tsunami

「何かしなくては」という思いと、自信が持てない自分との狭間で悩み続けた日々。兼子佳恵さんが走り続けた10年間のこと。
人口1万2千の小さな町で、陣頭に立ち続けてきた指揮官の胸の内を紹介する。
「小さな備えをしていかないといけない。それが生きている人にできる唯一のことだから」2月13日夜に東北地方を襲った地震は、10年前の記憶を人々によみがえらせた。
東日本大震災の津波で危機管理対応の要となる庁舎の浸水が相次いだ教訓から、国は庁舎建設の財政負担を軽減する制度を設けるなど、高台移転を推し進めてきました。
トルコ政府は31日夕(日本時間同日深夜)までに35人が死亡、885人が負傷したと発表した。
同様の集団訴訟のうち7地裁では、津波は予見可能で、国が対策を命じていれば事故は避けられたと、国の責任を認めていた。
6月1日午前9時半ごろ、薩摩半島西方沖を震源とする地震があり、鹿児島市などで最大震度4を観測。
100年に1度の津波を防波堤で防ぐのではなく、全住民が迫る津波に「適応できる」街を目指して。
震度5弱を観測したのは宮城県石巻市、宮城県亘理町、福島県双葉町
警察や消防などによると、新潟、山形両県で少なくとも6人のけが人が確認された。