猫の日本史:日本最古の飼い猫記録、宇多天皇の「うちの御ねこ」

前回と9世紀初めに成立した『日本霊異記』の狸(ねこ)の話を紹介しました。続いては、時代が少し下り、889(寛平元)年の史料に記された、猫界隈ではすでに有名な、日本最古のツンデレ猫日記として知られる『寛平御記』の黒猫のお話です。
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猫ジャーナル

前々回前回と9世紀初めに成立した『日本霊異記』の狸(ねこ)の話を紹介しました。続いては、時代が少し下り、889(寛平元)年の史料に記された、猫界隈ではすでに有名な、日本最古のツンデレ猫日記として知られる『寛平御記』の黒猫のお話です。

現代語による解説は、現代語訳つきのこちらや、書き下し文のあるこちらが、ネットで閲覧できるものとしては、比較的詳しく参考になります。また、くるねこ大和さんによるこちらの漫画も。原文は淡々とした漢文ですので、参考リンクをご覧いただくと、どんなことが書いてあるのかを知る分には大変にわかりやすいです。猫かわいがりにもほどがある、と評判になるのもうなずけます。

さて、この『寛平御記(宇多天皇御記)』という史料にフォーカスを当てますと、レファレンス協同データベースの解説にあるとおり、『花園天皇宸記』1313(正和二)年十月四日条の記述から、当時は十巻が伝存していたと見られますが、現在では残っていません。先の猫記述も含め、約50の条が他の書物等に引用されて伝わっているのみです。ここまではネット検索で分かる範囲ですが、そうなると気に掛かるのは「この猫消息はどこで引用されて伝わったのか?」という点です。

Wikipediaに刊本として紹介されていた、所功氏による『三成御記逸文集成』を見ますと、以下のように原文は記されています(PCにて表記できない異体字は、表記できるものへ変更しました)。

二月(編者註:十二月)

六日。朕閑時述猫消息曰。驪猫一隻。太宰少貳源精秩滿來朝所献於先帝(編者註:光孝)。愛其毛色之不類。餘猫猫皆淺黑色也。此獨深黑如墨。爲其形容惡似韓盧。長尺有五寸高六寸許。其屈也。小如秬粒。其伸也。長如張弓。眼精晶熒如針芒之亂眩。耳鋒直竪如匙上之不搖。其伏臥時。團圓不見足尾。宛如堀中之玄璧。其行步時。寂寞不聞音聲。恰如雲上黑龍。性好道行暗合五禽。常低頭尾著地。而曲聳背脊高二尺許。毛色悅澤盖由是乎。亦能捕夜鼠捷於他猫。先帝愛翫數日之後賜之于朕。朕撫養五年于今。毎旦給之以乳粥。豈啻取材能翹捷。誠因先帝所賜。雖微物殊有情於懐育耳。仍曰。汝含陰陽之氣備支竅之形。心有必寧知我乎。猫乃歎息舉首仰睨吾顔。似咽心盈臆口不能言。〈○河海抄若菜上〉

(所功編『三成御記逸文集成』国書刊行会 1982年、P9より)

割り書きにあるとおり、あの有名な猫日記は『河海抄』にて引用され、今日まで残ったものでした。

河海抄』とは、源氏物語の注釈書の一つで、当時の将軍・足利義詮の命により和学者の四辻善成が記した書物です。成立は室町時代初期の、貞治年間(1362‐68)とされています。本居宣長が『源氏物語玉の小櫛』で、「注釈は、河海抄ぞ第一の物なる」と賞する、平安末期の源氏講釈の集大成と言われるものです。

『三成御記逸文集成』に所収の論考「三代御記の伝来過程」では、『河海抄』に御記が引用された理由を、以下のように推察しています。

『河海抄』は、左大臣四辻(源)善成(応永九年薨、七十七歳)の撰で、応永元年(1394)に完成している。善成は順徳天皇の曽孫で、本書に三代御記を数十条引いているのも、その写本か部類記が身近かにあったからではないかと思われる。勿論、先行の『源氏物語』注釈書等にみえる御記をそのまゝ引いている部分も少なくないであろうが、決してそれだけではあるまい。

(所功編『三成御記逸文集成』国書刊行会 1982年、P294より)

その『河海抄』の写本は、早稲田大学図書館の「古典籍総合データベース」で3種類が公開され、画像で写本の原本も閲覧できます。江戸初期の写本の、猫日記該当部分はこちらのページの「21」の画像室町後期の写本での、該当部分はこちらのページの「89」と「90」の画像(かなり短縮された引用)書写年不明の写本における該当部分はこちらのページの「29」と「30」の画像で確認できます。写本を見れば分かるとおり、上記の割り書きで「若菜上」とあったのは「若菜下」の誤記ですね。加えて、『三成御記逸文集成』で「二月(編者註:十二月)」と註が入った部分も、写本を見ると「十二月」とありますので、これも「十二月」が正しいと分かります。こうやって手軽に原典を参照できるのは、ネットのいいところですね。本当に。一枚一枚撮影された方には、頭が下がる思いであります。

さて本題に戻りますと、『河海抄』では、『源氏物語』若菜下の、どの語の註釈として、この宇多天皇の猫日記が引用されたのかというと...

うちの御祢古

「若菜下」の冒頭に登場する、猫の話でした。

「うち」は、漢字で記せば「内裏」、すなわち「内裏の御猫」。内裏とは天皇の居住場所ですから、天皇の側にいた猫、ということになります。内裏の猫の話を、源氏物語に見た四辻善成は、「そういえば、こんな日記があったな...」と思い出したのでしょう。そのおかげで、現代の我々の目に留まることになったわけです。もしかしたら善成も、宇多天皇が猫を愛でる気持ちに相通じる気持ちを、猫に対して抱いていたのでしょうか。そうだとしたら、猫を愛でる気持ちは時代を超えますね。

現代にも伝わる宇多天皇の猫日記は、『河海抄』の記された当時でも、「うちの御ねこ」、つまり飼い猫の消息を記した先駆だったと考えられます。にほんブログ村の猫カテゴリーだけをとっても、現在2万を超える猫ブログがありますが、そのルーツと言っても過言ではないのかもしれません。

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(2014年9月29日「猫ジャーナル」より転載)