3.11 東日本大震災

2011年3月11日、番組のロケ中に被災したサンドウィッチマン。毎年、気仙沼から思いをつづってきた。
被災地の復興に思いを寄せ、「新型コロナウイルスによるパンデミックの中、世界中で戦っている人々へも希望を与えていると思います」と語りました。
サンボマスター、AI、milet、GLAYなど豪華出演者が揃うほか、櫻井和寿×MISIAのスペシャルコラボも企画されています。
「節目なんて、ない」。震災から10年、取材を受け続けること約600件。その中で感じた3.11報道の“テンプレ化”。2年前に苦言を呈した宮城県女川町の老舗蒲鉾店の社長に改めて聞いた。
放射能で不安な住民の気持ちに寄り添うことと、科学的判断とはどう両立するのだろうか。そして、政治家として「まちを守る」こととは?退任した飯舘村の菅野典雄元村長に聞いた。
東日本大震災から10年を迎えた2021年も、「オチのない」温かいツイートをしました。
「東日本大震災の余震とみられます」という言葉、大地震の後の報道でよく見聞きしますが...
津波被害を受けた石巻市、10年後に同じ場所から撮影した。
「こちらはだいじょうぶ」「家はもうない」「生きてればオーケー」「妹をたのむよ」...。宮城県東松島、仙台、神奈川、広島。離れ離れに暮らしていた家族をつないだ、8通の交信記録。
集団移転を率いた若手リーダーが後世に伝えたいこと。住民の分裂、ローンの現実…【東日本大震災】
東日本大震災から10年。今年はLINEでも同様の取り組みが行われます。日本赤十字社は、ツイートすると100円が寄付される企画を実施しています。
サイクルが長期間のため、伝承が難しい津波災害。例えば、お祭りのような地元の文化的な行事に落とし込むことで、防災・減災につなげることができるのではないか。
2011年3月11日、出身地の仙台で被災。あの日、最も記憶に残っているのは大きな地震の揺れではなく、避難した後に降ってきた「雪」だった。10年が経ち、被災者の1人だった彼が、アスリートになった今、伝えたいこと。
「何かしなくては」という思いと、自信が持てない自分との狭間で悩み続けた日々。兼子佳恵さんが走り続けた10年間のこと。
2011年3月11日、NHKのヘリコプターからの中継映像は、海沿いの町をのみこむ津波を克明に捉え続けていた。カメラを握っていたのは、当時、NHK福島放送局の報道カメラマンだった鉾井喬(ほこい・たかし)さん。入社1年目、その日がまだ5回目のフライトだった。 ※この記事には津波の描写があります
復興事業で3年間は特需、その後も観光客に恵まれた。それが「コロナで前が見えなくなった状態」になったと、南三陸町で民宿「明神崎荘」を経営する佐々木昌則さんは振り返ります。
ファンモンは、3月11日(木)放送のTBS『音楽の日』で、「ありがとう」「ちっぽけな勇気」 「あとひとつ」の3曲を披露する。
1年後がどうなっているのかわからないのに 30年後も続いていると疑いなく思えることが 他にどれほどあるだろう