逸見政孝さんの故郷最寄り駅、大阪市交通局御堂筋線西田辺

大阪市交通局御堂筋線の西田辺は、逸見政孝さんが生まれ育った町の最寄り駅で、開業から62年たった今も"昭和の雰囲気"が漂う。
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大阪市交通局御堂筋線西田辺。土荷重が少ないため、ホームには柱がない。

大阪市交通局御堂筋線の西田辺は、逸見政孝さんが生まれ育った町の最寄り駅で、開業から62年たった今も"昭和の雰囲気"が漂う。

■西田辺駅

御堂筋線西田辺駅は、昭和町―西田辺間の延伸工事完成に伴い、1952年10月5日に開業した。当時、戦後の資材不足が影響し、限られた予算の中で早期完成を目指していたため、天王寺―西田辺間は道路交差部分を除き、開溝式構造(オープンカット)で建設した。

開業後は掩蓋(えんがい)工事を行ない、1958年11月に完了。その上に府道28号線あびこ筋を建設した。

西田辺駅開業当時の御堂筋線は、3両編成で運転されていたが、乗客の増加により、1957年4月1日から5両編成、1958年5月1日から6両編成、西田辺―あびこ間が延伸開業した1960年7月1日から7両編成にそれぞれ増結された。現在は第3軌条路線最長の10両編成で運転されており、大阪市の大動脈として、大勢の乗客を運んでいる。

■野球少年だった逸見さん

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大阪市阿倍野区阪南町。

改札を出て、地上にあがる。電車の轟音が聞こえたので振り返ると、JR西日本阪和線を走行する関空特急〈はるか〉が悠然と通過した。人気司会者として、一時代を築いた逸見政孝さんの地元は、大阪市阿倍野区阪南町。ここから徒歩10分のところに実家があった。

逸見さんは1945年2月16日、逸見家の長男として生まれた。実家は木造2階建ての五軒長屋で、父(銀行員)、母(缶詰工場の従業員)、祖母、弟(2学年下)の5人暮らしだった。

父の影響で"トラキチ"となった逸見さんの小中学校時代は、野球少年だった。しかし、クラブ活動やリトルリーグには入らず、早朝に登校するとグラウンドで"球場を確保"し、友達と遊んだ。

実家近くの阿倍野高校に進学した逸見さんは、硬式野球部に入部した。「野球イコール遊び」という生徒がいなかったためだ。"本格的な野球をしよう"と志していたが、道具一式などは、すべて自分で買いそろえなければならず、母に頼めなかった。

逸見さんはマネージャーを志願し、監督は入部を認めた。その腕は一流だったようで、監督や選手からの信頼も厚かった。先輩の誘い(「大学野球部でもマネージャーになれる」と太鼓判を押した)もあり、関西学院大学の受験を決意するが失敗した。そのうえ、初恋の女性にもフラれた。

浪人生となった逸見さんは、夏のある日、「東京のテレビ局でアナウンサーになる」と決意(1968年4月、フジテレビにアナウンサーとして入社)。2回目の大学受験は早稲田大学、関西学院大学、同志社大学に挑み、すべて合格した。

逸見さんは前者を選択し、1964年4月に上京した。当時、東海道新幹線はまだ開業しておらず、国鉄特急の3等車で長時間揺られていた。

★備考及び関連記事

・『素敵します 新装開店 いっつみぃさん』(逸見政孝著、講談社刊)

・『大阪の地下鉄』(石本隆一著、産調出版刊)

Yahoo!ニュース個人より転載)