デヴィッド・ボウイの魅せられし変容 ジギー・スターダスト、そして★になるまで(画像集)

輝かしいキャリアを通じ、彼が創造した最も象徴的なキャラクターとペルソナのベスト10。
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David Bowie (1947 - 2016) performs on stage on his Ziggy Stardust/Aladdin Sane tour in London, 1973. (Photo by Michael Putland/Getty Images)
Michael Putland via Getty Images

レディー・ガガ、カニエ・ウェスト、マドンナのようなスターたちが、アルバムを発表するたびごとに自分自身を再び創造し、変貌を遂げることで知られるようになるずっと前に……デヴィッド・ボウイは存在していた。

自分のキャリアを通じて、この伝説的なロックシンガーは、自分を様々な容姿につくり変え、ポップカルチャー史に象徴的なイメージを遺し続けてきた。

きらびやかで工夫を凝らし、風変わりで中性的な1970年代前半の容姿は、誰もが記憶するところだ。もっとも、この姿はわずか数年後に、タイトで、きめ細やかな服を身にまとうシン・ホワイト・デュークへと変わっていったが。

輝かしいキャリアを通じ、彼が創造した最も象徴的なキャラクターとペルソナのベスト10を振り返り、デヴィッド・ボウイを改めて追悼してみよう。

デヴィッド・ボウイの魅せられし変容
1.「マイム時代の」ボウイ(01 of10)
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デヴィッド・ボウイのキャリアの初期の容姿は、全盛期の独創的な容姿に比べて、アバンギャルドでも、風変わりでもなく、ごく普通だったと思われがちだが、1960年代後半は、歌うパントマイマーだった。\n\n\nこの時期はバックバンドを持たず、ヒット曲もなかったので、所属レーベルは彼をクビにしようとしていたという。\n\n『スペイス・オディティ』というヒット曲がこうした状況全てを変えた時、ボウイ自身が驚いたことだろう。\n (credit:Ray Stevenson/Rex Shutterstock)
2. 『世界を売った男』のボウイ(02 of10)
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サードアルバム『世界を売った男』でボウイは長い間一緒にやってきたギタリストのミック・ロンソンと共に、よりロック色を強めたサウンドづくりをするようになり、音楽シーンでさらに大きな役割を担うようになった。\n\n彼の姿にも変化が見られる。ヘアスタイルをシャギーにして、凝ったスタイルをしている。ファッションの象徴・革新者となる運命だったボウイのエネルギーが初めて表れている。 (credit:Ray Stevenson/REX Shutterstock)
3.ジギー・スターダスト(03 of10)
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わずか2年後、自分自身を再び創造し、最新のキャラクターに変貌を遂げた。\n\n自分のバンド、スパイダーズ・フロム・マースを従え、ボウイはアルバム『ジギー・スターダスト』のストーリーに登場するロックスターとして知られるようになった。\n\nこのアルバムには、『サフラジェット・シティ』『スターマン』、そしてタイトル曲『ジギー・スターダスト』といったボウイの代表曲を含まれる。しかし、ツアー最終日の1973年7月3日、ハマースミス・オデオンのステージ上でボウイはこのキャラクターを葬り去った。『ロックン・ロールの自殺者』の演奏とともに、このバンドは解散した。\n (credit:Roger Bamber/REX Shutterstock)
4.「アラジン・セイン」(04 of10)
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ボウイの次のアルバム『アラジン・セイン』では、さらに凝った容姿となる。このアルバムジャケットのために、ボウイが新たなキャラクターに変貌しているのがわかる。\n\nアルバム『アラジン・セイン』のカバーは、デヴィッド・ボウイの伝説的なキャリアの中でも、最も象徴的なイメージの一つであることは間違いない。このアルバムのコンセプトは、ジギー・スターダストがアメリカに行くというものだった。\n
5.「ヤング・アメリカンズ」時代(05 of10)
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そしてそれから...何かが切り替わった。\n\n中性的な容姿、風変わりなヘアとメーキャップ、凝ったコスチュームは姿を消した。その代わりにカジュアルなスーツとなり、アルバム『ヤング・アメリカンズ』では 「プラスチック・ソウル」とボウイが形容した雰囲気へと変わっている。\n (credit:Rex Shutterstock)
6.シン・ホワイト・デューク(06 of10)
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自分が容易に予測できる人間ではないことを証明するためにボウイは、アルバム『ステイション・トゥ・ステイション』でイメージを一から作り直した。\n\nシン・ホワイト・デュークは、ボウイがつくったもう一つの象徴的なキャラクターだった。今回はミュージカル『キャバレー』に影響を受けた、オールバックのブロンドヘアー、シャープなスーツで有名だ。ファンは自分のアイドルが自分自身を再びつくり上げるを見るの楽しんでいたが、ボウイは後にこの期間を「暗黒時代だった」と語っていた。この時期、ボウイはコカイン中毒の真っ只中であったことを認め、デュークを「オーガ」(人食い鬼)と表現していた。 (credit:Ron Galella via Getty Images)
7.『レッツ・ダンス』時代(07 of10)
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『ロウ』『英雄夢語り(ヒーローズ)』『ロジャー(間借人)』の「ベルリン三部作」と映画『地球に落ちて来た男』でアバンギャルドなイメージを体現した時は、もう少し年上で、おそらくもう少し聡明なイメージであった。デヴィッド・ボウイが人々に本当にショックを与えるためにできる唯一つのことは、自分自身を再び創造することのようだったが、今回は、コマーシャルなポップスターとなることだった。\n\nナイル・ロジャースのプロデュースによる『レッツ・ダンス』の時代は、ボウイの当時のファンにとって納得できるものではなかった。ファンは恐らくボウイに、「コマーシャル」ではないものを望んでいたのだろう。しかしこれは、彼の代表曲の一つとなった。 (credit:Ilpo Musto/REX Shutterstock)
8.魔王ジャレス(08 of10)
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映画『スター・ウォーズ』のジョージ・ルーカスと、『マペット』のジム・ヘンソンがコラボした映画『ラビリンス/魔王の迷宮』に出演した時、ボウイは若い新世代の人々にも知られる存在となった。\n\n魔王ジャレスとして演じることに加えて、彼はキャッチーな『マジックダンス』や、さらに芝居がかった『As The World Falls Down』といった映画音楽も手がけた。\n (credit:Rex Shutterstock)
9. 90年代のボウイ(09 of10)
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1990年代のボウイはまだミュージシャンとして大衆の憧れの的として成功を享受していた。しかし忠実なファン層は数十年間支持し続けているが、彼はもはやヒットを生み出したり、チャートのトップになったりするように追い詰められてはいなかった。このおかげで、実験的なサウンドや外見に挑戦できた。この時代の写真がそれを証明している。 (credit:Pat Pope/REX Shutterstock)
10.バック・イン・ザ・ゲーム(仕事に戻る)(10 of10)
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2013年1月8日、突如ボウイ66歳の誕生日に27枚目(バンド「ティン・マシーン」時代を含め)のアルバム『ザ・ネクスト・デイ 』のリリースを発表し、10年ぶりにミュージックシーンへの復活を果たした。シングル『「ホエア・アー・ウィ・ナウ?」』がイギリスでベスト10入りし、アルバムもトップになり、イギリスの音楽シーンには、今でも彼の席が空けられていることを証明した。\n\nボウイは2016年1月8日、『★(ブラックスター)』を発表した。このアルバムは、彼が69歳の誕生日、がんで死亡するわずか2日前に発表された。 (credit:Billy Farrell/BFAnyc.com/REX Shutterstock)

ハフィントンポストUS版より翻訳・加筆しました。

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