カミングアウトによる可視化は、偏見に対する闘いの重要な武器

セクシュアリティによる差別のない世界を構築するまでには、まだまだすべきことがあります。
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vyenel via Getty Images
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このブログは、オーストラリアン・グリーンズ(緑の党)所属で、ゲイをカミングアウトしたロバート・シムズ南オーストラリア州上院議員が、10月11日のカミングアウトデー(自身の性自認や性的指向をカミングアウトしたLGBTの人たちを祝福する日)にハフポスト・オーストラリア版に寄稿したものである。

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10月11日はカミングアウトデーです。この日はプライドの重要性を称え、また、私自身のセクシュアリティをめぐる行程を振り返るチャンスです。

私がゲイであると理解したのは12歳の時でした。当時、それはかなり厳しいことでした。ゲイの人々を知りませんでしたし、ゲイの生活がどのようなものであるかもまったく実感がありませんでした。そのため、私の感覚は大部分、テレビで見たカリカチュア(特徴を誇張した風刺画、戯画)により形成されました。

小学校で長年にわたり、それこそ私がゲイについて考え出すよりずっと前に、他の子供たちから、お前はゲイだと思うと、からかわれたものです。そのような経験を重ねることによって、ゲイとは、男性がなりたいと望むべきものではないんだ、と考えるようになりました。

私は大学生になるまでLGBTI (性的マイノリティ) の人々に会ったことがなく、20代初めまでカミングアウトを「始め」ませんでした。私が「カミングアウトを始める」というのはもちろん、同性愛指向の人々が言うように、カミングアウトが単に1回限りのことではないためです。それは間違いなく生涯にわたって行うことなのです。なぜなら、私たちは今でも大部分の人々が「人間とは非同性愛的である」と考えている社会で生きているためです。カミングアウトのプロセスには、さまざまな多くの文脈で開示を続けることが必要です。

私は幸運でした。家族や友人が支えてくれたからです。そして、ゲイであることを語ると、やっと本当の自分自身になったと感じられたので、本当に多くの個人的関係を強固にできました。肩の重荷を下ろせたのです。

私の10代の年月は必ずしも順調ではありませんでしたが、決して自分のセクシュアリティを変えたいとは思いませんでした。自分のセクシュアリティのため、世界を少し違ったように見ることができるのが好きでした。実際、成長期に抱いたこのような孤独感のおかげで、私は進歩的な政治の道を歩んだのです。

私のセクシュアリティは、その他の差別に目を開かせてくれましたし、また、私たちは既存の権力構造の先を見すえ、も変革する必要があると感じさせてもくれました。より根本的には、それは私のアイデンティティの重要な部分であって、変えたいとは思いませんでした。

人々はよく、私たちがポスト・アイデンティティの時代に生きているとか、セクシュアリティの違いはかってほど重要でなくなりつつある、といったことを言います。このことについては疑いがありませんし、すばらしいことです。しかし、これは偶然起こったことではありません。プライドを守る運動の成果です。私たちの権利のために闘った活動家や、オープンに自分のセクシュアリティについて語り、そのようにするよう人々を励ました方々のおかげです。

近年目にするポジティブな社会変革にもかかわらず、セクシュアリティの扱いは、今日の多くの若者にとって今もなお困難な問題です。見て見ぬふりはできません。非常に多くのLGBTIの人々がますます感じるようになっているこのような孤独感を打ち砕くためには、セクシュアリティの違いについて語ることが今でも重要なのだとと思います。

このように可視化することは、同性愛への偏見に対する闘いの重要な武器でもあります。というのも、集団がオープンで外から見えるものであるほど、そのような集団を排斥し貶めることは困難になるからです。集団が友人や家族、同僚から構成されていれば、そのような集団を差別することはより困難となります。

カミングアウトデーは、LGBTI運動の成果を称えるチャンスです。多くのことが達成されましたが、セクシュアリティによる差別のない世界を構築するまでには、まだまだすべきことがあります。違いについて語り、それを称えること、それもこのプロセスの重要な部分です。

このブログはハフポスト・オーストラリア版に掲載されたものを翻訳しました。