稲葉篤紀、引退表明 プロ野球20年目で「後悔はまったくない」

日本ハムの稲葉篤紀内野手(42)は9月2日、プロ野球20年目の今季限りでの現役引退を表明した。札幌ドームで行われた記者会見では「体力的にも思うようにできなくなった」と理由を語った。侍ジャパンの精神的支柱として活躍し、2000本安打も達成したスラッガーが球場に別れを告げる。
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時事通信社

日本ハムの稲葉篤紀内野手(42)は9月2日、プロ野球20年目の今季限りでの現役引退を表明した。札幌ドームで行われた記者会見では「体力的にも思うようにできなくなった」と理由を語った。侍ジャパンの精神的支柱として活躍し、2000本安打も達成したスラッガーが球場に別れを告げる。スポニチなどが報じた。

今季は4月に左膝関節軟骨損傷のクリーニング手術を行い、7月に戦線復帰したが、ここまで23試合の出場にとどまっていた。稲葉は会見で、「進退を懸けて頑張ろうと自主トレから始めたが、膝が良くならなくて体力的にも思うようにできなくなった」「自分の打撃ができなくなってきたところから決意した」と引退を決断した理由を告白。後悔は「まったくないです」とし、「ここまでは目いっぱい努力してきたつもり。最後の最後まで出し切って終わりたい」と完全燃焼を誓った。

(スポニチ『稲葉 引退表明「自分の打撃できなくなった 悔いはまったくない」』 より 2014/09/02 12:31)

稲葉は愛知・中京高(現中京大中京高)から法大を経て、1994年のドラフト3位でヤクルトに入団。2005年に日本ハムに移籍し、2006年には日本シリーズのMVPに選ばれ、2007年には首位打者と最多安打のタイトルを獲得した。2012年には通算2000本安打を達成した。2008年の北京五輪、2009年、2013年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)では日本代表として出場した

