『阿部定事件』とは? 「サヨナラ、きりたんぽ」テレ朝ドラマに秋田県が抗議⇒タイトル変更へ

ドラマのタイトル紛争の元となった「阿部定事件」とは、どんな事件?
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テレビ朝日が、4月から放映を予定していた連続ドラマ「サヨナラ、きりたんぽ」のタイトルを、秋田県からの抗議を受けて変更することを決めた。

NHKによると、同社のホームページで紹介したドラマのストーリーの中で、戦前に起きた女が恋人を殺害し、相手の男性器を切り取った「阿部定(あべさだ)事件」を想起させる記述があった。

このため、秋田県から「特産品きりたんぽが不適切に扱われている」と、抗議があったことが理由だ。

そもそも、ドラマのタイトル紛争の元となった「阿部定事件」とは、どのような事件なのだろうか。

■昭和の猟奇的怪事件「阿部定事件」とは

阿部定事件が起きたのは、戦前の1936年5月18日にさかのぼる。阿部定は、交際相手の男性と一緒に東京荒川区の待合茶屋に宿泊。数日間過ごした後、ひもで首を締めて殺した。

男性のひざに「定・吉二人」と血文字を残されており、男性器を切り取って逃走したことから、「猟奇的な怪事件」として、大きく報道された。阿部定は逮捕された際、紙に包んだ男性器を所持していた。

殺害された男性は、小料理屋の店主で、阿部定はこの店に住み込みで働いていた。男性には妻がいたが、2人は関係を持つようになった。関係を続けるうちに、男性を独り占めしたいという思いが強くなり、殺害を決意したという。

阿部定の供述内容を、1936年5月21日付の東京朝日新聞(現朝日新聞)がこのように報じている。

石田には立派な妻があり如何に石田を愛してもこのまゝでは一ケ月中半月位しか石田に会ふことが出来ない。これでは命をかけてまで石田を慕っているのに堪えられない苦痛である。寧ろすべてを捧げて石田を愛している現在石田を殺して自分も死ぬことが一番よいと考え、石田殺害を決意したのです。もっとも石田を愛していたのは妾であるのに葬式に立ち会えないのは誠に残念です。それで妾は愛する男の体の一部を切取ったのです。(1936年5月21日付東京朝日新聞朝刊より)

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事件は、右翼青年将によるクーデター「二・二六事件」の数ヶ月後に起きており、社会の不安を吹き飛ばすための格好の話題として世間の注目を集め、マスコミも大々的に報じた。

