廃墟となったオリンピック会場のギャラリー

オリンピックが閉幕したあと、会場や施設はどうなるのだろうか?

オリンピックが閉幕したあと、会場や施設はどうなるのだろうか?

これまでの例では、観光客向けの公園やトレーニング施設、劇場、コンサートホール、ショッピングモール、美術館、屋内競技場、生態系を再現した自然環境博物館、住宅、刑務所などに姿を変えたものもある。しかし驚くことに、数十億ドルという資金をかけて建設されたものの、全く使われない状態で放置されている施設も多い。

ナチスが開催したことで悪名高い、1936年のベルリンオリンピックで使用された選手村は、77年後の今もそのまま放置されている。

さらに驚くことに、ギリシャは2004年のアテネオリンピックで、会場の建設に巨額の資金を投じたものの、そのほとんどが閉幕後に活用されていないことから批判を受けている(現在同国は、危機的な財政と経済状況に苦しんでいる)。

以下のギャラリーでは、ベルリンからアテネオリンピックまで、「不気味な廃墟」として放置されている過去のオリンピック会場を紹介しよう。

[Emi Boscamp (English) 日本語版:兵藤説子/ガリレオ]

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廃墟となったオリンピック設備 画像集
1936年 ベルリンオリンピック(01 of10)
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1936年のベルリンオリンピックで4000人以上の選手たちの滞在場所となった選手村。その後、ドイツ兵たちの宿舎となり、1945年から1992年までは、ドイツに駐留していたソ連軍の宿舎となった。\n (credit:John Macdougall, AFP / Getty Images)
1936年 ベルリンオリンピック(02 of10)
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式典やショーなどが行われた、西ベルリン、エルスタルにある円形競技場「ヒンデンブルクハウス」。 (credit:John Macdougall, AFP / Getty Images)
1936年 ベルリンオリンピック(03 of10)
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スイミングプール。 (credit:Flickr)
1936年 ベルリンオリンピック(04 of10)
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体操練習場。 (credit:Flickr)
1972年ミュンヘンオリンピック(05 of10)
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オリンピック公園近くにある、放棄された鉄道の駅。 (credit:WikiMedia)
1984年にユーゴスラビア(現在はボスニア・ヘルツェゴビナ)のサラエボ(06 of10)
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1984年にユーゴスラビア(現在はボスニア・ヘルツェゴビナ)のサラエボで開催された「サラエボオリンピック」。放置されたままのボブスレーの競技コース。[ユーゴスラビアでは、オリンピック後の1991年から2000年まで紛争が起こり、国家が分裂した] (credit:Flickr)
1984年 サラエボオリンピック(07 of10)
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ボブスレーコース。 (credit:Flickr )
2004年 アテネオリンピック(08 of10)
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2004年のアテネオリンピック。アテネのヘレニコン地区にある「オリンピックスポーツコンプレックス」。空っぽの観客席の下には、使用されていないカヌー競技用のスラロームコースが広がっている。 (credit:Getty Images)
2004年 アテネオリンピック(09 of10)
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2004年のアテネオリンピック、野球場。 (credit:Getty Images)
2004 Olympics in Athens(10 of10)
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Murky water and rubbish fill an abandoned training pool for athletes at the Olympic village on the northern fringes of Athens. After the Athens 2004 Games, the village was used as a worker housing project. (AP Photo/Thanassis Stavrakis) (credit:AP)