最後は『千の風になって』。橋田壽賀子さんへ盟友の泉ピン子さんと石井ふく子さんがコメント【全文】

石井さんは「現在のコロナ禍の状況を見て、そこで感じた家族の形を書きたいとおっしゃっていました」という橋田さんの思いを明かした。
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泉ピン子さん(左)と石井ふく子さん(右)
時事通信社

「渡る世間は鬼ばかり」などを手掛けた橋田壽賀子さんの死去を受けて、ドラマに出演していた泉ピン子さんと、石井ふく子プロデューサーが、TBS経由でコメントを発表した。

石井プロデューサーは、橋田さんと60年付き合い。「年中喧嘩したり、相談したり、家族のように付き合ってきました」と回想。

「現在のコロナ禍の状況を見て、そこで感じた家族の形を書きたいとおっしゃっていました」という橋田さんの思いを明かした。

泉ピン子さんは、橋田さんの意識がなくなった時、「『ママ』って呼ぶ私の声が聞こえたのか、最後に目を見開いたんです」と振り返った。

「悲しまなくていい。千の風になっているんだから。あなたの周りにいるから」という橋田さんの言葉を紹介し、「最後は『千の風になって』をかけて送りました」と明かした。

石井ふく子プロデューサーのコメント全文

橋田さんとは60年のお付き合いです。年中喧嘩したり、相談したり、家族のように付き合ってきました。一日電話しないと「どうしたの?」と心配されることもありました。思い出がありすぎて何も言えません。こんなに急だなんて悔しくて、なんと言っていいかわかりません。「あなた一人でどこに行ったのよ」という思いでいっぱいです。

橋田さんは現在のコロナ禍の状況を見て、そこで感じた家族の形を書きたいとおっしゃっていました。同時に「私はいつも一人だと思っていたけれど、あなたたちがそばにいてくれたのね」とおっしゃって。私は「今更、なにを言ってるのよ」と返しましたけれど。お互いに元気でいようねって話していたところでした。

今、私の隣りに笑って私を見ている遺影があります。まだ、橋田さんがこの世からいなくなったなんて考えられません。

  

泉ピン子さんコメント全文

昨日意識がなくなったとき、「ママ」って呼ぶ私の声が聞こえたのか、最後に目を見開いたんです。それが最後でした。クルーズ旅行に行くとき、お正月に着ていたお気に入りのドレスと、橋田文化財団を設立したときに作った松竹梅の思い出のドレスを着せて、私がお化粧をしてあげて、旅立ちました。

橋田さんは「悲しまなくていい。千の風になっているんだから。あなたの周りにいるから」といつも言っていました。「でも、私が先に逝くとは限らないけど」と茶目っ気たっぷりで付け加えたりして。ですから最後は「千の風になって」をかけて送りました。

今の私があるのは橋田先生のおかげです。舞台もドラマもやらせてもらいました。ずいぶん喧嘩もしたし、泣いたこともあったけれど、橋田さんとご主人には本当の娘のようにかわいがっていただきました。私も熱海で暮らすようになって、最後はずっとそばにいられたから熱海に越してきた意味があったと思います。