黒いスーツに黒いカバン。日本の新卒採用は「非効率」すぎる。

アメリカには日本のように一斉に就職活動をするようなルールも終身雇用制度も存在しない。大きく異なると感じるのは就活生が身にまとう「リクルートファッション」だ。
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就職活動のイメージ
時事通信フォト

日本の3月は年末と同様、一つの区切りを迎える季節である。卒業式や人事異動など、新年度に備えるための準備が始まる。

 

そして、大学3年生はいよいよ就職活動がスタート。

3月は企業説明会が開かれる時期だと聞いた。

アメリカには日本のように一斉に就職活動をするようなルールも終身雇用制度も存在しない。そして、それぞれの会社が、まちまちに採用活動を行なっている。また、アメリカと大きく違うと感じるのは、日本の就活生が身にまとう「リクルートファッション」だ。

 

外見にとらわれない就職活動を

 

黒いスーツに黒いカバン。

黒く長い髪をしっかりと結んだ大学生は、満開の桜にわき目も振らず、新緑を愛しむゆとりもなく企業訪問に勤しむ。

 

真摯な姿にはとても好感が持てるのだが、みんなが同じファッションで面接に臨んで、彼らは個性を発揮できるのだろうかと首を傾げてしまう。

同じファッションで面接に臨ませることである種の協調性や社会性を見出そうとしているのだろうか。だとしたら、別の方法があるようにも感じる。

 

面接官側の視点に立てば、外見にとらわれず、発言やその内容から個性を見出したいというフェアな気持ちが働いているのだろうと推測することもできる。

しかし一方で個性の表れやすいファッションや化粧を許せば、その分、審査するときに判断材料が増えて、その人となりをより知る機会につながるのではないだろうか。

 

ところで、みなさんは履歴書に顔写真を貼ることに違和感を覚えたことはないだろうか。アメリカでは多様性を重んじるために、またジェンダーバイアスがかからないようにするために、履歴書に写真を貼らない。

性別よりも、その人が積んできた経験や成績のほうが重要視されるからだ。

 

例えば、志望している企業が多様性を充実させる戦略をとっていることを逆手にとって、履歴書に自らがゲイであることを明記し、自分の存在のユニークさをアピールする者もいる。

このように自分のアピールポイントがどこにあるかを分析し、それを武器に就職活動をするのがアメリカ流なのだ。

 

集団面接で見逃されてしまうもの

 

面接おいても日本とアメリカの違いを感じることがある。

私が今の法律事務所に入る時の面接(インタビュー)は、実にフランクでお茶を飲みながらスポーツの話をしたり、趣味の話をしたりと日常会話の延長のようなイメージであった。

 

これには勉強だけではなく趣味を楽しんだり、友人ともしっかりとコミュニケーションが取れるなどその人のバランス感覚を測るためであったり、同僚として迎えたときに連携をとりやすい人物であるかを確認したりするという、きちんとした意図がある。

 

一方で日本はどうだろうか。

多くの場合、一次面接は集団で行われると聞いた。

日本人が大切にしている協調性を測るためのものであり、こうしたシチュエーションで、緊張しながらも適切なコミュニケーションが図れるかをみるためのものなのだと思う。

リクルートファッション同様、「個」よりも「集団」を尊重するかどうかが大切にされている結果だろう。

 

ここで少し考えてほしい。集団面接の場で一斉に合格を争うことで、どんなことが起きるか。

まず、声の大きいアピール力のある者が目立つ。

しかし、集団面接では、勢いに押されて個性を出せない者の中にも優秀な者がいる場合も多い。例えば、落ち着いて、じっくりと考えてから行動する者はどうだろう。前面に出てアピールする力よりも推進力があるかもしれない。

 

言うまでもないが、組織は様々な個性が包括的に物事を動かしている。一つの個性に偏ってしまったのでは全方位的に対応するのはより難しくなるのではないか。だからこそ、彼らの緊張をほぐし、本音を引き出す、本領を発揮できる面接方法の工夫が必要になるのではないだろうか。

 

日本の採用活動にダイバーシティを

 

そうした背景もあってか、日本でも「普段着で面接に来て下さい」「日頃の様子を教えてください」という企業が段々と増えているという。一方で大学生にとっては、まだまだ普段の自分を出すよりもリクルートファッションの方が安心、という本音も見え隠れする。

 

グローバル化が進む日本でも多様性(ダイバーシティ)という考え方は浸透し始めている。そして、経団連は2021年以降に、新しい採用選考に関する指針を打ち出すと聞いた。将来の日本を担う人材育成が大学に求められているという。非常勤講師をしている大学で、私は将来の同僚候補に出会うことも少なくない。

 

彼らが広い世界で活躍できるように、大人である私たちが彼らがもっと個性を誇れるような環境を整えていかなければいけない。