場所ですか?

白鳥:楽しいところのひとつですよね。日常から繋がってはいるんだけど、飲食店でいったら、立ち食いそばとかラーメン屋じゃなくて、ちょっといいお店みたいな感じ。毎日行ける場所っていうよりは、ちょっと企画をして誰かと日にちを合わせていく。ちょっと気合入れて、楽しみに行くぞっていう。誰かと待ち合わせして、ちょっとおいしいもの食べようよ。おいしいものを食べるんだったら誰かと一緒のがいいよねっていう。

『目の見えない白鳥さん、アートを見に行く』
©︎ALPS PICTURES INC.
『目の見えない白鳥さん、アートを見に行く』

川内:日常的によく行っていたこともあって、美術館は私にとっては身近な存在なんですね。でもやっぱり、白鳥さんと出会って作品の見方がすごく変わったんです。だから美術館という存在は変わらないかもしれないけれども、誰かと一緒に行くおもしろみを知ったし、話しながら見ていいんだなってわかりました。

白鳥さんに感謝してるのは、以前だったらスルーするような、そこまで興味がない作品でも、もう一歩立ち止まって見てみよう、この奥に何かあるんじゃないかなって思えるようになったこと。実際にそうすると、作品が近づいてくるっていうか仲良くなれる感じがあって、すごく印象に残るんですね。

最初は、白鳥さんがいてくれたから話せるようになったんだけど、今は白鳥さんがいなくても同じように見ることができるようになって。目の見える人でも、見えない人でも、自分ひとりでも、友達と一緒でも同じようにじっくり見たり、作品を楽しんだりするやり方がわかりました。驚いていた時期は過ぎて、今はもう血肉になった感じです。

白鳥:実際は俺がいなくたって成立する話だもん。だって、作品の前で雑談してるだけだよ(笑)。

川内:そうそう雑談してるだけ。でもやっぱりきっかけになるんだよね。作品の前で雑談するという発想がなかったから。でも自分でちゃんと見ることができて、わかったときの喜びは大きい。誰かに教えてもらって作品を理解するんじゃなくて、自分の力だけでその作品を理解できたと思ったときの興奮。「おお、違う扉が開いた」みたいな。

白鳥:あれは格別ですね。

2022年12月に島根で鑑賞会をやったんだけど、ぼやっとした印象の夜の日本庭園を描いた作品だったのに、途中から松の木や石よりも、一番手前にある地面――夜の庭園の光が上から降ってくるただの地面にすごい筆が入ってんじゃないかと気づいて。その一番手前の地面を見せるために、手前に変な低い木があるんだって気づいたとき、全員が目からウロコ。「そうなのか! もしかしたらすごく上手ってことか!」みたいな(笑)。

川内:白鳥さんと一緒に見た人の感動の根幹は、そういうところにあるんじゃないかな。自分たちが手放してきたものというか。誰かが教えてくれたりすることに慣れていて、情報を得て自分の力だけで見て、自分なりに理解していくことを、実は放棄している人は多いから。

みんな見えているものは一定じゃない。それでも「区分け」する社会を考える

『目の見えない白鳥さん、アートを見に行く』
©︎ALPS PICTURES INC.
『目の見えない白鳥さん、アートを見に行く』

――映画で、白鳥さんが「目が見えてる人でも見えてること、見えてるものが一定じゃないっていうのが実感できる」「その違い、差がどんどんなくなってきて、今ほぼフラット」とお話されていました。見えている人、見えていない人で線が引かれているということでもありますが、今の社会についてどう感じていますか?

白鳥:今の社会は、線引き過ぎ、区分けし過ぎだと思うけど、きっと区分けしたいんだよね。

川内:社会の中で、区分けが必要な場面もあるからね。絶対に区分けがなければいいという単純な話ではない。

白鳥:分けると落ち着くんですよ。

川内:区分けをすることでわかりやすくはなるんだけど、その区分けの特徴だけでその人を見てしまうのは問題ですね。例えば、「目が見えない人はこう」「50代女性だからこう」って言われるのは本人としては居心地が悪いこともある。さっきの駅員さんの話もそうですが、一人ひとり個人としてその違いを含めて出会っていくことができないとつまんないと思うんです。

白鳥:行ったり来たりできないのがポイントなんじゃないの? その人全体のことと区分けしたある一定の特徴、それは固定じゃなくて両方つながっている。見方によって行ったり来たりできれば、どっちにもこだわりすぎることもなくなるんじゃないかな。

白鳥:さっき話したような駅員の手引きは教科書的なものがあるので、こうした方が安全が確保できるだろうという相対的な話なんだけど、見えない人でも、足元がおぼつかない人がいたり、階段もエスカレーターも全く問題ない人がいたりする。足元とか姿勢とかを見ればわかるんだけど、対応が同じだと「俺、ちゃんと歩けてるじゃん」って言いたくなっちゃうんです。

川内:“画一的な多様”は嫌ですよね。それは本当そう思います。

――最後に、ノンフィクションを通じて白鳥さんを書いた川内さんですが、自分自身のフィルターを外して三好さんが撮った映画を見て、何か新しい発見はありましたか?

川内:すごくありました。たくさんあるので一言で言えないけど、やっぱり自分の目は自分が見たいところや注目してるところしか見ないけれども、撮ってる人は別の人なので、もう一個の違う目が見たときに、彼が注目したのはここなんだと。

例えば、途中でずっと爪を削ってる映像があるのですが、私だったら映画のなかに入れなかったんじゃないかと思うんですよね。なんであんなにあの場面を長く撮ってたの? と思ったんだけど、よく見ていくと、白鳥さんは(情報や状況を知るために)たくさん指を使うからこんなに爪を短くしてるのかと合点がいきました。全然気づかなかったし、お料理している場面や洗濯物をたたむといった日常生活も見ることができたのは、やっぱり映画のおかげでした。

『目の見えない白鳥さん、アートを見に行く』
©︎ALPS PICTURES INC.
『目の見えない白鳥さん、アートを見に行く』

最終的に、人にはすごく奥行きがあって、たくさんの部屋があって、全部の部屋に入ることなんて不可能だけど、一個の部屋だけでわかったということではなくて、奥にも部屋があるからその人のことはわからないし、そのわからなさがあるから人はやっぱりおもしろいんだと、あらためて映画を通じて感じました。

全盲の美術鑑賞者・白鳥建二さんと作家の川内有緒さん
YOSHIKA SUZUKI/鈴木芳果
全盲の美術鑑賞者・白鳥建二さんと作家の川内有緒さん

(取材・文:笹川かおり 編集:毛谷村真木/ハフポスト日本版)