「デートレイプドラッグ」による性暴力。被害者をさらに苦しめる「一過性前向健忘」とは

睡眠薬などを使った性的暴行事件で、被害者が「一過性前向健忘」に苦しめられています。被害時の記憶が欠落しますが、捜査当局側の対応によっては事件化できないケースがあります。
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Xavier Talleda Catalan via Getty Images

「睡眠薬を飲まされて抵抗できない状態にされ、性的暴行を受けた可能性がある。にもかかわらず、捜査機関に話を信用してもらえない」ーー。こんな状況に陥るケースが起きている。

悪意を持った人物に、睡眠導入剤などをお酒と一緒に飲まされると、被害者が事件当時の記憶をなくし、いざ警察に被害を伝えようとしても当時の状況をうまく説明できなくなることがある。

いわゆる「デートレイプドラッグ」問題だ。もし、自分がこのような事件に巻き込まれてしまったら、どうすればいいのか。

4月は「若年層の性暴力被害予防月間」。専門家が語る内容をもとに、事件当時の記憶をなくす、いわゆる「一過性前向健忘(いっかせいぜんこうけんぼう)」に焦点を当て、問題点を探っていく。

一過性前向健忘とは?

まず、「デートレイプドラッグ」とは何か。旭川医科大の清水恵子教授(法医学)によると、デートレイプドラッグとは、“性暴力”目的に使われる薬物のこと。

特定の薬品があるということではなく、日本では睡眠薬や抗不安薬が悪用されるケースが多い。こうした薬剤の入手には医師の処方箋が必要だが、医師にウソをついて症状を偽れば、入手は不可能ではない。

そして、このような薬と少量のアルコールを一緒に飲まされた場合、被害者は次のような状態になる。

事件当時の記憶が欠落し、歩いたり、話したりしたことを覚えていない」。これが、一過性前向健忘による症状だ。

睡眠薬などの薬物を悪用した性暴力事件や強盗事件は、1990年代後半から顕著になってきた。

法務省の犯罪白書(2022年)によると、睡眠薬などを悪用した性暴力事件を含む強制性交の認知件数は昨年、1388件(前年比56件増)だった。認知件数は1997年から増加傾向を示し、2003年には2472件に達している。

被害者には次のような共通点がある。

①事件前にその後起きる脅威を知らない

②(睡眠薬などが入った)飲み物を摂取した後、突然記憶が途切れる

③数時間から十数時間後に意識を取り戻す

④捜査機関などに相談するが、事件当時のことがうまく思い出せない

飲み物の色などで、被害者が「何か飲まされた」と気づくのは難しく、知らないうちに薬物の影響下に置かれる。すると、

眠くなる

危険に対する反応が鈍くなる

体に力が入らなくなる

直近の記憶が欠落する

といった症状が起きる。薬の量が極めて少なくても、このような状態になる。

記憶が欠落する瞬間を、海外の文献は「カーテンが引かれるように」「どん帳が下がるように」と表現している。

被害者に共通する症状と睡眠薬の作用
被害者に共通する症状と睡眠薬の作用
Keita Aimoto

「合意」ではないのに警察が聞いてくれない

しかし、被害者の話を警察が聞いてくれないケースが確認されている。

性暴力被害者を支援する「性暴力救援センター・大阪SACHICO」によると、睡眠薬などが使われた性暴力に関する事案は年間10件ほどある。

被害者は事件当時の記憶がなく、被害内容をうまく説明することができない。被害状況が詳しく伝わらないことから、被害があったと警察官が信じてくれず、薬物の影響を調べる尿検査などをすぐにしてくれないことがあるという。

さらに、加害者と並んで歩いたり、腕を組んでホテルに入ったりする様子が防犯カメラに映っていると、「強制ではなく、両者の合意があった」と警察側に判断されてしまうこともある。

しかし、腕を組んだりしていたとしても、それは記憶がなくなったり、危険への反応が鈍くなったりする薬物の影響から生じたものだ。対応した警察官がこうした知識に乏しければ、前述の通り「合意の結果」と思われ、捜査に着手してもらえない可能性がある。

