地下鉄サリン事件、緊迫の交信記録 警視庁が初公開

死者13人、負傷者6000人超の被害を出した地下鉄サリン事件で、警視庁は14日、発生直後に現場の警察官らとやりとりした無線交信の音声記録を報道陣に公開した。
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死者13人、負傷者6000人超の被害を出したオウム真理教による地下鉄サリン事件で、警視庁は1月14日、発生直後に現場の警察官らとやりとりした無線交信の音声記録を報道陣に公開した。情報が交錯し、原因が特定できない中、被害が次々と判明する様子が73分間記録されている。3月20日で発生から20年になる。

テープに収められていたのは、警視庁通信指令本部と現場の警察官らの交信記録で、1995年3月20日午前8時21分から始まる。「日比谷線の八丁堀駅、病人2名、気持ちが悪くなった者2名がいるそうです」「詳細は判然としません」。直後には、同線茅場町駅でも異臭による病人が4人出たとの通報が入るが、差し迫った様子はまだない。しかし、情報は入り乱れながら、事態は緊迫の度合いを増していく。

「詳細不明なるも、電車内にシンナーあるいはガソリンの臭いがし、病人が発生しているもよう」「車内に煙が充満」。息を切らした警察官の声からも緊急事態であることが伝わる。

時事ドットコム:緊迫の警察無線を初公開=地下鉄サリン発生直後-1本のテープに73分・警視庁 2015/01/14 22:55)

通信指令本部からは、「爆発物を使用したゲリラ事件が発生した」などと誤った見立てが現場に伝えられるなど混乱した場面も記録されていた

事件の1報からおよそ20分後の午前8時35分ごろ、目撃者から話を聞いていた警察官から、電車内にあった新聞紙に包まれた液体から激しい異臭がするという重要な情報がもたらされた。

警視庁によると、交信記録の保存期間は通常1年だが、このテープは偶然、通信指令本部の保管庫に残され、2014年に見つかったという。

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防護服を着け、地下鉄霞ケ関駅の構内に入る東京消防庁化学中隊の隊員(1995年3月20日、東京・千代田区) (credit:時事通信社)