■関連画像集「あさま山荘事件(1972年2月)」

あさま山荘事件(1972年2月)
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連合赤軍浅間山荘事件、連合赤軍のメンバーが立てこもる山荘に突入をこころみる機動隊(長野県軽井沢町) \n\n撮影日:1972年02月 (credit:時事通信社)
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長野県軽井沢で連合赤軍メンバーが河合楽器浅間山荘の管理人の妻を人質に同山荘にろう城。写真は浅間山荘(長野県) \n\n撮影日:1972年02月 (credit:時事通信社)
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連合赤軍メンバーが人質を取って立てこもった「浅間山荘」を取り囲む機動隊員(長野県軽井沢) \n\n撮影日:1972年02月 (credit:時事通信社)
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長野県軽井沢で連合赤軍メンバーが河合楽器浅間山荘の管理人の妻を人質に同山荘にろう城。写真は浅間山荘(長野県) \n\n撮影日:1972年02月 (credit:時事通信社)
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長野県軽井沢で連合赤軍メンバーが河合楽器浅間山荘の管理人の妻を人質に同山荘にろう城。北側に雪を積んで寒さをしのぐ機動隊(長野県) \n\n撮影日:1972年02月 (credit:時事通信社)
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長野県軽井沢で連合赤軍メンバーが河合楽器浅間山荘の管理人の妻を人質に同山荘にろう城。山荘の窓から銃を向ける(長野県) \n\n撮影日:1972年02月 (credit:時事通信社)
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長野県軽井沢で連合赤軍メンバーが河合楽器浅間山荘の管理人の妻を人質にろう城した同山荘。ベランダに犯人の顔がみえる(長野県) \n\n撮影日:1972年02月 (credit:時事通信社)
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長野県軽井沢で連合赤軍メンバーが河合楽器浅間山荘の管理人の妻を人質に同山荘にろう城。山荘の窓から銃を向ける(長野県) \n\n撮影日:1972年02月00日 (credit:時事通信社)
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連合赤軍浅間山荘事件、銃弾を防ぐ土のうを積む機動隊員(長野県軽井沢町) \n\n撮影日:1972年02月 (credit:時事通信社)
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連合赤軍メンバーが人質を取って立てこもる「浅間山荘」の玄関前に土のうを築き、ガス弾攻撃をする機動隊員(長野県軽井沢町) \n\n撮影日:1972年02月 (credit:時事通信社)
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連合赤軍のメンバーが立てこもる、浅間山荘に突入を試みる機動隊(長野県軽井沢町) \n\n撮影日:1972年02月 (credit:時事通信社)
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長野県軽井沢で連合赤軍メンバーが河合楽器浅間山荘の管理人の妻を人質に同山荘にろう城。最後の攻撃(正面左より)(長野県) \n\n撮影日:1972年02月 (credit:時事通信社)
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長野県軽井沢で連合赤軍メンバーが河合楽器浅間山荘の管理人の妻を人質に同山荘にろう城。最後の攻撃(正面右より)(長野県) \n\n撮影日:1972年02月 (credit:時事通信社)
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長野県軽井沢で連合赤軍メンバーが河合楽器浅間山荘の管理人の妻を人質に同山荘にろう城。最後の攻撃(正面左より)(長野県) \n\n撮影日:1972年02月 (credit:時事通信社)
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長野県軽井沢で連合赤軍メンバーが河合楽器浅間山荘の管理人の妻を人質に同山荘にろう城。救護隊員も危険を冒して前へ(長野県) \n\n撮影日:1972年02月 (credit:時事通信社)
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長野県軽井沢で連合赤軍メンバーが河合楽器浅間山荘の管理人の妻を人質に同山荘にろう城。最後の攻撃(正面左より)(長野県) \n\n撮影日:1972年02月 (credit:時事通信社)
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長野県軽井沢で連合赤軍メンバーが河合楽器浅間山荘の管理人の妻を人質に同山荘にろう城。警視庁の機動隊が裏より進入に成功。「9機」と書かれた警視庁の第九機動隊旗がはためく(長野県) \n\n撮影日:1972年02月 (credit:時事通信社)
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連合赤軍メンバーが人質を取って立てこもる「浅間山荘」を包囲する機動隊員(長野県軽井沢町) \n\n撮影日:1972年02月 (credit:時事通信社)
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連合赤軍浅間山荘事件、山荘への電源ケーブルを切断する電力会社の職員(長野県軽井沢町) \n\n撮影日:1972年02月 (credit:時事通信社)
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連合赤軍浅間山荘事件、メンバーが立てこもっていた山荘の内部(長野県軽井沢町) \n\n撮影日:1972年02月 (credit:時事通信社)
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長野県軽井沢で連合赤軍メンバーが河合楽器浅間山荘の管理人の妻を人質に同山荘にろう城。警官隊が突入、人質解放、犯人逮捕。写真は山荘3階、いちょうの間のベッド(長野県) \n\n撮影日:1972年02月 (credit:時事通信社)
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野県軽井沢で連合赤軍メンバーが河合楽器浅間山荘の管理人の妻を人質に同山荘にろう城。ずらりと並んだカメラの放列(長野県) \n\n撮影日:1972年02月 (credit:時事通信社)
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長野県軽井沢で連合赤軍メンバーが河合楽器浅間山荘の管理人の妻を人質に同山荘にろう城。。報道関係も天幕を張り、長期戦に備える(長野県) \n\n撮影日:1972年02月 (credit:時事通信社)
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長野県軽井沢で連合赤軍メンバーが河合楽器浅間山荘の管理人の妻を人質に同山荘にろう城。報道関係もテントを張り長期戦に備える(長野県) \n\n撮影日:1972年02月 (credit:時事通信社)
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連合赤軍浅間山荘事件(長野県軽井沢町) \n\n撮影日:1972年02月 (credit:時事通信社)


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