「尿から睡眠薬が検出されれば話は別」(警察関係者)だが、早い段階で尿検査をしなければ、薬物の痕跡は消えてしまう。大阪SACHICOの担当者は「医師や支援員と一緒に警察を訪れ、尿検査や事件の対応をしてくれるように伝えることも大切」とした。

アルコールによる健忘は浸透しているのに……

睡眠薬などによる一過性前向健忘とは対照的に、アルコールによる健忘は一般的に知られている。

「居酒屋からどうやって帰ったのか覚えていない」ーー。こんな経験をしたことはないだろうか。

酒を飲んで酔っ払うと、気が大きくなったり、足がふらついたりし、時には記憶をなくしたりする。この「酔っ払い」の症状はもちろん警察を含む一般社会に広く浸透している。

一方、薬物による「記憶がない」は、泥酔して「覚えていない」と同じ状態なのに、社会に浸透していない。

一過性前向健忘の症状を具体的に記した「体験記」もある。清水教授によると、記載されているのはアメリカの医学雑誌(1987年)だ。

健康な神経学者の男性(当時43歳)が海外の学会に出席するため、時差ボケ対策と仮眠のため機内で睡眠薬を服用。少量のアルコールも摂取した。

男性は目的地に到着後、空港内で入国手続きを済ませ、ホテルに移動して荷物を預けた後、街を観光していた。しかし、その記憶は一切なかった。男性は約10時間にわたる一過性前向健忘を経験していたのだ。

あとで観光中に撮影した写真を見ても思い出せず、男性の様子は普段と変わらないように見え、同行者も異変を感じていなかった。

周囲からは「普通」に見えても、本人は何も覚えていない。しかし、その間の行動は、実は薬物の影響を受けている。これが、一過性前向健忘の恐ろしさだ。

アルコールによる健忘は「酔っ払っている」とわかるが、薬物による健忘は第三者から見て「おかしい」と思われないことが特徴の一つだという。

最近の睡眠薬などを使用した性的暴行事件
最近の睡眠薬などを使用した性的暴行事件
Keita Aimoto

「記憶がない」は犯罪のキーワード

薬物による性暴力を証明するには、やはり早期の尿検査が必要になる。

口から入った薬物は小腸で吸収され、血流にのって全身に広がり、代謝を受けて腎臓でろ過されたあと、尿として排出される。尿から薬物の成分を検出できれば、「薬を摂取させられた」という客観的証拠を得ることができる。

ただ、睡眠薬の種類によっては数時間で排出されるものがあり、1週間以上たった場合は検出することが難しくなる。

最近は、過去の薬物成分を検出できる「毛髪鑑定」も進歩しているが、まずは早期の尿検査で客観的な証拠を確実に確保することが重要だ。

内閣府の「男女間における暴力に関する調査報告書」(2020年度)によると、女性の14人に1人(1803人中125人)が無理やり性行為をされた経験をもつ。そして、そのうち約6割が「どこにも相談していない」と回答した。男性は1635人中17人だった。

表面化する性暴力の事件は「氷山の一角」といわれ、「泣き寝入り」する被害者も多い。そのうえ、捜査当局からも信用してもらえないことになると、さらに被害者を深く傷つけてしまうことになる。

清水教授は「加害者たちは少量の睡眠薬とアルコールの併用で一過性前向健忘が生じることを知っている。しかし、捜査関係者を含む一般社会には浸透していない」と指摘する。そのうえで、こう訴えた。

「記憶がない、あるいは断片的という相談があった場合、捜査機関は薬物使用の事件を疑うことが重要。記憶がないことは、決して『奇妙なこと』ではなく、犯罪の『キーワード』だ」

「事件として認知されなければ被害者は極めて不幸で、加害者も野放しになり、さらに被害者は増えていく」

(この記事は2022年12月20日にBuzzFeed Japan Newsで配信した記事で、一部編集しています。筆者は同じく相本啓太です)

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