1980年代のホームランバッター写真集
プロ野球日本シリーズ第2戦・西武-阪神/バースの逆転2ラン(01 of22)
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1985年10月27日、プロ野球日本シリーズ第2戦・西武-阪神、4回表1死一塁。西武の高橋直樹投手(手前)から左越えに逆転の2点本塁打を放ち、2試合連続の決勝打を挙げる阪神のランディ・バース(左奥)=埼玉・西武球場 (credit:時事通信社)
掛布雅之(02 of22)
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1985年7月13日、 プロ野球・巨人-阪神15回戦、阪神の掛布雅之が右へ20号2点本塁打を放つ(東京・後楽園) (credit:時事通信社)
プロ野球・原辰徳が巨人入団(03 of22)
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1980年12月20日、巨人のユニホームを着て正力亨オーナー(左)、藤田元司監督(右)と握手する原辰徳選手(東京・読売新聞社) (credit:時事通信社)
プロ野球日本シリーズ第6戦・西武-阪神/日本シリーズMVPのバース(04 of22)
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1985年11月2日、プロ野球日本シリーズ第6戦・西武-阪神、最高殊勲選手(MVP)に輝き、副賞の車とキーを手に喜ぶ阪神のランディ・バース選手(西武) (credit:時事通信社)
プロ野球オープン戦・阪神-巨人/掛布の守備(05 of22)
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1981年3月22日、プロ野球オープン戦・阪神-巨人、巨人・原辰徳のゴロをさばく阪神の掛布雅之内野手(右)=甲子園 (credit:時事通信社)
プロ野球・中日-巨人/クロマティの本塁打(06 of22)
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1989年8月13日、プロ野球・中日-巨人、4回表無死、右越えに先制の本塁打を放つ巨人のウォーレン・クロマティ=ナゴヤ球場 (credit:時事通信社)
岡田彰布(07 of22)
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1985年09月16日、プロ野球・阪神-中日23回戦、九回裏阪神二死満塁、サヨナラ安打を放ち並木コーチ(右)と喜ぶ阪神の岡田彰布(甲子園) (credit:時事通信社)
プロ野球・田尾安志(08 of22)
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1983年5月8日、中日・田尾安志のバッティング(後楽園) (credit:時事通信社)
プロ野球日本シリーズ第3戦・西武-中日/宇野の2ラン(09 of22)
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1988年10月25日、プロ野球日本シリーズ第3戦・西武-中日、7回表1死ニ塁、右にシリーズ1号2点本塁打を放つ中日の宇野勝=西武球場 (credit:時事通信社)
モッカ(10 of22)
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1983年8月17日、サヨナラ安打のモッカ(右から2人目)を迎える黒江透修(中央)(愛知県名古屋市) (credit:時事通信社)
プロ野球・落合と握手する山本監督(11 of22)
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1982年10月9日、三冠王確定のロッテの落合博満(右)と握手する山本一義監督(神奈川・川崎球場) (credit:時事通信社)
プロ野球・山本浩二(12 of22)
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1984年、天福キャンプでバッティングの練習をする広島カープの山本浩二外野手 (credit:時事通信社)
プロ野球日本シリーズ第7戦・広島-阪急/優勝の広島(13 of22)
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1984年10月22日、プロ野球日本シリーズ第7戦・広島-阪急、4年ぶり3度目の日本一に輝き、古葉竹識監督(背番号72)、衣笠祥雄(背番号3)らを先頭に、チャンピオンフラッグを手に場内を一周する広島ナイン=広島市民球場 (credit:時事通信社)
プロ野球・巨人-ヤクルト/杉浦のバッティング(14 of22)
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1985年5月6日、プロ野球・巨人-ヤクルト、ヤクルトの杉浦享(東京・後楽園球場) (credit:時事通信社)
プロ野球・ヤクルト-巨人/八重樫の守備(15 of22)
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1987年04月14日、プロ野球・ヤクルト-巨人、本塁を突く巨人の篠塚利夫(右)をタッチアウトにするヤクルトの八重樫幸雄捕手=神宮球場 (credit:時事通信社)
ブーマー(16 of22)
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1984年9月3日、プロ野球・日本ハム-阪急、阪急のブーマー・ウェルズ(東京・後楽園) (credit:時事通信社)
ブーマー(17 of22)
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1984年07月22日、プロ野球・オールスター、2安打3打点と活躍し、初出場でMVPを受賞した全パのブーマー・ウェルズ(阪急)(甲子園) (credit:時事通信社)
プロ野球・西武-日本ハム/柏原の20号ソロ(18 of22)
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1982年08月31日、プロ野球・西武-日本ハム、20号ソロ本塁打を放つ日本ハムの柏原純一(西武球場) (credit:時事通信社)
プロ野球・西武-南海/門田の2ラン(19 of22)
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1983年10月5日、プロ野球・西武-南海、6回、37号2点本塁打を放つ南海の門田博光=西武球場\n (credit:時事通信社)
プロ野球・西武-日本ハム/工藤と田淵(20 of22)
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1982年8月31日、プロ野球・西武-日本ハム、プロ入り初勝利を挙げた工藤公康投手(左)を祝福する西武の田淵幸一。6回に田淵が放った21号3点本塁打が決勝打となった=西武球場 (credit:時事通信社)
清原和博(21 of22)
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1985年12月12日、真新しい西武の帽子とユニホームを着て、森昌彦監督(左)から祝福されるドラフト1位指名で西武に入団が決定したPL学園の清原和博選手=東京都豊島区のサンシャインプリンスホテル (credit:時事通信社)
プロ野球日本シリーズ・西武-広島第8戦/バック宙する秋山(22 of22)
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1986年10月27日、プロ野球日本シリーズ・西武-広島第8戦、六回表西武一死一塁、秋山幸二が左に本塁打を放ち、バック宙してホームイン(広島) (credit:時事通信社)
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