「ケネディ暗殺」と「カストロ暗殺計画」の点と線:CIA機密文書

世間はその結論に、今に至るも納得していない。いくつもの陰謀説が出る度に注目された。
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1963年11月22日、テキサス州ダラスで暗殺されたケネディ米大統領。事件直後、米中央情報局(CIA)が疑ったのは「外国の陰謀」、恐らく「米国を不安定化させる共産主義者の工作」の可能性だった。特にソ連による陰謀の疑いがあるとして、ソ連情報工作員らの「動向を監視するよう」世界中のCIA支局などに指示を出していたことが公開された機密文書から分かった。

しかし暗殺事件直後、フルシチョフ・ソ連共産党第1書記の所在をCIAは突き止められず、第1書記は「米国の報復を恐れて身を隠したか、対米攻撃準備か」と、24~48時間にわたって「緊張が高まった」という。

この文書は、「ジョン・マッコーンCIA長官とケネディ大統領暗殺」と題するデービッド・ロバージCIA歴史室長作のレポート。暗殺50周年を機に、CIA部内誌「情報研究」2013年9月号に掲載され、1年後の翌2014年9月に機密解除されていた。ケネディ暗殺後、CIAがどう対応したかを包括的に記した、初の内部報告である。

事件後、特に単独犯とされたリー・ハーベイ・オズワルドが警察署内を移動中暗殺された後、米国では「暗殺陰謀論」が噴出。2013年当時の世論調査でも、米国民の71%がなお「陰謀」を信じる状況が続いている。

実は、「ソ連陰謀説」の裏では、当時CIAが公表できない、機密度が高い「秘密工作」が進行中だった。キューバのカストロ首相暗殺計画である。

オズワルドは高飛びの計画?

後のCIA長官で、当時工作担当次官(DDP)だったリチャード・ヘルムズ氏はすべてのCIA海外支局に対して「特に軍事的な性格の動きを予測すべき理由はないが、次期大統領が事態を掌握する間、少なくとも向こう数日は早期警戒態勢を取るよう」指示する電報を打電。マッコーン長官は、オズワルドに関連するあらゆる通信の収集、暗殺時の画像分析を指示した。

DDP指揮下のソ連・ロシア部門(SR)長、デービッド・マーフィー氏は暗殺の翌日、「米国の内部対立を激化させて、米国の対ソ対応能力を削ぐ陰謀の役割を、知ってか知らずかオズワルドが果たした」と指摘した。

その日には、CIAメキシコ市支局から、オズワルドが在メキシコ・ソ連大使館でソ連国家保安委員会(KGB)工作員と会っていたとの報告も寄せられた。この工作員はバレリー・コスティコフで、暗殺や破壊工作を担当するKGB第13総局に所属していた可能性があった。CIAが盗聴したとみられる電話会話録によると、オズワルドがソ連への入国査証(ビザ)を要請しており、ケネディ暗殺後直ちに逃亡するための書類申請中だった可能性がある。

このように、CIAの一部幹部の間ではKGB関与の可能性を調査していたのである。

報復でケネディ暗殺?

マッコーン長官が大統領暗殺の第一報を聞いて訪ねたのは、大統領の実弟、ロバート・ケネディ司法長官の自宅だった。2人は庭の芝生の上を歩きながら密談したが、個人的にも関係が深かった両者の会談メモなどは残されていない。その後、マッコーン長官は、オズワルドやソ連、キューバ絡みの情報をジョンソン次期大統領と司法長官に伝えた。

マッコーン長官は対カストロ秘密工作との絡みについてもケネディ司法長官に報告した、とレポートは指摘している。実は、CIAが進めていたカストロ暗殺の秘密工作はケネディ長官が監督する立場にあった。

2人の会話が「ケネディ大統領がカストロを殺そうとしたから、カストロは大統領を殺したのか?」といった話に発展した可能性をレポートは示唆している。

ケネディ大統領暗殺事件を調査した「ウォーレン委員会」所属の弁護士によると、マッコーン長官は「ケネディ長官がカストロ暗殺計画とケネディ大統領暗殺事件の間に何らかの関係があると考えた可能性は十分ある」と語っていたという。また「ケネディ長官は自分が直接・間接に反カストロ計画に関わったため、(兄が殺されたと)個人的に罪の意識を持っていた」との感想も漏らした。

デマに扇動されて米ソ戦争に?

マッコーン長官は国防総省高官との協議で、オズワルドが単独犯でなければ、共犯には2つの可能性がある、と指摘。「カストロはこれまで恐ろしく乱暴なことを話しており、(事件は)彼の能力の範囲内だ。しかしフルシチョフはノー。彼は完全にKGBを掌握しているのか分からない」と語ったという。

しかし、ヘルムズ次官はいずれかの説が確かだとしても「われわれは厄介な状況に陥る。報復がどうなるかだ。驚愕した米国民は何らかの過激なことをする可能性が......」と考えていた。

急きょ大統領の座に就いたジョンソンも、まさにそのことを懸念していた。ジョンソンは、議会調査などでオズワルドのソ連、キューバとの関係に脚光が当たり、国民がデマで扇動される可能性を恐れた。「フルシチョフやカストロがああした、こうしたとの証言が出て、戦争に至れば、1時間で4000万人の米国民が殺される」と新大統領は発言したという。

こうした発言を受けて、暗殺事件を調査するウォーレン委員会の設置が決まった。大統領が著名な有識者から委員を任命する、このような委員会だと、「扇動的な論議を封じる可能性がある、と大統領は計算した」というのだ。計算通り、ウォーレン委員会の結論はオズワルド単独犯行説でまとまった。

「2017年の真実」に期待も

しかし、世間はその結論に、今に至るも納得していない。いくつもの陰謀説が出る度に注目された。中でも、ニューオーリンズの地方検事であるジム・ギャリソンの捜査をベースにしたオリバー・ストーン監督の『JFK』は、話題になり、第64回アカデミー賞で撮影賞と編集賞を受賞した。

振り返って見ると、CIA陰謀説から、マフィア犯行説、ジョンソン次期大統領犯人説まであった。しかし、CIAが当初疑ったソ連ないしはキューバ陰謀説は本格的に調査もされないまま終わっている。ウォーレン委員会の調査がその方向に行かないよう、マッコーン長官や委員の1人だったアレン・ダレス前CIA長官が動いていた。

彼らがソ連・キューバ陰謀説の調査を嫌った大きな理由は、当時もまだ進行中だったカストロ暗殺計画が結果的にばれることを恐れていたからだった。ウォーレン委員会は1964年9月報告書を大統領に提出して終了した。

上院情報関係政府活動調査特別委員会(チャーチ委員会)が、CIAが1960年から1965年にかけて8件のカストロ暗殺未遂事件を企図していたと発表したのは、約10年後のことだった。

日本で最も読まれたケネディ暗殺の本はCIA陰謀説をとる落合信彦著『2039年の真実』 (集英社文庫)だった。ウォーレン委員会から75年後に関係文書が解禁されることをタイトルにしているが、現実には関係文書のほとんどは1992年の「JFK暗殺記録収集法」を受けて既に公開されている。ただ、当時非公開とされた一部文書が2017年に公開される予定になっている。「カストロ暗殺計画」と「ケネディ暗殺」を結び付けるファクトが公開される可能性はあるのか。「2017年の真実」発表が待たれる。

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1963年11月22日、ケネディ米大統領を狙撃した容疑で逮捕されたオズワルド容疑者が銃撃される瞬間。

春名幹男

1946年京都市生れ。大阪外国語大学(現大阪大学)ドイツ語学科卒業。共同通信社に入社し、大阪社会部、本社外信部、ニューヨーク支局、ワシントン支局を経て93年ワシントン支局長。2004年特別編集委員。07年退社。名古屋大学大学院教授を経て、現在、早稲田大学客員教授。95年ボーン・上田記念国際記者賞、04年日本記者クラブ賞受賞。著書に『核地政学入門』(日刊工業新聞社)、『ヒバクシャ・イン・USA』(岩波新書)、『スクリュー音が消えた』(新潮社)、『秘密のファイル』(新潮文庫)、『スパイはなんでも知っている』(新潮社)などがある。

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(2015年12月16日フォーサイトより転載)